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沖縄県の旅行記【歴史・文化・芸術】

沖縄県の旅行記
沖縄 ,≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編?
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
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2017/06/24~" . 2017/06/24
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編?

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編? 平成27(2015)年の戦後70年という節目の年に、先の大戦に於ける戦没者を祀る多くの場所で慰霊祭が行われることを知りました。唯一身内の戦没者である母方の祖父が、昭和20(1945)年6月10日に沖縄亡くなっていることは、知ってはいたものの特に行動には起こすこともしませんでした。 ぶらり歩きのために行き始めた沖縄の地で、住民を巻き込んだ『史上稀にみる地上戦の舞台』が正しく伝えられていないと感じたのは、那覇経由で八重山へと向かうトランジットの際に訪れた『黎明之塔』に始まっています。戦場となった沖縄では多くの住民が巻き込まれ犠牲となったことは間違いない史実ではあるものの、理由はともかく『将兵』として日本全国から召集され、故郷から遠く離れた沖縄の地で望郷の念を持ちながら斃れていった…というより『斃れざるを得なかった』人々が、なぜここまで『悪者扱い』をされなきゃなんないのか?ということに対し『疑問』を持ったことが沖縄訪問をリピートするようになった理由でした。 平成27(2015)年6月23日に行われた『戦後70年 沖縄戦全戦没者追悼式典』に於いて、対象となっているすべての戦没者遺族が参列する式典会場で、式典の進行を妨げる『シュプレヒコール』やでっち上げの『ヤジ』の応酬等、明らかに『作為的なもの』が『事実』として全世界に配信されていることを含め、主賓ではなく『遺族』として参加されておられる方々への『冒涜』だと思えることを多々感じたという経験があります。式典会場に入らずに式典参加をする『外野』としての立場でも『いい加減にしろ(怒)』と憤慨するくらいなので、来賓として参加されていた『戦争を知る』ご遺族にはどのように見えていたのかは、想像を絶するものだったに違いありません。 会場入りするシャトルバスの車内で内地から来られて身近な親族を亡くされただろうご年配の女性が、入口付近で主賓の入場を妨げるかのごとく、『○○来るな?』と叫んでいる姿に寂しそうな目をしておられたことがいまだに私の頭から離れません。『追悼式』は政治的解決をする『場所』ではありません。昭和20(1945)年6月23日黎明の刻、第32軍司令部が崩壊し、それが沖縄戦の『事実上の終戦』とされていることから『慰霊の日』となった『経緯』が気に入らない輩も結構いるようです。 漠然とした『反戦運動』に『大義名分』は勿論のこと、その『理由』すらどうでも良いことなのかも知れません。ではなぜ『反戦』なのか?と問われるとどう答えるのでしょうか?答えを押し付けるつもりは毛頭ありませんが『多くの人が死ぬ』からやってはいけないとはおもわないのでしょうか?しかしそれならば立場を問わず戦争によって亡くなられたすべての『戦没者』を慰霊する式典を反故にして良いものだろうか…。そう思えてなりません。勿論戦争を肯定する理由は何ひとつありません。広島の原爆戦没者慰霊碑には『安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませぬから』という一文が刻まれています。出所の是非論はあるにしても、戦争という『過ち』を繰り返さないという『意識』が泥沼化した『戦争』を回避する『唯一の手段』と言えば、それに異論を唱える者はないのではないでしょうか。そんな思いがこの『慰霊の日』を私に沖縄にて過ごさせているリビドーになっているように思います。 結局は今までにない程の『with No Plan』で始まった今回の旅もいよいよ最終日。ナビも使わず自分の頭の中に残っている『様々な情報』に基づいていろいろと立ち寄ってきました。さあ残りわずかな沖縄での時間は、どのように過ぎていったのでしょうか?(笑)。 平成29(2017)年6月24日土曜日 みん宿ヤポネシア 10:47 《0.0km・0.0km・169.0km・0.0km/h》 ファミリーマート 11:04 《10.0km・10.0km・314.2km・35.3km/h》 J A 東 風 平 店  11:24 イオン南風原店 11:41 《6.9km・16.9km・321.1km・24.4km/h》         12:25 南風原中郵便局 12:33 《1.9km・18.8km・323.0km・14.2km/h》   ≪ゆうパック120サイズ:1,760円≫         12:51 フジレンタカー 13:13 《7.7km・26.5km・330.7km・21.0km/h》 那 覇 営 業 所 13:18 那覇空港1T 13:25 チェックイン 13:31 ≪GK354:Fee(4,490円)・1F(870円)・手数料(500円)・計(5,860円)≫ 保安検査 14:21 バス 14:46 搭乗 14:49 ドアクローズ 14:54 プッシュバック 14:56 タキシング 15:02 離陸 15:06 ギアダウン 16:46 着陸 16:49 停止 16:54 降機 16:58 バス 17:00 ターミナル着 17:05 ターミナル発 17:10 リムジンバス乗車 17:18 リムジンバス出発 17:20 ≪京阪バス:往復切符利用≫ 京都 18:36    18:52   ≪快速米原行き:240円≫ 田舎駅 19:07     19:17   ≪31系統田舎の赤バス:230円≫ ド田舎バス停 19:30 ド田舎我が家 19:33// 7:00過ぎに起床しました。今回の旅の朝は目覚ましに起こされたことがありません(笑)。夜型人間の私にとっては『超珍しい』ことです♪ 一服を済ませて荷物を作り、朝食を頂きます。癖のあるみん宿ヤポネシアの中でも『曲者』揃いが宿泊する6月22・23日のメンバーは、今日で解散となります。美味しく朝食を頂いてのんびりしていると、バス旅のオッちゃんがまず出発されます。次いで台湾のカップルさん、こちらは宿替えのようです。そして漁港に行って帰ってきたアクティブな車いすのお兄ちゃん。2泊で群馬からだそうですが飛行機もその場で取るという『強者』でしたが、私なんぞが知り得てる『南部の情報』が役に立ったのでしょうか?最後に握手をして別れます。いつも殿が私になるのですが、何回も『お見送り』に出さすのも申し訳なく、お兄ちゃんの後に続けて出発します。10:47、いつも通りチェックアウト時刻を無視した出発でした(笑)。 国道手前までのまっすぐな道、ハザードと手を振りながらVitzくんで走って行きます。今日は土曜日なので郵便局も休みゆえ、現実的な目的地経由で空港方面へ行くことにしました。具志頭の交差点まではお兄ちゃんの後ろについて行き、南風原方向へと左折する際にパッシングをするも気付かれなかったようでした。国道331号線から国道507号線へと入り、八重瀬町の中心エリアの東風平(こちんだ)のファミリーマートに立ち寄って一服休憩です。20分足らずの走行で一服するのはご愛嬌です(笑)。それともうひとつ一回行きそびれた『東風平郵便局』に立ち寄る目的もありました。 旅行貯金を済ませて南風原へと向かいます。イオンモール南風原店、沖縄に来たら『立ち寄らないことはない』と言い切れる程よく訪れています。規模は大きいのですが、全体的な集客数はそれほどいないのか、以前『カメラのキタムラ』でネガ現像とデータ化を頼もうとしたら『即時仕上げをやっていない』と言われました。しかしサンエー程ではないにしろ『お土産品』を安く購入できる『スーパー』として利用するには良いところです♪ ただあまり時間もないため、適当にいくつか品物をチョイスしボストンバックに詰め込みます。買い物が終わって荷造りも終わってから出発します。これで那覇へと向かうだろう…なんですが、荷物を発送しなければなりません。ルート的には那覇中央郵便局の方がレンタカーの営業所には近いのですが、なんせ込み合うことが多いため、イオンモール近くの『南風原中郵便局』に立ち寄ります。南風原という街が那覇のベッドタウン化しており、人口急増中である典型的な『郵便専門局』ではあるのですが、ホームページ上で書かれていたビニール製の『ボストンバック袋』がないと言われました。それは係員が知らなかったのか、出ることがないため『扱っていない』のか理由はわかりません。結局ないものは仕方がないので、バックに伝票をくっつけて自宅へと発送して終了です。 こわれものは一応『あり』にはしていますが、どこぞの運送屋みたいに投げることはしないと信じ発送しましたが、しばらく走り出したところで郵便局で尋ねられた『リチウム電池』のことをふと思い出します。充電池は『多量』でなければ大丈夫だと聞きましたが、最近あまり聞かない『リチウム電池』を実は持っていた…。今回部屋の掃除をしていて見つけた『アナログ(フィルム)一眼カメラ』には『2CR5』というリチウム電池を使用しているカメラを、送った荷物に入れっぱなしにしてしまったような気がして…。とはいえ戻る時間もなく、先に進むしかない状況では船便になってしまえば仕方がないと割り切るしかありません…。最後に確認を忘れてしまったたかティムさんでした(汗)。 那覇市奥武山のフジレンタカー那覇営業所にたどり着く寸前、明治橋付近にて今回もまた『給油ランプ』が点灯します。まあ大した距離も残っていないため、アクセルをよりゆっくり踏み込むようにしてエコ運転を心がけ、13:13に無事返車を完了します。330kmの道程を元気に走ってくれたVitzくんともお別れです。 たまたま同時刻に返車する方が少なかったようで、すぐに那覇空港への送迎車に乗ることができました。7分間の時間は、行きと同様ハンドルを握らなくてもいい時間であり、5日間の日程を振り返る時間でもあります。昨年6月の来沖の際には、まさか一年間来られないことを予測だにしていませんでした。2ヶ月に一度のペースはオーバーペースだったにしろ、一年間のブランクは沖縄を訪れるきっかけを変える過渡期の訪れを感じさせるものかも知れません。沖縄に来て考えなければならない事柄を溜め込み、それに加えて試験勉強という自己啓発に突っ走った昨年一年間を過ごし、老け込む時期ではまだないことを痛感しています。双方を両立させることができなかった反省はあるので、沖縄流『てーげー』の生き方をして改めて実行しようと思いつつ、94時間前に到着した那覇空港第1ターミナルに到着します。 レンタカーの送迎車の降車は3階フロアになります。ドライバーさんにお礼を言ってチェックインカウンター最南端のジェットスターカウンターへとやってきます。webチェックインが当たり前の時代に1Fの非常口座席は未だキオスクにてのチェックインが必要です。まあいつものことなので慣れた手つきで済ませた後、 ぶらぶらと買う予定ないお土産を見て歩きます。ただここで余計なことを知ってしまいました。お土産の定番である『御菓子御殿の紅芋タルト』に3つ入りの小箱がありました。今まで1番小さなものが6個入りだと思っていたのでそれを買い求めていましたが、空港で売られているとは知りませんでした。数を食べるものではないため、それで十分なので見つけてしまったことはちょっとショックでした(泣)。 悔やんでも仕方がないのでスルーし、保安検査場を通過します。後は飛行機に乗るだけとなった今、急にお腹がなります。搭乗口からあまり離れたくなかったこともあり、いつも飲み物を購入するだけの『BlueSky21』に立ち寄りました。なんでも良かったのですが、せっかくなので…と選んだメニューは『沖縄そば』。器の持ち出しを考慮してなのかスチロールの器に入ったものでしたが、今回沖縄料理的なものを口にしていないこともあり、紅生姜をたんまり入れて美味しく頂きました、ご馳走さま?♪ お腹も膨れて一服し、タラタラと28番ゲートを目指すと既に搭乗が始まっていました。というよりバス搭乗の最終バスだったことを知り、ちょっと焦りました。行きと同様のA320-200機材での運航のGK354は、私を含めた10名程を待ってドアクローズ。6分の早発でした(汗)。 いつもならば離陸待ちが結構ある中で10分後には離陸します。あの独特の無重力感を味わった後、関西国際空港行きのGK354は雲の多い那覇空港を後にします。 那覇発だと2時間足らずのフライトなので、寝る間もなく着いてしまうのですが、さすがに睡眠不足が続いていた今回の旅路ゆえ、離陸したことしか覚えていません。着陸のアナウンスで目覚めたのは四国上空で、間もなく関西国際空港に到着します。 寝てはいたけど疲れはピーク状態だったこともあり、普段ならばリムジンバスに乗るまで、ターミナル内をぶらつくのですが、今回はその余裕もありません。沖止めの機材からバスに乗り、ターミナルを素通りし、京都行きリムジンバスに乗るまで僅か20分。今までの関西空港最短滞在時間となりました(笑)。 京阪バスオペレーションの関西空港リムジンバスは、行きと同じ経路をたどって走ったはずです。はずですというのは高速京田辺の降車扱いの記憶がありません。というより『間もなく京都駅』のアナウンスで我に返ったことまで意識が朦朧としていました。結局京都駅には僅かに早着し、本当に無駄のない時間取りで京都から快速に乗車。県境を越えて南淡海の国の首都『INAKA STATION』に到着の後タバコの購入はしたものの、下車後10分で田舎の赤バスに乗車し、ド田舎バス停を経由して田舎の我が家に到着します。 いつもならば関西空港に到着してからブツブツ言いながら帰ってくるのですが、正直言ってそんな余裕は全くありませんでした。うちの会社は16日?翌15日までのシフトですが、まだ9日しか過ぎていないのに7日間休んでいます。有休を2日入れて貰っているので月あたりの休日は11日。と?い?う?こ?と?は?・・・残り21日あるうちの休みは4日・・・。なんかすごいことになりそうな予感がします。勿論休みは貰っているから働くのであり、不満は全くありません。しか?し5日間の旅行でくたびれたとは、なんか自信喪失をしてしまいました。ちなみに『思考回路』が飛んでいたため気になったまま帰って来た『リチウムバッテリー』はなぜか『電池単品』がリュックの底に転がっていたことが翌日に発覚しました…。 まあなんとかすればなんとかなるみたいで、そのシフトをクリアすることができました。それなりにハードな勤務でしたが休みを取らせてくれた同僚達の協力には『感謝』の一言しかありません。しかしのど元過ぎるとなんとやらで、また来月も良からぬ魂胆を持っていたりもします(笑)♪ 今まではひとつの旅が終わればそれまででしたが、今では旅の終わりは次の旅の始まりにしか思えてきません。色々な自己発見ができた今回の沖縄の旅路でした♪ 長文にお付き合い頂いてありがとうございました。これにて?《2017.June》あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編??は終わります♪
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沖縄県の旅行記 名残り惜しいですがそろそろ発たねばなりません…ってか...
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沖縄県の旅行記 今回沖縄のアッシーくんを引き受けてくれた『Vitz』...
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沖縄県の旅行記 よく走ってくれました♪
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沖縄県の旅行記 南風原中郵便局でバックを自宅に送ります。近くにある『...
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沖縄県の旅行記 明治橋付近にて『給油ランプ』が点灯します(汗)。すぐ...
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沖縄県の旅行記 『フルコミプラン』の内容は他社より確かです。またお世...
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沖縄県の旅行記 空港まで送って頂きました。お世話になりました♪
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沖縄県の旅行記 出発ロビーの3階?入口。
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沖縄県の旅行記 出発予定表示板とたかティムさん♪
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沖縄県の旅行記 28番ゲート近くの『BlueSky21』に立ち寄りま...
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沖縄県の旅行記 ゆっくりしすぎて28番ゲートに急がねばなりません(汗...
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沖縄県の旅行記 といってもB型ですから?(笑)。
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沖縄県の旅行記 アップフロントシート1Fのシートピッチ♪
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沖縄県の旅行記 まもなく扉が閉まります。さらば沖縄、また来る日まで!
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沖縄県の旅行記 那覇空港ターミナルビル。 それじゃあまたね♪
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沖縄県の旅行記 あっという間に関西空港。
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沖縄県の旅行記 GK354のエアバス322型機とCAさん♪
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沖縄県の旅行記 バスの車窓から。
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沖縄県の旅行記 乗ってきたバス♪
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沖縄県の旅行記 211番ゲートに到着しました。
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沖縄県の旅行記 制限エリアを出て行きます。
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沖縄県の旅行記 関西空港第1ターミナル1階E出口から出て来ました。
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沖縄県の旅行記 関西空港第一ターミナル発京都行きは京阪バスのオペレー...
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沖縄県の旅行記 リムジンバスバス停付近に『喫煙コーナー』が新設されて...
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沖縄県の旅行記 コトチカKYOTOを通って…。
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沖縄県の旅行記 京都駅地下東口から構内へと入場します。
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沖縄県の旅行記 京都駅構内の地下連絡通路。
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沖縄県の旅行記 2番線にはエスカレーターがあります。
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沖縄県の旅行記 待避線停車中の『青虫電車』117系。
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沖縄県の旅行記 米原行き快速223系が入線してきました。
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沖縄県の旅行記 あっという間に田舎駅♪
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沖縄県の旅行記 それ程多い人ではありませんでした。
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沖縄県の旅行記 帰って来ちゃった…。
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沖縄県の旅行記 バス停へと到着します。
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沖縄県の旅行記 今回の旅も無事終了しました。さぁ次はどんな旅物語が待...
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沖縄県の旅行記 田舎の赤バス31号系統で帰ります。
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沖縄県の旅行記 ド田舎バス停に到着しました。
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沖縄県の旅行記 イオンモール南風原店へとやって来ました。
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沖縄県の旅行記 今回の旅もあっという間に最終日の朝を迎えました…。
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沖縄県の旅行記 帰りのGK354のボーディングパス♪
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沖縄 ,竹富島へ行ってみた
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2017/07/02~" . 2017/07/02
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竹富島へ行ってみた

石垣島の離島ターミナルから日帰りで竹富島へ行きました。水牛車に乗ってのんびり揺られて島をまわりました。次に自転車をレンタルして西桟橋、コンドイ海岸、人頭税廃止百年記念之碑、仲筋井戸、なごみの塔などを見ました。天気がよくて暑かったけれど竹富島(滞在3時間)を楽しみました。
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沖縄県の旅行記 石垣島から竹富島まで10分間の船旅です。
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沖縄県の旅行記 かなりのスピードですぐに竹富島に着きました。船酔いを...
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沖縄県の旅行記 高い山や建物はありません。
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沖縄県の旅行記 10分ほどで水牛車の駐車場に着きました。
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沖縄県の旅行記 自転車をレンタルして西桟橋にいきました。前に西表島が...
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沖縄県の旅行記 竹富小中学校の南側にある仲筋井戸。昭和51年の水道が...
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沖縄県の旅行記 仲筋井戸のそばにある人頭税廃止百年記念之碑。人頭税は...
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沖縄県の旅行記 海は静かで帰りの船も10分で石垣島に着きました。実は...
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沖縄県の旅行記 水牛車が帰ってきました。暑いので水牛もバテバテです。
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沖縄県の旅行記 水牛の名前は「さぶちゃん」です。水牛を後ろから見ると...
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沖縄県の旅行記 風が抜けて涼しい。
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沖縄県の旅行記 天井に歌詞が貼ってあります。
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沖縄県の旅行記 美女クマヤ生誕の地
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沖縄県の旅行記 世持御獄
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沖縄 ,21.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 旧海軍司令壕その2
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2017/02/07~" . 2017/02/07
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21.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 旧海軍司令壕その2

写真の枚数が50枚に達したので2話に分けて海軍壕公園旧海軍司令壕ビの様子を綴ります。 一通り見学の後は、目的の旧海軍司令壕を終えて、那覇市中心部に向かいます。
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沖縄県の旅行記 一方通行の順路に従い、旧海軍司令壕の中を進みます
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沖縄県の旅行記 大田實司令官の海軍次官に宛てた電文(口語訳を見つけた...
沖縄県の写真
沖縄県の旅行記 発電室入口
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沖縄県の旅行記 当時の発電機台
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沖縄県の旅行記 発電室
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沖縄県の旅行記 更に先に進みます
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沖縄県の旅行記 発電室入口
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沖縄県の旅行記 壕の公開はここまで
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沖縄県の旅行記 壕を掘った道具
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沖縄県の旅行記 壕掘り作業の様子
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沖縄県の旅行記 時計回りに回り込むように進みます
沖縄県の写真
沖縄県の旅行記 下士官室入口
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沖縄県の旅行記 当時の支柱
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沖縄県の旅行記 下士官室
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沖縄県の旅行記 下士官室の様子
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沖縄県の旅行記 下士官室の案内
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沖縄県の旅行記 細いトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 下士官室入口
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沖縄県の旅行記 下士官室
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沖縄県の旅行記 下士官室の様子
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沖縄県の旅行記 更に先に進みます
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沖縄県の旅行記 綺麗な壕の先の明かりは、何故か悲しい
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沖縄県の旅行記 出撃風景の様子
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沖縄県の旅行記 壕出口
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沖縄県の旅行記 壕出口をあとに、更に進みます
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沖縄県の旅行記 炊事場への通路入口
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沖縄県の旅行記 行止りになっていました
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沖縄県の旅行記 司令官室入口
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沖縄県の旅行記 先ほど見た場所の対角側に進みます
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沖縄県の旅行記 指令室の様子
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沖縄県の旅行記 菊花が供えられたテーブルが置かれた指令室
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沖縄県の旅行記 平和祈念 至心合掌と書かれた観音菩薩像
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沖縄県の旅行記 小禄(おろく)地区戦闘経過の案内
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沖縄県の旅行記 順路に従い進みます
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沖縄県の旅行記 米軍上陸全般図
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沖縄県の旅行記 沖縄線の写真展示
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沖縄県の旅行記 そろそろ終盤
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沖縄県の旅行記 出口に向かって進みます
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沖縄県の旅行記 長く感じる出口へのトンネル
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沖縄県の旅行記 短い間でしたが、濃密な時間を過ごし
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沖縄県の旅行記 現世界に出ます
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沖縄県の旅行記 海軍壕売店
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沖縄県の旅行記 こじんまりした土産物店
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沖縄県の旅行記 車を停めた、集いの広場駐車場に戻ります
沖縄県の旅行記
沖縄 ,20.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 ビジターセンター 内資料館その2 旧海軍司令壕その1
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2017/02/07~" . 2017/02/07
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20.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 ビジターセンター 内資料館その2 旧海軍司令壕その1

写真の枚数が50枚に達したので2話に分けて海軍壕公園ビジターセンターの内資料館の様子を綴ります。 内資料館内を一通り見学の後は、目的の旧海軍司令壕を訪ね、現実の歴史の一端を、この目で見ようと思います。
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沖縄県の旅行記 海軍部隊が使用していた武器  手製の槍  ...
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沖縄県の旅行記 旧日本海軍関係の遺留品  注射器  体温...
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沖縄県の旅行記 住民の苦しみ 証言で綴る被害の実態  蛆が湧い...
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沖縄県の旅行記 往時の様子をリアルに伝えるパネルの展示
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沖縄県の旅行記 太田實司令官(海軍中将)の遺品
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沖縄県の旅行記 礼帽
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沖縄県の旅行記 扇子  名刺  講習会筆記
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沖縄県の旅行記 筆  グラス
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沖縄県の旅行記 2012年に67年ぶりに返還された少将旗の記事など
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沖縄県の旅行記 太田司令官の少将旗
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沖縄県の旅行記 内資料館の見学を終えて、旧海軍司令壕に向かいます
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沖縄県の旅行記 海洋画家 飯塚羚児(れいじ)作 戦艦大和
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沖縄県の旅行記 1/200 戦艦大和模型
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沖縄県の旅行記 戦艦大和の案内
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沖縄県の旅行記 参観券売所  参観券は ¥440?
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沖縄県の旅行記 壕入口
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沖縄県の旅行記 入るとすぐに円形の広間
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沖縄県の旅行記 天井も円形です
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沖縄県の旅行記 旧海軍司令壕見取図
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沖縄県の旅行記 千羽鶴が飾られた壕口
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沖縄県の旅行記 想像以上にしっかりした急な階段
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沖縄県の旅行記 入口から12.5m
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沖縄県の旅行記 更に降りると水平なトンネル
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沖縄県の旅行記 信号室
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沖縄県の旅行記 立入禁止の
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沖縄県の旅行記 内部は広く、甕にはお榊でしょうか、お供えされています
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沖縄県の旅行記 入口から20m
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沖縄県の旅行記 壕内見取図及び順路
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沖縄県の旅行記 順路に従い進みます
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沖縄県の旅行記 作戦室入口
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沖縄県の旅行記 真っ白く塗られた、広いアールの天井の作戦室
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沖縄県の旅行記 往時の作戦室の様子
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沖縄県の旅行記 当時の配電用碍子(がいし)
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沖縄県の旅行記 細くなったトンネルを先に進みます
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沖縄県の旅行記 白く塗られた、アールの天井の幕僚室
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沖縄県の旅行記 幕僚が手榴弾で自決した時の、破片のあとの案内
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沖縄県の旅行記 自決された時の手榴弾の弾痕
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沖縄県の旅行記 更に薄暗くなったトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 司令官室入口
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沖縄県の旅行記 今もテーブルが置かれた広いアールの天井の司令官室  ...
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沖縄県の旅行記 先ほど慰霊広場で軽口を叩いたからじゃないかと、ビビり...
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沖縄県の旅行記 暗号室入口
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沖縄県の旅行記 狭く暗いトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 広く岩盤むき出しの暗号室
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沖縄県の旅行記 狭く暗いトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 壕の本道に戻り順路に従い進みます
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沖縄県の旅行記 左側に間口が広い空間
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沖縄県の旅行記 医療室入口
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沖縄県の旅行記 実は医療室とは定かではないが、沢山の負傷兵がここに居...
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沖縄県の旅行記 往時の医療室の様子  写真の枚数が50枚に達し...
沖縄県の旅行記
沖縄 ,19.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 慰霊之塔 ビジターセンター 内資料館その1
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2017/02/07~" . 2017/02/07
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

19.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 慰霊之塔 ビジターセンター 内資料館その1

ルームサービスの朝食を楽しみ、沖縄残波岬ロイヤルホテルをチェックアウトを済ませ、阪神タイガース出待ちをした後は、最後の観光に向かいます。 選んだ先は那覇市中心部に近い海軍壕公園で、近いだけに今まで行ったことがない、初めて訪ねる場所です。
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沖縄県の旅行記 早目にホテルを出て、海軍壕公園に向かいます
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沖縄県の旅行記 那覇中心部と那覇空港の丁度中間の小高い丘に登り、突き...
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沖縄県の旅行記 旧海軍司令壕サービスセンター
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沖縄県の旅行記 係員の指示に従い車を停めて
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沖縄県の旅行記 慰霊広場に向かいます
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沖縄県の旅行記 無料の停めやすい駐車場
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沖縄県の旅行記 更に丘を登ると集いの広場駐車場
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沖縄県の旅行記 壕入口はありますが
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沖縄県の旅行記 参拝順路に従い
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沖縄県の旅行記 先ずは、慰霊之塔に向かいます
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沖縄県の旅行記 海軍戦没者慰霊之塔
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沖縄県の旅行記 献立者芳名
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沖縄県の旅行記 昭和33年海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立...
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沖縄県の旅行記 仁愛之碑  大田實司令官が海軍次官に宛てた電文...
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沖縄県の旅行記 旧海軍司令部壕碑  大君の御はたのもとに死して...
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沖縄県の旅行記 錨が置かれた後ろの碑には参加部隊・参加艦艇名
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沖縄県の旅行記 慰霊之塔をお参りして
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沖縄県の旅行記 海軍壕公園ビジターセンターに向かいます
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沖縄県の旅行記 建物を周りに溶け込ませるため、突起を押さえガラス張り...
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沖縄県の旅行記 エントランス
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沖縄県の旅行記 風除室  開館は08:30?17:00
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沖縄県の旅行記 海軍壕公園ビジターセンターの案内
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沖縄県の旅行記 島の生き物を外来種から守れ
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沖縄県の旅行記 リュウキュウアオヘビ  草原などに住み、昼間に...
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沖縄県の旅行記 オキナワキノボリトカゲ  木の上の日陰を好み、...
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沖縄県の旅行記 アカマタ  夜行性で鳥などの小動物を食べます
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沖縄県の旅行記 オカヤドカリ  脱皮を繰り返して成長します
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沖縄県の旅行記 オキナワトカゲ  低地の茂みに住んでいます
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沖縄県の旅行記 オキナワヤモリ  夜行性ですが、昼間もよく見ら...
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沖縄県の旅行記 寒緋桜(かんひざくら)のサクランボウ 日本で一...
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沖縄県の旅行記 コスモス  海軍壕公園にもボランティアの手で植...
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沖縄県の旅行記 ビロウ(クバ)  扇や傘などに古くから加工され...
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沖縄県の旅行記 サンゴジュ  秋に熟した紅い果実がサンゴに似て...
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沖縄県の旅行記 オキナワキョウチクトウ 樹皮や葉、種子には毒が...
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沖縄県の旅行記 キョウチクトウ  花・葉・枝・根・果実などすべ...
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沖縄県の旅行記 職員が撮影したパネル展示
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沖縄県の旅行記 ハブに注意!
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沖縄県の旅行記 終戦直後のパネル展示
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沖縄県の旅行記 悲惨な様子を写したものもあって、とても接写出来ません
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沖縄県の旅行記 パネルの展示を見た後は、エントランスフロアーから下階...
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沖縄県の旅行記 千羽鶴
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沖縄県の旅行記 先ずは、ビジターセンター内資料館を訪ねます
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沖縄県の旅行記 入るとすぐ正面に、大田實司令官の写真とともに海軍次官...
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沖縄県の旅行記 内部の展示を見学します
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沖縄県の旅行記 旧日本海軍関係の遺留品
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沖縄県の旅行記 山田弘國中佐着用の帽子など
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沖縄県の旅行記 写真の枚数が50枚に達したのでその2に続きます
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沖縄県の旅行記 ガスマスクと吸収缶
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沖縄県の旅行記 米軍のガス攻撃に対する防御
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沖縄県の旅行記 将校軍服
沖縄県の旅行記
沖縄 ,≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之四?四日日:沖縄島南部を巡る一日編?
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2017/06/23~" . 2017/06/24
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≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之四?四日日:沖縄島南部を巡る一日編?

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之四?四日日:沖縄島南部を巡る一日編? 一年間の沈黙の期間を経て実現した今回の来沖。エアーチケットとレンタカー・常宿の手配は1月の半ばには済ませています。しかしその後『資格試験』や『合格祈願』、そして『お礼参り』に加えて『戦争を辿る旅』にかまけていた結果、6月初旬まで計画を見直すことすら出来ませんでした。結果いつもながらではありますが『Special No Planの旅』で出かけることにならざるを得ませんでした。そんな旅もはや4日目、今回の旅のメインイベントである『戦後72年目の慰霊の日』。沖縄県全土に於いて先の大戦で亡くなられた方々の慰霊の式典が行われる日になります。事前に慰霊祭が行われる『予定』を知ることが出来ればある程度行き先を決めて回ることができますが、多くの慰霊碑を管理する団体が、会員の高齢化を理由に慰霊祭の施工を取り止めている昨今、慰霊祭について事前に情報を得られなくなっている現実があります。沖縄県や各市町村は勿論その情報すら把握していないため、現地での情報収集が唯一の手段となっており、決して効率も良くありません。そのような背景もあり、口伝て情報で回るのであれば以前に訪れた実績によるしか方法はありません。 今年の6月23日に訪れた追悼式典や慰霊祭に関しては、速報という形で既に記述しました。そのためここでは『沖縄のいちばん長い日』の過ごし方について改めて思い返して書いています。あくまで『日記』としての内容ゆえ写真をただ載せているだけに過ぎませんので、あまり深い意味はありませんのでご了承下さい。 それでは今年の6月23日はどうなったのでしょうか・・・。当日の朝を迎えます。 平成29(2017)年6月23金曜日 みん宿ヤポネシア 09:30 《0.0km・0.0km・236.7km・0.0km/h》 ファミリーマート 09:33 《1.3km・1.3km・238.0km・26.0km/h》1.3 糸 満 米 須 店  09:52 三和郵便局 09:55  《1.7km・3.0km・239.7km・34.0km/h》3.0 10:00 高嶺郵便局 10:06 《3.7km・6.7km・246.4km・37.0km/h》6.7 10:12 兼城郵便局 10:31  《2.5km・9.2km・248.9km・7.9km/h》9.2 10:37 潮平郵便局 10:42 《2.9km・12.1km・251.8km・34.8km/h》 12.1 10:48 ファミリーマート11:05  《5.0km・17.1km・256.8km・17.6km/h》17.1 糸満西崎三丁目店11:16 沖縄銀行 11:19 《0.8km・17.9km・257.6km・16.0km/h》 17.9 西崎支店 11:32 農業試験センター 11:45 《6.3km・24.2km・263.9km・29.1km/h》 24.2 11:50 平和祈念公園 12:10 13:49 農業試験センター 14:10 14:19 白梅の塔 14:25 《2.2km・26.4km・266.1km・22.0km/h》 26.4 15:19 糸満郵便局 15:25  《2.5km・28.9km・268.6km・25.0km/h》28.9 15:32 糸満新里郵便局 15:36 《1.2km・30.1km・269.8km・18.0km/h》 30.1 15:48 糸満西崎郵便局 15:55  《1.8km・31.9km・271.6km・15.4m/h》31.メーター9 16:01 ローソン沖縄 16:14 《3.5km・35.4km・275.1km・16.2km/h》 35.4 水産高校前店 16:24 糸洲の壕 16:29  《2.0km・37.4km・277.1km・24.0km/h》37.4 16:34 第一外科壕跡 16:42  《3.6km・41.0km・280.7km・27.0km/h》41.0 16:50 ひめゆりの塔 16:52  《0.6km・41.6km・281.3km・18.0km/h》41.6 17:15 魂魄之塔 17:18  《1.4km・43.0km・282.7km・28.0km/h》43.0 17:33 ずゐせんの塔 17:36 《1.1km・44.1km・283.8km・22.0m/h》 44.1 17:41 ファミリーマート 17:44  《0.6km・44.7km・284.4km・12.0km/h》1747 糸 満 米 須 店   17:58 平和祈念公園 18:08 《2.4km・47.1km・286.8km・14.4km/h》 47.1-3.6 20:17 ファミリーマート 20:24 《3.6km・50.7km・290.4km・30.9km/h》 50.7 糸 満 米 須 店  20:35 みん宿ヤポネシア 20:38 《1.5km・52.2km・291.9km・30.0km/h》? 52.2 22:10 具志頭郵便局 22:18  《5.9km・58.1km・297.8km・44.3km/h》58.1 22:20 ローソン八重 22:22 《0.7km・58.8km・298.5km・21.0km/h》 58.8 瀬 玻名城 店 22:39 みん宿ヤポネシア 22:48 《5.7km・64.5km・304.2km・38.0km/h》 64.5 【宿泊】 みん宿ヤポネシア 《1泊2食付き禁煙ルーム 6,000円:直手配》 〒901-0334 沖縄県糸満市大度309-42 http://www.yaponesia.com/ TEL:098-997-2136 今年もこの日がやって来ました、6月23日。沖縄慰霊の日、以前沖縄の大学生にこの日の由来を尋ねた某新聞社の記事にあった『知らない』意見が過半数に上るとか…。沖縄の大学にどれだけの沖縄出身者がいるのかは知りませんが、この記事を書いた『記者』も事実を知らない情けないことが露見していました。昭和20(1945)年6月23日黎明の刻、現摩文仁の丘の頂上から少し下った場所で、沖縄守備陸軍第32軍司令部の牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、沖縄戦に於ける日本軍の組織的な抵抗が終了した日とされています。しかしこの説には別解釈があり『6月22日』だったという意見もありました。その証拠に沖縄がまだアメリカの戦時統治下だった1961年に当時の琉球政府が『慰霊の日』を制定した際には『6月22日』をしています。その後1965年に『6月23日』に改められ、昭和49(1974)年に『沖縄県慰霊の日を定める条例』が定められ、沖縄県の条例下で『慰霊の日=6月23日』となって現在に至っています。 ただ現実に軍司令部の崩壊を信じずにそのまま『ゲリラ戦』を続けた部隊や兵士も数多く存在した『史実』もあり、昭和20(1945)年8月15日正午の『玉音放送』すら信じられていなかったこともあります。大隊レベルで陸軍第24師団第32連隊第1大隊(伊東孝一大隊長)は8月29日、同連隊第2大隊(志村常雄大隊長)は9月4日にそれぞれ武装解除しています。そして昭和20(1945)年9月2日には東京湾に於いて戦艦ミズーリ上で敗戦国全権として重光葵(しげみつ まもる)外相と梅津美治郎(うめづ よしじろう)参謀総長が降伏文書に署名これによって中央では大日本帝国の無条件降伏という結果で終了するも、昭和20(1945)年9月7日には嘉手納基地(旧越来村森根)に於いて、納見敏郎第28師団長、高田利貞独立混成第64旅団長、加藤唯男沖縄根拠地隊参謀長がJosepf Warren Stilwell米第10軍司令官との間で『南西諸島の全日本軍を代表して無条件降伏』が調印され、ここで初めて『南西諸島』に於ける戦闘の終結と解されるものも少なくありません。事実降伏文章への調印がなされた沖縄市では、平成5(1993)年に市町村で初めて条例により『沖縄市民平和の日』を制定しています。 アメリカ施政権下の琉球政府によって『住民の祝祭日に関する立法(1961年立法第85号)』に基づいて定められた『公休日』に端を発したものの、昭和47(1972)5月15日の沖縄の本土復帰に伴い日本の法律適用下で法的根拠はなくなりました。しかし昭和49(1974)年には沖縄県が条例により6月23日を慰霊の日として定め、その後平成2(1991)年に沖縄県及び沖縄県内の市町村が地方自治法に基づき各休日条例により慰霊の日をそれぞれの機関の休日と定めたことによって再び正式な休日となりました。そのためこれらの地方公共団体の役所やその設置する学校等は休日となっていることが現在に於ける『慰霊の日』の解釈となっているのですが、制定に纏わる適用される法律背景によっても即決できないものであることは理解できますが、これらのことを踏まえても『沖縄戦も於ける慰霊の日』の制定に関しては様々な解釈があり、決して『ひとつの事柄』によって決められるものではないということがわかります。 理由はなにもひとつにすることはないのではないかと思います。昭和49(1974)年の条例制定には『我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)』とされており、この『願い』のもと行われているもの…と解釈するのが一番しっくりくるのではないか…そう思います。この条例制定に携わった沖縄本土返還時に『天皇陛下万歳三唱』をした初代沖縄県知事屋良朝苗氏にどのような想いがあったことまでは知りませんが…。 前置きが長くなりましたが『今日イチニチ』を始めることにします。おひとり宿替えがあり、代わりに泊まられる方も来られるということで今日も満員御礼。ほぼ固定のメンバーゆえ『この日』の過ごし方も大筋では一緒です。その中でも一番遅くに出発する私ですが、今年はお昼の『追悼式』以外はノープランです。食事を済ませて出発します。大度交差点を左折し、ファミリーマート糸満米須店へと向かうのは定番のコース。コーヒーとドリンクを仕入れて一服します。次いで少し歩いたところにある『米須簡易郵便局』に立ち寄って旅行貯金をして出発します。ここから走る『沖縄県道7号線』は、今なお主要道として君臨しているものではあれど、沖縄戦末期には敗走を続ける日本軍兵士や軍と行動を共にした民間人が南下するのに使った道であり、多くの慰霊碑が建立されている場所でもあります。そのことから慰霊碑が建立されている場所付近に車や人だかりがあれば『なにかをやっている』と読んで走って行きます。しかし三和・高嶺・兼城と熾烈な戦闘が行われたエリアにある郵便局を回りながら出会うことはありませんでした。そして糸満市街へと向かい潮平の郵便局への途中も残念ながらなかったようです。市街地ではそんな場当たり的には見つからないので、今日の『もうひとつ』の目的のため街中を走ることにします。それは『お年玉用2,000円札』の収集。知らない方もおられるかも知れませんが、平成12(2000)年に行われた『沖縄サミット』を祈念して作られた2,000円札。これを『お年玉』として10年程配っているのですが、さすがに地元ではもう手に入りません。電話をかけて電車や車で走って集めていたころもありましたが…既に『流通していない』とのこと。その後沖縄に入り浸るようになってからは、秋以降に行った際に必ず仕入れていたのですが…昨年は6月が最後となり、まさかその後行かないとは考えていなかったこともあり、まさかの状態になってしましました。それから1年が経ち運悪く6月23日は金曜日。ということは明日は金融機関は休み(泣)、ということもあり『ゆうちょ銀行』以外の銀行へと向かいます。しか?し時は流れるもの…『新札の2,000円札』のリクエストに『もうありません』と冷たいお返事。場所は糸満の金融エリア西崎地区でもそんなつれない返事が…。ただたまたま『沖縄銀行』で新札はないけれど、キレイなやつを探してみますね♪って言ってくれました(嬉)。観光客の我がままを聞いてくれた受付のお姉さんに感謝です!!ありがとう! しばらくの待ち時間になにげなくテレビを見ていたところ、沖縄以外では大ニュースになったことが放映されていました。麻央ちゃん逝去…。乳癌で闘病中っていっても…とは思っていたもののあまりにも早いその死に…なんとも言えなくなってしまいました…。戦没者慰霊のために訪れている沖縄でいうことではないのかも知れませんが、あのニュースは翌日の全国紙一面を塗り替えてしまうほど反響があったと思います。34歳って…若過ぎますよね…。でもその年齢まで生きられなかった多くの前途ある若者が70余年前に親兄弟、そして妻子を守るべくこの地沖縄で斃れた『史実』がより『鮮明』に思えたことだったのかも知れません。ご冥福を祈ります…。 手前味噌的に言われたのか『ほぼ新札の2,000円札』を手に入れ、時間を見るとちょっとオーバー気味。慌ててゆっくりシャトルバス乗り場である『沖縄県立農業試験センター』へと向かいます。ちょうど到着した時に入ってきたバスに乗ろうと駐車場を走ります。11:50の出発は平和祈念公園で追悼式が始まる時間。と言っても仕方がないのでエアコンの効いたバスの中で汗が引くのを待ち、12:00ちょうどには車内で黙とうを捧げ12:10に無事平和祈念公園に到着しました。ちなみに私は追悼式の『会場テント』の中には入りません。あくまでイチ観光客として『外野』での式典を取り巻く環境を観察しています。戦後70年には会場周辺に於いて来場者に向けての『デモ活動』が取りだたされ、沖縄で追悼式典とは『なにをするところなのか?』と大バッシングを受けたことがありました。そのこともあってか71年は大人しかったようですが今年は…となると必ずいます…。安倍さんが平和宣言を読み上げている最中に、子供達が集団で会場テント方向へと歩み寄り、その大もとに一人のおじぃがおりました。持論の反戦論を言うのはともかく、あんた今注目を引くのに『子供を使ったよね??』。おじぃの子供の頃ってなんでもかんでも子供を『ヤリ玉』にしていたのと違いますか?年齢幾許もない子供達が戦争に駆り出され、結果志半ばにして斃れていった…。あなた方の言う反戦論って『自分が生き抜くもの』のことを言っていいるんですかね?。そんな反戦論を未だに『素晴らしいこと』だなんて言っているから、ことあるごとに『有事対応』に奔走している今のご時世になっているんじゃないのかな? 文句を言うのは誰でもできる。しかしいま必要なのは有事を『起こさない』ようにするのが一番なんじゃないかな…そう思うけど。あんたも戦争には駆り出されないし、私も従軍することは先ずない。でも今動いた子供達にはその可能性があるんだよ。そんなこと位わかれよ?ボケ!!(以上私の本音でした…。) そうして追悼式は10分延長で終了し、次の目的地へと移動するためシャトルバス乗り場へとやって来ます。このシャトルバスは同じルートを往復しているようで、来るときは続けてくるようなのですが、来ない時は来ないような気がします。だいたい30分程は待ちようやく順番が来たようなのですが、ここに来て『お見合い状態』が発覚します。先に乗車できた者が奥から詰めて行けば定員乗車ができて効率良く出発できるものを、数人単位で座ってしまって奥が空いている状態。待つことは仕方がないのですが、やはり年寄りや子供もいるため、炎天下で闇雲に待ち時間を作ることは避けなければ…と思うのは私だけでしょうか?なんかバスに乗り込んでから奥に進まない人の行列に対しぷち?んときた瞬間、『空き席がなくなったら奥から補助席倒して下さい?(怒)!』と一言。ハイキング的に思って来ている人はぽか?んとしながら若僧の『ヒトコト』に従っていきます。補助席の倒し方を知らないおじぃおばぁには席を倒して、5分位立って行くよ?とほざいたおじぃには『観光バスは立ち席が認められません!』とヒトコト。さすがになにも言わなかった『運転士』も『玄人擬き』の乗客がいることに気付き、アナウンスで同じことを言っていました…。添乗員か私は…(汗)。 そんなこんなで無事出発し、もう少しで農業試験センターに到着するところで今度はバスがお見合いしてしまいました。レンタカーVS路線バスでも『よくこんな道通るな…』と思っていたところでまさかのシャトルバスの離合。も?下りて行って誘導しようかとも思いましたがそこまで出しゃばるのも…って思っていたらスイッチターンを決めこむ様子。さすがプロ♪と思っていたのは私だけのようで、のんきな乗客は『道間違えたんと違う…』なんて言ってました。 そして農業試験センターに到着し、ドライバーさんにお礼を言った後一服だけして次の目的地を目指します。なぜ農業試験センター車を停めるか…という理由でもあるのですが、ここが一番白梅の塔に近いからです。車に乗り込みまた急いだ安全運転で走り、白梅の塔に到着します。ただこの界隈には駐車車両が多々あり、上り車両優先優先の原則から白梅の塔に『向かう車両』が優先になっています。しかし相手はレンタカー、我先にと下りてきます。そうなると『悪魔の私』が本領発揮します。いわゆる『幅寄せ』です。一台止まればしめたもの、そのまま走って山形の塔を越えたあたりに車を停めて走って行きます。 71回目の白梅同窓会主催の慰霊祭、大きく変わるものではありませんが今年同窓会長の中山きくさんから重大な発表がありました。白梅同窓会主催の慰霊祭は今年で最後にするとのこと。来年からはサポートメンバー主体となって老若男女国籍問わず色々な考えを持つメンバーによって『討論』も含めた『開かれたもの』にして行きたいということでした。御年88歳の中山きくさん、白梅学徒隊の数少ない生き残りとして志半ばで斃れた同級生の分まで長生きして欲しいと思います。できれば私もサポートメンバーに入りたいとも思うのですが…。 最後に昨年同様校歌で締め、口パクで参加した後車に戻ろうとしたときにひとつ思い出したことがあって受付に戻ります。『鎮魂(ぬちしずめ)』という題の白梅学徒隊の足跡を辿り、昨年の慰霊祭で締めてあるDVDが発行されました。これは是非とも手に入れないとと思っていたのですが行程に押され忘れていました。ここで気付いたのもなんかの縁、無事入手することができました。ただ後から新聞等で紹介されているものでは同窓会の意向としては『一般発売はされない』ということが書かれていました。平和学習の資料として使われたいとのことですが、その貴重な一枚を私も何かに役立てたいと思います。 15:00を過ぎたので『慰霊祭後』に慰霊碑を訪れることに目的を変更し、16:00までは郵便局巡りをすることにします。糸満・糸満新里・糸満西崎の三局でタイムアウト。そして331号線を南下します。途中学徒慰霊碑のひとつである『翔洋碑』のことを思い出し、碑のある沖縄水産高校に立ち寄ります。しか?し今日6月23日は『お休み』であることをすっかり忘れており、あえなく締め出しとなってしまいました。後で調べると昨年は6月24日に行われているとのことでした…。それでは来年かな。 この辺りになるとナビを使うよりも記憶で走った方が確実なのでそうします。糸洲の壕、通称ウッガーガマ沖縄戦末期に陸軍第24師団第二野戦病院として使われた自然壕で『ふじ学徒隊(積徳学徒看護隊)』が勤務していたところでもあります。昨年訪れた時には壕の中にも普通に入れましたが、今年になって立ち入りが禁止され、壕入口に建立されていた『慰霊碑』が再建中だということを知りました。それを確認するために訪れたこともあるのですが…確かに噂は本当でした。壕入口には扉が作られ、立ち入り禁止と書かれています。そして慰霊碑はというと…形状は前のものに似せているもののその新しさはなにか浮いた感を覚えるものでした。付近の農地が整地されていることからなにかの開発が始まるのかも知れませんが、これも時代の流れなのかも知れません…。鎮魂之碑と鎮魂の碑、前者が第二野戦病院関係のもので後者は壕にいた民間人のご遺族が建立されたものだそうです。たまたま私が訪れていた際に、親族の方がお参りに来られました。挨拶は交わしたものの興味本位でお話を聞くのも悪いかと思いそのまま立ち去りましたが…。 そして再び国道331号線を南下して行きます。ひめゆりの塔手前で右折し、サトウキビ畑の中を走ること数秒で一本の慰霊碑に辿り着きます。『第一外科壕跡』の碑、ひめゆり学徒が南風原の陸軍病院を追われて南下し、伊原や糸洲の壕に分散して入った場所のひとつになります。どこの壕に入るかは『じゃんけん』で決めたとされる逸話が残っていますが、一番人気だった現ひめゆりの塔の場所にある『伊原第三外科壕』に入った学徒は、もっとも激しい攻撃を受け、多くの犠牲者を出したことは『ひめゆり平和祈念資料館』の展示にも書かれています。そんな結末が待っているとは思ってもいなかった学徒達のことを思うとやるせない気持ちになります。しかし第三外科壕を運良く逃げ出せた者が立ち寄ったこの第一外科壕も落ち着ける場所では既になく、米軍の執拗な攻撃の下で壕を出て、南への逃避行を続けなければならず、その道中に於いても多くの犠牲者を出しています。 ただこの第一外科壕にも『学徒隊』がいたことは『史実』に違いありません。第三外科壕に比べると数は少ないものの犠牲者は出ています。しかし伊原第三外科壕は観光客を含め平和学習でも利用されている上に慰霊祭も行われていますが、同時期に学徒がいた『伊原第一外科壕』や『糸洲第二外科壕』には訪れる方もほとんどおらず、荒れるがままになっています。三回目の再訪となった『伊原第一外科壕』ではありますが、一年間のブランクで土砂の流入が進んでいるように思えます。雨風に晒されて色あせてしまった『千羽鶴』が余計に哀愁を誘います。糸洲の第二外科壕跡のように時がの流れに埋もれていくのか…とも思います。個人のレベルではどうしようもないことなので、手を合わせて次の目的地へと向かいます。 車を走らせること数分、いつも車を停める『でいご』の駐車場にやってきました。そして向かった先は『ひめゆりの塔』。イレギュラーな時間での訪問が多い中、今日も17:00前の到着です。ひめゆり記念平和祈念資料館が閉まっているのはわかっていますが、それより慰霊碑の参拝が目的です。沖縄陸軍病院第三外科職員之碑・医療人之碑には多くの千羽鶴や花が手向けられていました。このふたつの慰霊碑に関しては、ひめゆりの塔敷地内ということもあり、少なくともどちらかが備えられていることは、慰霊碑によっては訪れる人もないことを危惧しているイチ観光客には安堵感を与えられる瞬間でもあるのですが、しかし今回に限っては何か違和感がありました。このエリアの中核となる『ひめゆりの塔』に献花がひとつもありません。このことは昨年も取り上げたことなのですが、ひめゆり平和祈念資料館の閉館後に軽トラで花束を回収している姿…。元々この花束は入口で参拝者が『お金』を支払って購入し献花をしているものです。勿論『生花』なのでリユースすることに異論はないものの、少なくとも『人がいないところ』で行うべきだと思います。目の前で撤収作業を見た挙句、翌年には何もない『献花台』の姿を見たときには…。この時の『無常感』はわかってもらえると思います。人目を憚らず与えられた仕事を決められた時間に行うという『事なかれ主義』的な沖縄の仕事の仕方は到底私は受け入れることはできません。考え方によっては一部で言われている『ひめゆりの塔』を『商売道具』としているという考えもこのあたりからでてきているように思ったりもします。手を合わせるものの邪念がどうしても残ってしまうので、その場を後にすることにします。 一旦車方向へと戻った後、車を通り過ぎて駐車場奥の慰霊碑へと向かいます。梯梧之塔、沖縄昭和高等女学校学徒の慰霊碑になります。ひめゆりの塔からわずかしか離れていないものの訪れる人は少なく、2ヶ月おきに来沖していた時には、しおれた献花や雨に打たれた千羽鶴を見ながらため息をついた記憶が残っています。しかし今日だけは違います。午後から慰霊祭があり、会場は片付けられるもののお供え物はそのままになっています。その献花の中に二人のお名前を発見しました。『八巻さん』と『長田さん』、昭和高女の設立者である『八巻太一校長』と沖縄野戦病院の見習士官であった『長田紀春元軍医』のご親戚だと思われます。今年がたまたまではなく例年もあったのかも知れませんが、その関係者による献花の存在に、人の繋がりの暖かさを感じました。 最後に花々に囲まれた梯梧之塔と写真を撮り、車を走らせた先は『魂魄之塔』。戦後沖縄県民が集められてできた『真和志村』。その村長は金城和信先生でした。金城氏ご夫妻の愛娘はひめゆり学徒隊員として従軍し戦死されています。その悲しみを背負って真和志村村長となり焼け野原になった沖縄の地を米軍の命令によって開墾し、農地化するべく村民を率いて荒れた土地を耕します。現米須霊域と呼ばれているこの場所は、沖縄戦末期に敗走を続ける日本軍兵士や住人が海から陸からの攻撃を受けて斃れたまま放置された場所でした。土地を耕すにあたり、付近一帯に散らばる遺骨の数々を集めて慰霊碑を作りたいと金城村長は米軍に申し出ますが、その慰霊碑が『反米感情の拠りどころ』となることを恐れた米分司令部はそれを許可しませんでした。しかし土地を掘り返す度に遺骨が出てくる状況下では開墾作業は進まず、結局許可せざるを得なくなりました。戦後統治下の沖縄でろくな資材もない状況下で、米軍払い下げのセメントなど僅かな物資を利用し、昭和21(1945)年2月27日にこの魂魄之塔が完成します。同時期に建立された『健児之塔』や『ひめゆり之塔』先駆けて作られたまさしく『沖縄の塔』と言っても過言ではありません。その後昭和54(1979)年2月に摩文仁の丘に『国立沖縄戦没者墓苑』が完成したときに、多くの遺骨は移されましたが、貧困にあえいでいるさなか住人の手によって国籍軍民問わず集められた遺骨を納めるべく建立された『魂魄之塔』は、今なお沖縄県民をはじめ沖縄で戦死された兵士の遺族の『心の拠り所』としてその存在感を放っているように思えます。慰霊の日当日に訪れたのは初めてですが、17:00過ぎという時間にも関わらず数多い参拝客がおられるのを見て改めてそう思いました。献花・千羽鶴・酒・飲み物・食べ物などが塔を取り囲むように隙間なく並べられていることからもその思いは募ります。 そして魂魄之塔斜め向かいの『沖縄菩提樹苑』、年に一回慰霊の日にのみ解放されるこの場所は、ブッダが悟りを開いたとされる『聖なる菩提樹』の分け木が植えられています。インドから2300年もの間持ち出された記録がないものですが、沖縄戦没者慰霊の意図を解したインドの高僧らの働き掛けもあり3本の分け木が平成17(2005)年に沖縄へとやって来ました。その後ブッダ涅槃の地クシナガラに於いて生誕に纏わる『無憂樹』と涅槃に纏わる『沙羅双樹』を取得し、更に平成19(2007)年5月には海洋博記念公園管理財団から別に無憂樹の分け木の寄贈を受けています。沙羅双樹は本土の露地栽培では育たないとされていたこともあり、ある程度成長してから植樹されました。現在ではハウスとなっている沖縄菩提樹苑ですが、以前は天井部が解放されていました。しかし沖縄特有の天候や、海に近いために受ける『塩害』、そして『カミキリムシの巣』が樹木内に作られたことにより気が弱ってしまったことなどを踏まえて今の形式になったようです。慰霊の日の当日に訪れることは一年来の願いでした。本来ならばその『聖なる菩提樹』自体に手を合わせることは間違っているのですが、つい流れで手を合わせてしまった自分には、そのありがたみを肌で感じたような気がしてなりませんでした。 車へと戻って今来た道を戻ります。そして米須(西)交差点手前で車を停めます。ずゐせん之塔、やはり沖縄戦に学徒看護隊要員として従軍された沖縄県立首里高等女学校の戦没者を祀った慰霊碑です。やはりこちらもひめゆり之塔からさほど離れていないにも関わらず梯梧之塔同様通常の日には訪れる方も少ない場所のひとつです。しかし慰霊の日の今日は多くの献花と千羽鶴が手向けられていることを確認することができます。私自身ちっぽけな人間なので、一人ではどうこうすることもできませんが、他力的に訪れる方が『絶対にいる』日であれば、その光景に安堵してしまいます。昨年同様今年もそうでした。慰霊に訪れた多くの人々の気持ちが天国におられる志半ばで斃れたすべての学徒の皆様に届いていることを信じ、私も手を合わせます。 この場所は路駐しかできないため、長居をすることができません。なので手を合わせるとすぐに出発します。行きに立ち寄ったファミリーマート糸満米須店に立ち寄ったあとそのまま平和祈念公園に向かいます。18:00では少し早いのですが、いくつかの『光』をテーマとしたイベントが行われるためそれを旅の締め括りにしようとやって来ました。ただ明るいうちはどうしようもないので、個人的に所縁の場所を回ります。祖父の名が刻まれた『平和の礎』、『栃木之塔』そして『沖縄戦没者墓苑』。栃木の塔にはそれ程のお供え物はありませんでしたが、礎と墓苑には多くの供物が手向けられていました。私自身一年ぶりに訪れたこともあり偉そうに言うことはできませんが、やはり訪れる人の多さがわかるものが確認できると安堵する気持ちは確かにありました。栃木の塔の石段を上り下りし、摩文仁の丘の坂道をてくてく歩き、息切れするかしないかのレベルで辿り着いている自分に気付き、禁煙とウォーキングをしないと…と改めて感じた私でした。 そして19:30を過ぎた頃に平和祈念公園へと戻り『光の祭典』を見学します。『命どぅ宝』の碑の向かいに今年3月に『全学徒隊の碑』が建立されました。それが初めての慰霊の日を迎えるということが話題となっているようで、なにかにつけてメディアが撮影をしています。各学徒隊の知名度の差や、戦没者遺族・同窓生の高齢化によって学徒隊の慰霊祭を執り行うことが困難になってきた昨今、戦禍に斃れた学徒隊やそれを構成していた少年少女のことを風化させないとの思いから、沖縄県に関係者からの働きかけがありそれが実を結んだ結果です。ただ依頼者と建立者の間には『意識的な隔たり』があり、全学徒隊の慰霊碑という意味合いを持っていたと書かれていましたが、沖縄県曰く『モニュメント』としての位置付けで建立し、特段慰霊祭を行うものではなしとの見解を示しています。この『碑』の存在によって『学徒はひとつではなかった』という『史実』を訪れるものすべてが理解するならばそれはそれで良いようにも思えますが、実際そこまでの結果を残せるのかは正直疑問も残ります。多くの願いがあった『全学徒隊の碑』ゆえそれに対しいちゃもんをつけることはしませんが、その目的を恒久に伝える『役目』を果たして貰いたいと願うのみでした。 後夜祭に於ける光の祭典は、『平和の光の柱』・『灯篭流し』『ペットボトルキャンドル点灯』の3つになります。平和の礎手前の池で行われる『灯籠流し流し』は、沖縄県では珍しいものでもあります。灯籠に願い事を書いて池へと流す一連の作業、そして池にぷかぷかと浮かぶ灯籠ひとつひとつに平和への願いが込められています。そして平和の礎の平和の広場では、『平和の火』を取り囲むように5本の『平和の光の柱』が摩文仁上空を照らしています。日本・アメリカ・イギリス・朝鮮半島・台湾の5ヶ国5地域の戦没者を表した神秘的な光の柱というのが主催の沖縄県平和祈念財団の発表です。ただなにも考えずに見るのであればいいのですが、余計なことを考えてしまうとなんでもが良いように思えなくなってきます。今年は雲があったため下から見てもすぐにわかる状態になっていましたが、例年だと夜空に向かって光の柱がただ伸びているとしか見えないことが多いです。そういったこともあり今年はラッキーかも…と考えていると意外な反論にであいました。戦時中に船舶に乗り組んでいた『元兵士』の方々は、この景色を見て戦時中を思い出さないかというものです。沖縄県に於いては『軍に纏わる資料館』がないため、直接その話題に触れることもないのですが、本土ではそのことを裏付ける資料が展示されています。70余年前船舶に於ける夜戦は『探照灯』を用いた戦いが主流でした。その明るく大きくの探照灯を髣髴させるものであって、ご自分が体験された『海での夜戦』と被るものがあるのではないかという考えでした。確かに『見た目』はそうなのかも知れません。しかし『大もと』が違うのではないでしょうか。戦時中に使われたものは『タングステン光』つまり暖色系の色をしていたものになりますが、この『平和の光の柱』に使われているのは『白色光』です。光の色が違うと受ける印象も大きく異なるため、それは言いがかりに近いように思えます。勿論当事者からそのような申し出が出るのであればともかく、付け焼刃の知識でそのように解釈してしまうのは、『無知』を曝け出しているのに過ぎないのではないでしょうか。あくまでこの『平和の光の柱』は沖縄戦で戦没した所縁の国々の兵士・軍属・民間人の慰霊の意味を込めてと謳っている以上、余計な口出しをする必要がないと私は思いました。 慰霊の日の後夜祭も見学をすることができました。通路に並ぶ『ペットボトルキャンドル』は、毎年意図的なものを含めて倒してしまい、火が消えているものが多く見受けられるものの、その対処はされずに次の年にまた同じように行われています。ただ『光』に拘る『慰霊の日後夜祭』の意図には、戦時中に飛び交う砲弾を避け、敵兵に見つからないようにするため真っ暗な壕の中に潜んでいた多くの人々の御霊を慰霊していることは容易にわかることなので、現実の運営に関してはともかく意図として私は受け止めているのが本音です。それも20:00を過ぎると西に位置する沖縄も夜の帳に覆われます。年々滞在時間が短くなってきているこの沖縄県営平和祈念公園ではあるものの、今年も前夜祭込みで回ることができました。 そして車へと戻って走り出し、いつものファミリーマート糸満米須店で飲み物購入と一服し、宿泊先へと戻ります。20:38という時間は本日の宿泊者の最後ではありましたがいつものことです。食事を済ませ明日はもう帰るしかない今日、荷物を纏めているうちに今日一日分の撮影したフィルムを送付していなかったことに気付きます。みん宿ヤポネシア近くのポストは小さいこともあり、A4サイズの封筒ならば折り曲げなければいけないかもという危惧もあり、ちょっと車を走らせて昨晩同様隣町の具志頭郵便局のポストへと向かいます。南風原郵便局の集配の方が早いのは早いのでそちらを選択していますが、さすがに旅四日目体力も限界に近付いていることも感じており、宿へと戻ったらシャワーを浴びるとすぐベットに入ります。色々な思い出や明日どこへ行こうか…等の思いは走馬灯のように出てくるのですがもうそれを考える余裕もありません。気がついたらやはり寝ていました。そんな感じで四日目の夜は更けて行き、いよいよ淡海之国へと帰る日を迎えます…。zzz   《次編へ続く》
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沖縄県の旅行記 お疲れモードのたかティムさん。
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沖縄 ,第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて?
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2016/03/01~" . 2016/06/23
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて?

第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて? 最も熾烈な地上戦が行われた沖縄の地で、年端も行かない少年少女が学徒隊として動員され、多くの犠牲者を出したことはなにがしらの話で聞くことはあると思います。しかし学徒隊=ひめゆり学徒隊(部隊)という先入観があまりにも大きくなってしまっており、またその関連史跡を訪ねる時に漠然とした目的のない平和学習の結果、誤った事実が当たり前になっているのではないでしょうか? ひめゆり学徒隊というのは沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒により構成された学徒看護隊のことを指し、一高女の学校広報誌の名前?乙姫?と沖縄師範学校女子部の学校広報誌の名前?白百合?を併せて?ひめゆり?とした戦後の命名に由来するという説からきています。その他にも学徒隊は構成され女子が15?19歳、男子が14?19歳までが学徒動員され、20もの学徒隊が作られました。しかし残念なことに生き残られた学徒の方々が非常に少なく、規模の小さな学校で構成された学徒に至っては情報が少なく、その存在すら知られていないものが多々あります。個々の史跡で追いかけるよりも学徒隊の動きでその足跡を追い掛け、少しでも検証できればと思い書き始めました。 初回は私立積徳高等女学校の生徒による学徒隊であった?ふじ学徒看護隊(積徳学徒看護隊)?の足跡を追ってみようと思います。 まずは私立積徳高等女学校の歴史ですが・・・。 1918(大正7)年 私立家政女学校(大典寺の庫裏を教室として始められる)本科3年、別科1年 1930(昭和5)年 高等女学校になる(四年制、生徒数200名超) 1932(昭和7)年 美栄橋に移転 1943(昭和18)年 沖縄積徳高等女学校と校名を改める 昭和19(1944)年10月10日 十・十空襲で校舎全焼。その後ほとんどの授業が停止され、全校あげて垣花、天久、識名などの高射砲陣地構築や国場での戦車壕掘り作業に従事するようになる。 昭和20(1945)年2?3月 4年生55名が看護教育を受けるようになり、東風平国民学校にあった第2野戦病院壕で実習訓練を受ける。 昭和20(1945)年3月 沖縄戦の開戦が避けられない状況となり、実習は打ち切り。生徒達は学徒看護隊として豊見城城跡にあった第24師団第二野戦病院本部壕に55人中25名が入隊し、その日から負傷兵の看護に当たった。その際卒業式は中止になっている。 昭和20(1945)年5月27日 戦況の悪化に伴い糸洲の自然壕に移動命令が出される。 昭和20(1945)年6月17日 米軍の馬乗り攻撃を受け、壕内の患者に犠牲者が出る。  昭和20(1945)年6月27日 第二野戦病院長小池勇助少佐が、野戦病院を解散させる。その際学徒隊ひとりひとりに労いの言葉をかけた。 昭和20(1945)年7月2日 米軍が掃討作戦終了を宣言する。 昭和20(1945)年9月7日 嘉手納基地内での降伏文章への調印によって沖縄戦が正式に終了する。 戦後 積徳高等女学校は復興されず廃校となる。 平成12(2000)年 積徳高等女学校関連の戦没者職員5、同窓生44人、学徒23、計72名が合祀された慰霊碑が、設立者大典寺境内に建立される。 国道331号線バイパスを空港から糸満市街へと向かう途中、左手に看板があります。糸洲の壕(ウッカーガマ)と呼ばれるこの自然壕は、豊見城城跡にあった第24師団第二野戦病院が、第32軍司令部の南部撤退命令を受けて、昭和(1945)20年5月27日にこの地に移動して来ました。第24師団第二野戦病院には私立積徳女学校生徒から構成された?ふじ学徒看護隊?25名が配属となっており部隊に行動をともにしています。 水が豊富に湧き出ていた場所だったため、炊事などには困らなかったものの壕内は常に湿っており、学徒隊の足袋は乾くことがなかったという証言が多くあります。しかし敗戦を免れなくなった昭和20(1945)年6月17日に最初の馬乗り攻撃を受け、学徒をはじめとする人々は壕の奥へと移動します。しかし戦況は既にどうしようもないところまで来ており、行動をともにしてきた衛生兵も斬り込み隊に任命され、夜襲をかけたものの戻ってくることはありませんでした。衛生兵が減った分の仕事は学徒隊に回ってきたという証言も残っています。 この時期になって第32軍司令部より他の学徒隊同様?解散命令?が出されます。砲弾が飛び交う戦地での解散命令は=死を意味するものでした。事実他の学徒隊の戦没者のほとんどがこの解散命令発令後に出ているのは周知の事実です。連絡網の状況によるものなのか、解散命令が出されている日にちは6月17?19日と記録されているものが多い中、このふじ学徒隊に出されたのは6月26日のことでした。この約1週間の解散命令の?ずれ?はなにを意味するのか…。それが結果的に学徒隊の犠牲者を最小限に食い止めた部隊長の判断によるものだということはあまり知られていないことです。第24師団第二野戦病院院長小池勇助軍医少佐、長野県佐久市のご出身で地元中込駅前で眼科の開業医をされておられたそうです。3回目の招集で沖縄に来られた小池隊長は他の部隊とほぼ時期を同じくして受け取った解散命令を、この状況で出すことは危険極まりないとの判断で軍命を握り潰し、壕内に残る選択肢を取ったようです。そして6月26日には第32軍の牛島司令官と長参謀長の自決の報を受け取り、日本軍の組織的抵抗の終焉を知った上で解散命令を出します。 学徒隊の前で最後の訓示をした小池隊長は、「日本は敗けました。もし負け戦になるとわかっていれば、あなた達を預かりませんでした。親御さん達に本当に申し訳ない」と深々と頭を下げられたそうです。しかし鬼畜米英の教育を受けた学徒達もそう簡単には引き下がりません。捕虜になるくらいならば自決を選ぶと最後まで隊長をはじめとする野戦病院と行動をともにしたいと食い下がります。そこで小池隊長は静かに語り掛けたそうです。 「捕虜になるのは恥ではありません。本当の恥は死ぬことです。なので決して死んではいけない。必ず生きて家族の元に帰り、この凄惨な戦争の最後を後世の国民に伝えて下さい」と。小池隊長は泣きじゃくる学徒達とひとりひとり握手をして、壕から送り出したそうです。 数人のグループで行動して逃げるように指示は出されていたものの、中には団体行動から外れる恐怖に苛まれ、壕付近に留まるものもいたそうです。まだ米軍による掃討作戦が終了していない中、ビラや拡声器による投降を促していた時期でもあるため、その生徒は米軍を通り過ごしてからばらまかれていた?タバコ?を拾い、小池隊長に渡そうと病院壕へと入ったところ、変わり果てた小池隊長の姿を発見します。青酸カリによる服毒自殺だったとされています。 結果としてふじ学徒25名のうち戦死者は3名(1名は戦後自死)という動員された学徒隊の中で最も少ない犠牲者だったことがわかります。戦死者数の多い少ないで語れる話ではありませんが、適切な判断がなされていれば犠牲者がこれ程多くはならなかったのではという仮説が出てきます。 「命を大切に」と言った小池隊長がなぜ死を選んだのか。本人が亡くなっているため推測の域ではあるものの、やはり小池隊長も軍人だったということだと思います。軍命とはいえ医者の本分である?治療?が出来ず、多くの兵士の命を救えなかった…。そして撤退に纏わる移動に於いて、重症患者を置き去りにしなければいけなかった…。それも僅かな食料と手榴弾という?生?とは全く逆のものを残してやらなければならなかった。沖縄戦において命の尊さを説いた数少ない軍人であった小池勇助隊長だったが故に医者としての仕事と現実の葛藤に悩んでいたことは容易に想像がつきます。非常識な言い方ですがもし学徒を含めた犠牲者が大変多かったなら、自分自身で生き長らえて後世へ伝えなければならないという?義務感?は持っておられたに違いないと思います。しかし近隣で多くの犠牲者を出していた学徒隊に比べると、ふじ学徒の犠牲者は少なかった…。戦争を起こした訳ではないにしろ、隊長として陸軍病院を引率した責任者には違いない…そのため最後に自分自身の進退を決められたのではないかと思います。 ふじ学徒隊の慰霊碑は戦争でなくなってしまった学び舎があった付近那覇市松山の大典寺境内にあります。小池隊長のお墓は地元野沢の本覚寺に建立されており、回忌法要には積徳高等女学校のふじ学徒隊メンバーが訪れ、命の恩人との繋がりを今なお続けておられます。 十把一絡げに軍が悪いという表現が多々見られる中、軍を構成する軍人までをも悪人と決めつけられている風潮があります。軍人とは言え一人の人間、その中には?戦争?という時代の流れに翻弄されながらも、必死に命の尊さを説き続けた方もおられることを忘れてはならないと思います。 もうひとつまた小池院長の部下として行動を共にされた島尾二中尉。やはり医者としての心を忘れなかった軍医の一人です。第24師団第二野戦病院の移動の時、小池院長は自力で動くことのできない重症兵の?始末?を命じられるものの、枕元には青酸カリではなく乾パンと手榴弾を残していったそうです。ならば命令無視か?ということにはなるものの、部下の島尾中尉のしたことに肯定も否定もしなかった小池院長の姿が、生存者の手記に記されています。立場的に命令無視を認めることはできなくても、人の気持ちを忘れない小池院長と部下の島尾中尉。その二人の心の中には通うものがあったのではと思えてなりません。最終的に小池勇助軍医中佐は自決されました。しかし島尾二中尉は生き残られふじ学徒生存者の方々とともに、豊見城城跡公園にある旧陸軍第24師団第二野戦病院患者合祀碑の建立に尽力されたそうです。しかし現在豊見城城跡公園は閉鎖中で、この第二野戦病院跡を訪れることはできません。もう結構な期間閉鎖されているのでなんとか再開して欲しいとは思うのですが…。 最後に小池勇助軍医中佐辞世の詩を紹介します。 南の孤島の果てまで守りきて      御盾となりゆく吾を    沖のかもめの翼にのせて        黒潮の彼方の吾妹に告げん 【平成28(2016)年6月23日木曜日追記】 現在空手道場の建設が進む旧豊見城城址公園ですが、慰霊の碑には特例として参拝を認めているとの情報を得ました。しかし公式な情報という訳ではなく、あくまでもwebに書かれている情報のため、事前に確認することもできませんでした。ならば行って確認するしかないので、旧豊見城城址公園入口付近をよく見ながら車を進めると、どうやらそれらしき記述を発見し、表記通りに進みます。舗装路は拝所で止められていますが、広場からは進むことができ、それらしき場所まで歩いて行くと・・・、ありました。第24師団第二野戦病院患者合祀碑が。昭和57(1982)年に島尾ニ軍医やふじ学徒看護隊の生存者の手によって建立された慰霊碑です。島尾軍医はこの碑の建立を心待ちにされていたそうですが、願い叶わず亡くなられたそうです。 慰霊碑に手を合わせ、確かこの碑の下に野戦病院壕があるという記憶に従い歩いて行くと・・・、見つけました。しかし以前のように標識がある訳でもなく、ただ入口を塞ぐようにしているものが妙に違和感を感じさせるものであり、慰霊碑との位置関係をGPSで確認したところ間違いないという結論に至りました。 10年以上もの間放置されており、一見するだけでも落盤の危険性を感じるものゆえ、入口にて手を合わせ、カメラを壕内に入れてカメラに収めました。元々復元壕だったため、戦中をそのまま残している訳ではありませんが、ふじ学徒看護隊が籠ったひとつの壕として早急な対策の必要性を感じました。 第24師団第二野戦病院はこの豊見城城址の後南部へと撤退し、糸洲の壕へと向かったあとその地で学徒看護隊の解散命令を受けることになります。他の学徒看護隊に対する解散命令が、第32軍司令官自決の直前に出されていることに対し、積徳高等女学校学徒看護隊は部隊長小池勇助軍医中佐の独断で命令を先送りし、6月26日に出したことにより多くの学徒隊員の命が助かっている事実は先述した通りです。 この第24師団第二野戦病院と積徳高等女学校学徒看護隊の足取りを辿るものは、現在私が把握しているものではこれですべてです。?第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて??はこれにて終わります。 《平成29年6月23日追記》 本年春頃に?糸洲の壕?隣にある?鎮魂之碑?が建て替え工事中だったことを知り、確認のため訪れました。1年前には畑が広がっていたエリアは更地化され、慰霊之碑は既に新しいものに建て替えられていました。しかし壕入口には『立入禁止』と書かれた柵が建てられており、自由には中には入れなくなっています。 追記?:平成28(2016)年3月1日 追記?:平成28(2016)年4月16日 追記?:平成28(2016)年6月23日 追記?:平成29(2016)年6月23日
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沖縄 ,沖縄南部の旅 泰安洋行 琉球の歴史と文化 そして鎮魂巡礼 沖縄平和祈念公園 ひめゆりの塔 斎場御嶽(せいふぁーうたき) 瀬長島ウミカジテラス ガンガラーの谷 知念岬 豊崎美らsunビーチ 
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沖縄
沖縄県への旅行者
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沖縄県の旅行時期
2017/07/08~" . 2017/07/11
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

沖縄南部の旅 泰安洋行 琉球の歴史と文化 そして鎮魂巡礼 沖縄平和祈念公園 ひめゆりの塔 斎場御嶽(せいふぁーうたき) 瀬長島ウミカジテラス ガンガラーの谷 知念岬 豊崎美らsunビーチ 

♪本日のBGM「Roxy Music - More Than This (DreamTime Mix)?邦題 夜に抱かれて? 沖縄最終日 ようやくあの地へ赴くことになる――。 初日、嘉手納へ向かう道中いつだったか、今回の旅でずっとお世話になった女性ドライバーにこんな軽口を叩いていた。 「昔はねーーー夏となると海ばっかりでバシャバシャ泳いでは浜辺に寝そべって日焼けどころか大火傷していましたよ(笑)。僕ねーー、今回海水パンツもビーチサンダルすら持ってきてないんです。海は黄昏時眺めるものだと、この歳になってようやく、よーやく気づいたんです(笑)」 「それ、沖縄のひとと一緒ですよ(笑)。沖縄のひとたちあんまり海に入りません」 「あっ、なんかで聞いたことがある。泳げない人けっこういるらしいですよね」 「ええ・・・・・・・・・・・(笑)」 「あれがラナイ橋ですよ」 ラナイ橋から眼下に眺める海はクリームソーダとコバルトブルーのグラデーションで今回最も美しいと思える海だった。午前早くは太陽の光の屈折の関係であまり海の色が美しくないと言われるがなかなかどうして今回一番のグラデーション。 でも、ラナイ橋、カナイ橋というけど一瞬で通り過ぎてしまった。 「斎場御嶽(せーふぁーうだき)行かれます?時間なら大丈夫ですよ」 「じゃあ、行ってみますか」 「駐車場がすぐそこまであったのですが、環境保全のためちょっと離れた場所になります。一般車両は進入禁止になったんです。あの信号を渡ってしばらく歩きます。あっ、まるくん、チケット売り場はそこですよ」 わかってはいたが、今しがた駐車場に横付けした軽ワゴンの運転手がめちゃくちゃ可愛いのについつい目と集中力がいってしまっていた。車には南城市のマーク、どうやら市の職員らしい。チケットを買うのを余所に彼女がワゴンから降りてくるのを今か今かと待ち構えていて、不思議に思った運転手さんは降りてきて私をチケット売り場へ導こうとする。 酷暑の中、御嶽入り口までですでに汗だくとなってしまった。御嶽(うたき)とは、沖縄の聖なる空間であり、祈りの場。斎場御嶽は、琉球の創世神話に登場する沖縄の七御嶽のなかでも最も格の高い聖地とされている。もともとは男子禁制の場で、琉球国王でさえ聖域内に入る際には女性用の衣装に着替えたと伝えられている。 高台から眺めた海、東には神の島として知られる久高島を拝む。 本島南部は沖縄というより琉球とまだ呼ぶにひさわしい風土と歴史と文化が色濃く残っている。 「知念岬も行きますね」 知念岬公園を駐車場すぐの東屋から水平線を見下ろす。視界のすぐ左手に平で長細い久高島、右手手前に小さな無人島コマカ島。カメラのズームで覗くとボートが浜辺に泊まりパラソルと人影が見える。 あの突先までは行かなくていい、ここで十分だ。 どこかで見たことがある風景だった。 すぐに思い起こした。 昨年のちょうどこの時期の夏訪れた阿蘇外輪山からラピュタの道を眺めた場所にそっくりだった。 海と山の違いはあれども、それを髣髴させられるデジャ・ヴューな風景だった。 目に見えない糸をたぐるように何かと何かが繋がっていく。 あのとき、ラピュタの道は無残にも崩れていて復旧はまだまだ遠い先である――。 「まずは手を合わせます」 いわれるのとほぼ同時に私は自然と頭を垂れ手を合わせていた。 雄大な海蝕崖景観の海岸線を有した珊瑚礁台地に立っている。 「この「平和の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島なんです。そこで採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」、それから長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものです。沖縄戦終戦の6月23日から終戦記念日まで灯されます」 「ずっと消えないのでは?」 「はい。種火はそうですが、こうして外部に灯される期間のことです」 平和広場中心の平和の礎(平和の火)でもあらたに黙祷を捧げる。 「あのバンタは・・・・・・・・・・・・・?」 目を開けた先の直線上に断崖絶壁と海岸線、波打ち際の荒々しさに、何故か胸騒ぎがした。 「この断崖と、ここに平和公園があることになにか関係ありそうですね?」 「はい。そうなんです。ギーザバンタ(慶座絶壁)です。沖縄戦末期、南部戦線で追い詰められた多くの住民や日本兵が身を投げたと伝えられる場所です。今でも自殺の名所と言われています・・・・・・・・・・・。沖縄は今でも死体が海からあがるときが多いんです・・・・・・・・・・・・・・」 「!!・・・・・・・・・それで海に入らない?・・・・・・・・・・」 はじめてひとり旅らしい旅行をした北海道の積丹半島の絶壁を思い起こすような断崖絶壁で私は絶句した。 「あの木は何ですか?」 旅先で、こんなに質問調子の会話を私はあとにも先にもしたことがない。「モモタマナです。沖縄の方言でクファディーサ、悪魔を吸い取る木といはれています」 「意味があったんですね。あれは?」 「平和の礎(いしじ)です。国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑です。24万人の名前が刻まれています。まだ1万人ほど記名がない碑もあります」 「まだ増え続けていると?・・・・・・・・・・」 「はい。なかには○○の子など、生まれたばかりで性別すらつかない赤ちゃん、戸籍が消失したひとらも○○の子などと書かれています」 「訪れるひともそうでしょうけど、語れるひともどんどん少なくなってきますよね。広島もそうだと聞いたことがあります。そりゃどんどん高齢化だし・・・・・・・」 「はい、もちろんそれもありますが・・・・・・。語らない、語れないんです。今でも沖縄のひとたちは。例えばですね、お互い殺傷して自決を図るも、片や生き延びたひともいます。たとえ親戚であっても絶対公言してはならない。固く言われ続けて今日まで黙して語らず、墓場までそう至るひとも少なくありません。ようやく、ようやく話し始めたひともいます」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 このあと訪れた平和祈念資料館や平和の塔のことは語らなくともよかろう、このあと慰霊に訪れたひめゆりの塔のことも含めて自分のなかにだけしっかりと心に留めておきたい。 ひめゆりの塔で献花用の花束をまるで観光土産かのように売っていたおばさんたちにちょっと腹が立ち、同時によそ者としての自分にちょっと安堵した。そういう性分の自分が大嫌いだ。  瀬長島ウミカジテラスで昼食をとったあと、長くて短い沖縄の旅を終える。 帰りの飛行機は沖合いから大きく右旋回して、つい先ほどまで過ごしたウミカジテラス、百名ビーチなど南部の海岸線上空を行く。 先ほどトウキビ畑が連なる糸満市上空もかすめた。 糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地、ここが沖縄戦終焉の地だ。 【私たちの】【最後の戦争の地】だ――――。 ギーザパンタに対面したときの胸騒ぎは一生忘れることはないだろう。 しかし、自己のなかで解禁となった、これから沖縄の地を踏む回数を重ねる度に、これまでこだわってきた想いはどんどん薄れていくのかもしれない。 でも、心配はしていない。 これからも、沖縄は長崎、広島と同じく私にとってもっとも【大切な地】だから。 【年を重ねるということは希望しか見えてこない】はずなのだから――――。
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沖縄 ,沖縄の一番長い日を辿る旅?第72回全戦没者追悼式と慰霊の日:平成29(2017)年6月23日金曜日?
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沖縄
沖縄県への旅行者
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2017/06/23~" . 2017/06/23
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

沖縄の一番長い日を辿る旅?第72回全戦没者追悼式と慰霊の日:平成29(2017)年6月23日金曜日?

例年6月23日に沖縄県糸満市の沖縄県営平和記念公園で挙行される?沖縄戦全戦没者追悼式?式典。戦後72年となった今年も訪れることができました。 3回目となった?戦後72年沖縄戦全戦没者追悼式?には、午前中に野暮用を済ませてから向かったこともあり、開演には間に合わず正午の黙祷はシャトルバスの車内で行うことになりました。それから会場入りし式典を見学するも、例年に比べ式典会場が広く取られていたこともあり、結構見辛い場所にしか陣取れません。プログラムそのものは変わり映えがなく、流れるプログラムに耳を傾けていました。 来賓の平和宣言も翁長沖縄県知事・安倍首相の的外れではないにしろ、建設的な内容とは到底思えないものでした。その安倍首相の平和宣言の最中にちょっとした事件が起こります。私の立ち位置から少し離れた場所に於いて、戦争を経験しただろうおじいが声を張り上げます。これはメディアでも取り上げられていたので既に知られていることかも知れません。戦後生まれの私には理解できるものだとは到底思えませんが、この出来事には少し違和感を感じました。 式典の進行を妨げるものという判断はされるものではないにしろ、このシュプレヒコールには?前座?がありました。それまで緑地帯に座っていた数十人の子供達が申し合わせたように急に会場に近付き、それによって周りの目が安倍さんからそちらに移った後に行われたもの。言っている内容はともかくどう考えても?作為的?にしか思わない出来事でした。その後式典の進行とは別にインタビューを受けていたおじいですが、正直?これで良いのか??と疑問にしか思えませんでした。 沖縄戦を経験しその悲惨さを伝えることが年々難しくなっている中でのこの一件、わからないでもない出来事ではありました。しかし私が許せないのは子供達を使った?演出?のことについてです。沖縄戦の凄惨さを物語る出来事として、窮地に追い込まれた大人が子供を手に掛けた事実があります。自発的なものではないにしろ結果としては事実です。そのことがダブってしまうことが私がそう思った理由でもあります。 子供を守れなかった?史実?がわかっていながら利用した今回の出来事には憤りすら感じずにはいられません。そんな残念な一幕があった本年の?沖縄戦全戦没者追悼式?の式典でした。 平和祈念公園での式典の後、即座に場所を変えて?白梅之塔?へと向かいます。 第71回白梅之塔追悼式典。学徒看護隊として従軍を余儀なくされ戦没された沖縄県立第二高等女学校生徒の追悼を目的としていますが、21校あった学徒隊のうち高齢化が進んだことによってほとんどの追悼式典が遺族や同窓生が直接的に関与を取りやめる時代に於いて、唯一同窓会が直接挙行されている慰霊式典でもあります。白梅学徒を知る人に知らない人はいない位有名な中山きく氏御年88歳。16歳の時に白梅学徒として従軍され、数少ない?生き残られた?おひとりで、現在白梅同窓会長を務められておられます。同じく同窓会副会長を務められている武村豊氏御年88歳、その他元白梅学徒隊の皆様がお元気にされておられるお姿を見に行くことが、私の白梅学徒慰霊祭を訪れる?ひとつの理由?でもあります。71回目の今回、ついに中山会長より重大な発表がありました。 『今のような儀式にせず、もっと若者中心にやってほしい』と。つまり同窓会員の高齢化に伴うことに加えて、慰霊祭そのものの『具体化』を取り入れるとのお考えにより、本年を持って同窓会主催の慰霊祭は終了とし、来年からは学徒隊に関心を持ってくれる人たちとの?平和を願う集い?として開きたいというものでした。慰霊祭が儀式化していることは確かに否めませんが、やはり?伝承?を考えることは必要不可欠なものに違いありません。一方的に大人の感情や考えを子供達に?押し付ける?のではなく、討論会的なものにするのであれば、ここが持つ考えは例え違っても思う気持ちが?同じ?であることは、付け焼刃の平和主義とは違う建設的なもののように思えます。 一昨年・昨年と3度目の慰霊の日となったこともあり、今年を最後に考えていた思いはありました。しかし色々な意味で?沖縄戦?を後世に伝えるやり方が大きく変わりつつあることを知りました。慰霊の日に纏わる?追悼式?の情報は、事前にわかるものが少ないため、来沖してから情報収集に走らなければならないため、効率が悪いことも指摘はされています。 内地から徴兵され沖縄の地で戦死した兵士、そして住む場所が戦場となり若くして学徒隊として従軍され亡くなった少年少女。そして戦争に巻き込まれて亡くなった沖縄の人々。置かれる立場は違えど、多くの考えは一緒だったのではないでしょうか?そんな思いを強く感じた平成29(2017)年6月23日金曜日の慰霊の日でした。
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沖縄県の旅行記 招待者入口はいつもと同じようです。
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沖縄県の旅行記 ?誓い?私達のおばあに寄せて?を朗読する県立宮古高校...
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沖縄県の旅行記 翁長雄志沖縄県知事はいつもの抽象的で解りづらい内容の...
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沖縄県の旅行記 そして安倍首相の平和宣言の最中に事件が起こります。
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沖縄県の旅行記 私のすぐそばで異論を唱えたおじい一名。しか?し言い方...
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沖縄県の旅行記 12:59にいつものごとく10分延長して式典が終わり...
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沖縄県の旅行記 インタビューを受ける上原愛音さん。沖縄の可愛い女の子...
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沖縄県の旅行記 一般焼香を待つ人の群れ。結構な数です。
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沖縄県の旅行記 徐々に祭壇へと近付いて行きます。
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沖縄県の旅行記 あと3人位の位置が全体を見通せる限界です。
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沖縄県の旅行記 それではお焼香をさせて頂きます。
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沖縄県の旅行記 駐車場の農業試験センターを経由し、白梅之塔へとやって...
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沖縄県の旅行記 同窓会長中山きくさんの挨拶。
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沖縄県の旅行記 鎮魂歌が歌われています。
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沖縄県の旅行記 前日6月22日夜の追悼式前夜祭の模様ですが、例年とは...
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沖縄県の旅行記 6月22日夜の平和の灯火と平和祈念堂。
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沖縄県の旅行記 白梅同窓会、会長の中山きくさんと副会長の武村豊さん。
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沖縄県の旅行記 武村豊さん。
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沖縄県の旅行記 白梅同窓会慰霊祭の祭壇。
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沖縄県の旅行記 白梅同窓会長中山きくさんから、同窓会主催の慰霊祭は今...
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沖縄県の旅行記 慰霊祭後の梯梧之塔。
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沖縄県の旅行記 都道府県別慰霊塔の沖縄版とも言える慰霊碑には、多くの...
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沖縄県の旅行記 魂魄之塔へとやって来ました。
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沖縄県の旅行記 例年と同じようにCO-OP沖縄奉納の?祈平和?千羽鶴...
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沖縄県の旅行記 同じく慰霊祭後のずゐせんの塔。
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沖縄県の旅行記 再び沖縄県営平和祈念公園へと戻り、栃木之塔へお参りを...
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沖縄県の旅行記 今年3月に建立された全学徒隊の碑。 学徒隊の生...
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沖縄県の旅行記 次に沖縄戦没者墓苑へとやって来ました。
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沖縄県の旅行記 沖縄戦没者墓苑全景。 多くの花や供物が備えられ...
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沖縄県の旅行記 6月23日の夜にも平和の灯火の祭典があります。
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沖縄県の旅行記 平和の灯火。
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沖縄県の旅行記 灯籠流し。
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沖縄県の旅行記 メイン通路は平和の礎、沖縄県と他府県のものの間に並べ...
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沖縄県の旅行記 今日の沖縄は雲が多かったこともあり、その光の柱がよく...
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沖縄県の旅行記 平和の灯。
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沖縄県の旅行記 長い一日が終わろうとする中で燃え盛る平和の灯。 ...
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沖縄県の旅行記 72年目となった?沖縄の一番長い一日?は暮れようとし...
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沖縄県の旅行記 平和祈念堂から見た景色が少し違う…。どうやら位置関係...
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沖縄 ,≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之??戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:3日目?
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沖縄県への旅行者
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2015/06/21~" . 2015/06/24
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之??戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:3日目?

≪戦後70年沖縄全全戦没者追悼式典 祭壇の様子≫ なにも考えずにただ南の島へとやって来て、ぼ?っと時間を過ごすことに始まった沖縄の旅ですが、いつの間にか11回目になりました。中でも一昨年9月に?初石垣?を経験してからは実に1年9ヶ月の間に7回目になります。 いつもは?日にち重視パターン?というより?値段重視?なので、LCCのバーゲンを見つけては手配した後に休みを取るパターンでした。しかし今回は初めて?日にち重視?でまず?宿手配?から始まった沖縄の旅、目的はかねてより一度参列してみたいと思っていた6月23日の?沖縄慰霊の日?に沖縄県営平和祈念公園で執り行われる?戦没者追悼式典?、そして前日夜から始まる?沖縄の最も長い一日?に触れることにありました。 今回はいつもの?沖縄時間?を過ごすこととは目的が異なるため、手配状況によっては旅行会社のフリープランを使うことも考えていました。しかしたまたま1月にJet Starのバーゲンにて?この日?を含む日程でチケットが手配できたため、結局プラン二ングの段階では従来となんら変わらないものにはなっています。ただ内容がかなり?違った?ものになるため、展開を変えています。 この章?≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之??戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:3日目??では、戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列に始まり?沖縄のもっとも長い一日?を過ごしたことについて書いています。 【2015年6月23日火曜日】 糸満市大度 10:26 沖縄晴明の丘公園 10:48 3.6km          11:00 沖縄県営平和祈念公園 11:20 ?戦後70年沖縄全戦没者追悼式典?参列。   11:50?12:59 沖縄県営平和記念公園14:41(並び始めは14:00) 沖縄晴明の丘公園 14:45          15:09 沖縄師範健児之塔 15:13 4.7km          15:44 沖縄県営平和祈念公園 15:57 6.0km            19:56 糸満市大度 20:16// 10.5km【ADD:193.0km】 今回の旅3日目にして?最大の目的?である?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?の日を迎えました。沖縄県の条例で定められている?休日?である6月23日ですが、戦後70年の節目の年でもあり、朝から多くの場所で?慰霊式典?が行われています。ひとつでも多く参列したい気持ちはあれど、なかなか気持ちがついて行きません(泣)。沖縄県営平和祈念公園の?追悼式?は沖縄県の公式行事として?概要?が発表されていましたが、その他は?準非公式?の扱いのようでした。?準非公式?というとあまり聞こえがよくないように思われるのかも知れませんが、慰霊碑を管理されておられる個々の?組織?単位にて?追悼式?を挙行されているため、?情報を発信する?ことまではされておられないようでした。米須霊域の?魂魄之塔?は12:30?(同宿者さんからの情報)、?健児之塔?は10:00?(現地調査)というところは確認しました。 朝食を済ませ、11:50から始まる?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?に参加するために宿を出発します。大度からだと平和祈念公園へは右折するとすぐですが、飲み物を購入するため?ファミリーマート糸満米須店?へと向かいます。国道331号線へと入ってすぐ対向側に?横断幕?を持った一団が見えてきます。これが9:00に糸満小学校を出発し、平和祈念公園まで歩く?平和祈願慰霊大行進?の一団ですが…、警察車両の護衛はなしのようです。一般財団法人沖縄県遺族連合会の主催で行われているものですが、遺族そのものの高齢化に伴い、その?関係者?が主になっているようです。しかしこの?慰霊の日?は毎年?天気が良い?と言われています。今年も例に漏れず、?炎天下?での行進は思いの外?重労働?のように見えました。実はヘタレの私も参加を考えましたが、糸満小学校から沖縄県営平和祈念公園まで10.3kmと、結構な距離を歩く自信がなく諦めました。まあ半分強の距離である糸満市米須で、かなり長い列にはなっていましたが、?大声?を上げる訳でもなく黙々と歩く姿には賛同はできますが、かと言っていつ来るかわからない?最後尾?まで見ることは、時間的に無理でしたが…。 行進団は?赤信号OK?なので、タイミングよく出て行かないと?道路?にすら出られません。そこは十分注意を払って出発し、?駐車場兼シャトルバス乗場?である?沖縄晴明の丘公園?へと到着します。?沖縄晴明の丘公園?というと?海の見える公園?の名前のような印象を受けますが、?霊園?でした。公式情報で書かれていた?県庁?と?豊崎臨海公園?の他、?晴明の丘公園?と?糸満観光農園?が追加されていました。ここに車を停めシャトルバスに乗り換えて、平和祈念公園へと到着します。途中?平和祈願慰霊大行進?の一団が?ショートカットルート(国道までの近道)?を通るため、道を横断することもあり、普段なら?所要時間?すら気にしない距離ですが、結構な渋滞です。勿論それは仕方のないことですが、?徐行?して進むバスの車内からは、様々な景色を見ることができます、いや?見させられる?といってもいいかも知れません。 昨日夜に平和祈念公園を訪れた際、入口の門扉に?辺野古移設問題?と?翁長知事?について?バッシング?する?両意見?の横断幕が貼られていました。?貼るだけ?であれば?見る?も?見ない?も自由だと思いますが、?慰霊式?の当日に?遺族?を含む?参列者?に向けての?シュプレヒコール?というのは如何なものでしょうか。?日本国憲法?のもと?言論の自由?は保障されているため、その?言動?そのものには問題はないにしても、?慰霊式?に参列することを目的にしている方々に敢えてそれを?見せつける?必要があるのかどうかは?疑問?に思います。?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?という?呼称?が何故付けられたものなのか、遺族の高齢化によって?戦後71年?という呼称は?ないかも?という意見も少なくない中で、?今年が最後?かもしれない・・・という覚悟をされておられる方も少なくはありません。その方々が?乗っているかも知れないバス?に向かっての?抗議活動?は、沖縄戦に於ける?全戦没者慰霊?のために設けられたこの?式典?を冒涜するもののようにも思えます。勿論?政治的解決を図る手段?としての?抗議活動?そのものを否定するつもりはありません。しかしTPOは弁えて頂きたい…。バスの中でも?言っているよ??という意見は出ていました。それがあなた方の?抗議活動?に対する?意見?であり?評価?です。多分すぐ近くの場所で?行うことが許された場所?があったこともご存じない方のようでは話になりません…。 のっけからヒートアップしてしまいましたが、取り敢えず?沖縄県営平和祈念公園?に到着します。年間の?沖縄県公式行事?で最も人が集まるといわれるこの日、さすがに人は多いです。昨日写真に収めた?慰霊式?の?祭壇?前の?テント?下に入るには?金属探知機?チェックを含む?手荷物検査?があります。勿論一般観光客であっても入ることはできるのですが、今回は?式典?内部には入らず、ひとりの?ギャラリー?として?式典参加?をすることにします。?式典内部?と?ギャラリー?参加となにが違うか?ややこしい話ではありますが、公式発表で当日の参加者が5,400名とされていますが、これが?式典内部?の参列者、つまり?手荷物検査?を受けて参列された方で、私のように?式典会場を取り囲む?ように参列された方は、約20,000名位おられます。いくら広い公園とはいえ25,000名を抱えると大混雑になって当たり前です。遺族の高齢化に伴い、昨年は5,000名を初めて割り込んだと書かれていますが、まだ捨てたものでもありません。 そして定刻11:50に?式典の開会?宣言され、正午の?1分間の黙祷?を挟み、沖縄県内外の著名人による?慰霊の言葉?と?献花?が行われます。新聞にも書かれていたことですが、この?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?には、沖縄県知事翁長雄志氏、内閣総理大臣安倍晋三氏、米国駐日大使のキャロラインケネディ氏(Caroline Bouvier Kennedy)が参加されておられます。そのための?厳戒態勢?が敷かれていたこともあるのですが、翁長知事の辺野古問題について言及するも、県内外からの追悼式参加者に対し、沖縄戦の表現を?史上稀に見る熾烈な地上戦?と変えたことに対しては、?平和宣言?としての意味は成しているように感じました。それに対し安部総理は、沖縄戦を?国内最大の地上戦の場?としています。?沖縄戦から70年を迎えた本日?とか首を傾げたくなる?文言?もあれど、?建前論?だけではなかったようにも思います。言葉尻を捉えるような話ではあれど、?全く別次元?の?平和宣言?をされていた訳ではなかったというのが参列者の個人的感想です。 しかし?聞くに堪えない言動?、それが?ヤジ?です。色々な?書き方?をされているものに目を通しましたが、?ヤジの応酬?だったかというとそうではなかったように思います。平和宣言の読み上げているときに5名、退席時に3名、実はそれ位の?ヤジ?しか飛んでいない、もしくは聞こえていない・・・、これが事実です。もしこれが安部総理が平和宣言を読み上げている?数分間?続いていたならまた解釈も変わるように思いますが、公式参列者以外も含む?何万?という参列者の前での?散発的なヤジ?が評価されるものであるわけはありません。寧ろ?TPOを弁えていない不快なもの?と捉えられて当たり前と思います。 追悼式典という?厳か?な雰囲気の中で行われた?ヤジ?…、これを肯定する?マスコミ?の有り方に対しても疑問を感じます。ただひとつ間違いなく言えることは、マスコミも?仕事?でやっているということです。新聞記事のトップを飾る写真を撮ることが彼らの仕事かも知れませんが、あの混雑の中?報道?と書かれた?黄色のリボン?が?葵の御紋?になる訳はありません。前方を見ることに夢中になっている?一般?の方の後ろに脚立を持って近づいて撮影する様は、何ら?追悼式?の模様を?正確に伝えよう?とする意図は感じられません。参列者が追悼式の模様を写真に収めようとしている前に割り込んでカメラを構えている姿…写真に収めておけばよかったと今からすると思います。 その?ヤジ?こそが?沖縄の民意?だったとする意見が多々あるようですが、実際にはどうだったのでしょうか。勿論参列されていない方も多くおられる現実の中で、?マスコミネタ?として取り上げられることが果たして?民意?なのでしょうか。私が平成27(2015)年6月23日11:50?12:59に体験した?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?の話を聞いた方は口を噤みます。場違いだと…。 ?場を弁えた抗議活動?ならば、何か?聴衆に伝わるもの?はあるようにも思えます。しかしそれを?逸脱?してしまうと、?逆効果?になるリスクも考えないといけないのではないでしょうか。公園入口での?辺野古抗議活動?、式典中の?ヤジ?…、これは全く別の人間がやったことなのかも知れませんが、?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?のことを?軽視?した言動の数々を同一視している方が多い…それだけはここで述べておきます。 ?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?参列後、久しぶりに平和祈念公園の中を歩きます。?平和の礎?、沖縄戦に於ける戦没者のお名前が刻まれているものですが、国・都道府県別に50音順に刻まれているものです(追加記銘者は別)。大多数の民間をも含む犠牲者をだした沖縄に関しては、集落単位で刻まれていることは初めて知りました。私も母方の祖父が沖縄戦で亡くなっているため、今まで3回この?平和の礎?を訪れています。前回は1年前の7月に来ているため、なんとなくですが場所を覚えています。見つけました…。ふと気づいたことですが、?平和の灯?に続く道の両端に?平和の礎?が並んでいますが、向かって左側が?沖縄?のご出身者のものだということです。気が付かないとそれまでのことですが、ビジュアルで?沖縄の犠牲者の多さ?を誰もが知ることができる?現実?なのかも知れません。祖父の名前を見つけ手を合わせた後、?平和の火?、そして平和祈念公園の端から見る?海?を見に行きます。70年前にはこの海の色が?赤?だったのか?黒?だったのかはわかりません。また知らなくてもいい平和な時代なのかも知れません。 物想いに耽りたい気持ちはありますが、確か最終のシャトルバスが14:30だったので一旦戻らないといけません。?平和の礎?内の道を戻って行きますが、その駐車場側の入口付近に?記銘位置?を表示するパソコンがあります。場所は覚えていたのと人が多かったので通過しましたが、帰り道に空いていたので寄ってみました。ここでも沖縄の犠牲者の多さを知ることがありました。そこそこご年配の方が操作するのに時間が掛かることは仕方がないことだと思っていました。しかしそれだけの理由ではありません。つまりおひとりが検索される?人数?こそが?身内の犠牲者?であり、そのトータルが?沖縄の犠牲者?だということ。早くやって貰いたいから?手伝った?だけの私は、それを知った時自分の無知を恥ずかしく思うしかありませんでした。 色々とあった?戦後70年沖縄全戦没者追悼式?と?沖縄県営平和祈念公園?の第一弾は終了して、一度?沖縄晴明の丘公園?へと戻って車を取って来ることにします。シャトルバス乗り場へと並びますが、閉式後1時間程経った時間が一番混んでいるようでした。とはいえバスが来ると半分は乗れるので、だらだらと並び続けて40分…やっと順番が回ってきました。しか?しこの時点で14:30の最終バスの時刻をオーバーしています。周辺の混み具合を考えるとそれなりの時間はかかると思っていましたが、帰りは行きの?平和行進専用?とされていた道が解放されており、僅か4分で到着します。さすがに?あれっ?と思いましたが、まだ陽が高いので?行けるところは行こう?と思い車を走らせます。 そして向かった先は、昨年7月に?黎明之塔?より必死になって歩いた?沖縄師範健児之塔?。車で入れることは昨年12月に確認済みなので、解放された道を人を避けながらちんたら走って行きます。駐車場付近にあるのは?閉店したお店?。見た感じ?お土産物屋?だったように見えますが、さほど大きな駐車場でもなければ、どれ位の売り上げがあったのだろう…と思いつつ歩いて行きます。そして約1年ぶりの?沖縄師範健児之塔?に到着します。こちらではご遺族の方が主体となって6月23日10:00?追悼式典が行われていた?こと?が書かれていました。たくさんの献花に囲まれた碑は、70年前砲弾の飛び交う中を右往左往することしかできず、力尽きひとり倒れて行った若者達の無念さと寂しさを?紛らわせる?かのように…。今となっては手を合わせることしかできませんが…合掌。 こちらの駐車場に車を停めてきたのは初めてです。昨年12月の夜に来ている筈なのですが…、?沖縄師範健児之塔?まで行ったと記録していますが、もし行ったのなら?暗闇の道?を歩いて行ったことになりますが…、なんか自信がありません。駐車場より5分程度歩かないといけないので…。なので改めてこの一帯を歩いてみることにします。?沖縄師範健児之塔?の他、?南溟の塔??独立臼砲第1連隊戦没英霊之碑?? 風部隊之碑?の4つの慰霊塔を巡りながら歩きます。 結構アップダウンのある場所を歩いて回った後、もう一度平和祈念公園へと戻ることにしました。駐車場に車を停めるのに若干時間は要したものの、式典前に比べると?おや??っと首を傾げるくらい空いています。今日?沖縄慰霊の日?は、?平和祈念館?や?平和祈念堂?の入場は無料となっています。入場料位は払いますよ?といいながらも、ちゃっかり恩恵を被ります。 まずは?沖縄平和祈念堂?、ここは初めての来館です。そういえば?建物?はあったかな…くらいの記憶しかないのは、いつも沖縄県営平和祈念公園を訪れるときは、時間に追いまくられており、一時間程で回る範囲でしか行動していません。なので最も?低い位置?にある沖縄県営平和記念公園からは、?ヘタレ?は常に?しんどそう…?と思っていたのかも知れません。しかし今日は意を決して向かいます。中心に?平和祈念像?が安置されているこの?沖縄平和祈念堂?ですが、美術館的な要素が強いように思います。連作絵画による?戦争と平和?など、平和祈念館とはまた違ったニュアンスで平和を語っているように思います。残念ながら私には?絵?の良さは分からないためイマイチ理解ができないのが残念でした。 そして沖縄県平和祈念資料館、ここには3回目になりますが、前回来たのが2011年3月17日のこと。いきなり脈絡のない話になりましたが、つまり東日本大震災の6日後だった訳です。その時にどういう経緯があって沖縄へ来たのか、恥ずかしながら?覚えていません?。どこかへ行くために神戸空港へ着いたものの、すぐに乗れる飛行機が那覇行きだったので?沖縄?へ来たというだけのことでした。その頃はまだ?沖縄病?に罹患している訳でもなく、街中をドライブしているうちに着いた先がこの?沖縄県平和祈念資料館?だったように思います。しかしこの?沖縄県平和祈念資料館?で過ごした時間だけは?鮮明?に覚えています。じっくり何時間もいたのか、違います。全く逆で僅か30分程で気分が悪くなり退出しました。なにが原因か?これは展示物にある?人骨の集まり?を見た瞬間、震災の様子と被ってしまったことにありました。私自身?感受性?がそれ程高い訳ではなく、むしろ?無頓着?な方だと思っています。ではなぜ急にそうなったのか?実は私自身仙台に住んでいたことがあり、それも含め?他人事ではない?ように思っていました。そこで見た?沖縄戦?の惨劇の展示物に?オーバーラップ?するものを感じたための反応だったと思います。実はこの話?逆のパターン?があることは、沖縄では知られている話で、特に学徒隊に参加された方が、テレビの震災報道を見て?拒否反応?を示されたことは、当時記事にも書かれていました。PTSD(心理的外傷)に起因するものでしょうが、これは人によりけりとは思うものの、今尚沖縄での?終わらない戦争?を物語ることのように思います。ただ?住んでいた?だけで?拒否反応?を起こす人間もいるのであれば、その?惨劇そのもの?を経験した方の心に負った傷の深さは、到底?知ることができない?ものだと思います。私は専門家ではないのでどうすればいいのかなどわかる訳もありません。3年の月日が過ぎ、やっと直視ができるようになった時にふと思い出したことだったのでここに記します。 炎天下の公園内を避けて涼んでおられる方も少なくはないなか、それなりに?作成意図?が伝わってくる?平和への願い?には、素直にそうなればいいね…と思います。滋賀県知事?三日月大造氏?もコメントを寄せていましたが…。先に遠くから行ったかたちになりますが、本日の沖縄県平和祈念資料館の閉館が18:00だったのでそうしています。 夏の日差しが降りそそいだ沖縄島最南端の地も、日が傾き夕暮れが迫ってきたことで歩きやすくなり、自称?ヘタレ?もまた歩き始めます。摩文仁の丘でも下の方にあるため?行くのが容易?だったはずにも拘らず初めて?島守の塔?を訪れます。官選最後の沖縄県知事?島田叡?氏、沖縄県警部長?荒井退三?氏をはじめとする?沖縄県職員?の戦没者を祀っています。自分の身に降りかかる困難をどう捉えていたのか…、ヘタレの私には想像ができませんが、その逸話が今尚健在で、県民から慕われていることは、献花の数からも伺えます。また?沖縄県民斯く戦ヘり?の電文を発信した海軍沖縄根拠地隊?大田實?司令官が、なぜ?県知事に代わり?沖縄県民の戦いざまを発信したのか?実は島田知事と大田司令官は?肝胆相照らす?関係であったことから、通信能力のない沖縄県に代わり打電したものこそ?沖縄県民斯く戦ヘり?の電文そのものになります。時代背景は戦争中であり、滅私奉公の考えのもとで?一億総動員?が叫ばれていました。しかしその中には?生きる勇気?を語る?偉人?もおられたことは忘れてはならないことだと思います。そしてその隣にある?栃木の塔?、こちらもじいちゃんが眠っている場所として私には特別のものです。できることはただ手を合わせることしかできませんが…。 辺りが暗くなるにつれ、?平和の礎?では?報道番組?を撮っているようです。式典そのものに参加し、?メディア?の有り方に疑問すら感じた一人としては、興味すらないので素通りします。?命どぅ宝(ぬちどぅたから)?の碑の前の池では、沖縄県平和祈念財団主催の?平和の篭流し?が始まりました。同宿のご夫婦が?北海道?代表として参加を頼まれたとの話をお聞きしていたので、それも含めて見ようとしていたら…いつの間にか?終了?宣言が出てしまいました。確かに広島とはまた違う形での?燈籠流し?、定番と言ってしまえばそれまでかも知れませんが、子供主体として行われていたことに素直に?平和への祈り?を思います。その時間に併せて沖縄の任意団体である?万国津梁の会?の主催により、?キャンドル平和の灯?7000本をエントランス広場から平和の礎刻銘碑にかけて灯すことが行われていましたが、やはり?平和の礎?の?メイン通り?の中央部に?2Lのペットボトル?を用いた?キャンドル?を立てるのは、?人通り?のことを考えると無茶なところはあったようにも思います。勿論立てている場所によっては、背景に溶け込み?いい味?を出していたと思います。もし継続的に行われるのであれば、悪気なく人が?引っ掛けてしまう?ことを考えての設置を望みます。 この?キャンドル?がしっくりくる頃には、夏至の頃の沖縄の地でもさすがにあたりは暗くなります。約9時間沖縄県営平和祈念公園にいたことは初めての経験であり、様々な問題にも気付かされた貴重な時間でした。大凡20:00にはすべてが終わると聞いていたので、それに合わせ宿へと戻ります。出発から帰着まで10時間出歩いていたわりには、一日の走行距離が10.5kmと、一日あたりの移動距離は過去最低を記録した平成27年(2015)年6月23日のすべてのアクティビティは終了し、途中コンビニ経由して宿に到着します。平和祈念公園に詰めていたため集めてきた?各紙の号外?をお土産代わりに渡しながら食事を済ませると、炎天下頑張ってきたため急に眠くなってきます。取り敢えずはシャワーを浴びて汗を流すと、いつも間にか寝てしまったようです。多分日も跨がないうちに…zzz。そして今回の旅最終日を迎えます。 【宿泊:直接手配】 みん宿ヤポネシア 〒901-0334 沖縄県糸満市大度309-42 Tel:098-997-2136・070-5581-5986 一泊二食付6,000円 http://www.yaponesia.com/ mail to:info@yaponesia.com ?2015年6月23日火曜日?沖縄慰霊の日??戦後70年沖縄全戦没者追悼式?? http://4travel.jp/travelogue/11024846 これで?≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之??戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:3日目??は終ります。 次は最終章?≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる旅沖縄その壹之??戦後70年沖縄全戦没者追悼式参列:4日目??に続きます。
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沖縄県の旅行記 沖縄清明の丘公園に戻ってきました。普段は霊園というこ...
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沖縄県の旅行記 ?沖縄師範健児之塔?慰霊祭の日取り。 緯度:2...
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沖縄県の旅行記 ?沖縄師範健児之塔?建立の由来。 緯度:26....
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沖縄県の旅行記 ?沖縄師範健児之塔?から?摩文仁の丘?への道。 ...
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沖縄県の旅行記 沖縄師範学校沿革。
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沖縄県の旅行記 平和の像。 沖縄師範健児之塔の斜め後方に立って...
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沖縄県の旅行記 初代の?健児之塔?とは、実はこれです。
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沖縄県の旅行記 沖縄師範健児之塔。
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沖縄県の旅行記 南溟の塔、入口。
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沖縄県の旅行記 緯度:26.0901666667 経度:127.71...
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沖縄県の旅行記 南溟の塔、碑文。
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沖縄県の旅行記 ?独立臼砲第一連隊戦没英霊之碑?  独立臼砲第1連...
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沖縄県の旅行記 独立臼砲第一連隊戦歴史、碑文。
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沖縄県の旅行記 独立臼砲第一連隊戦没者県別一覧表。
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沖縄県の旅行記 風部隊之碑、由来。
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沖縄県の旅行記 風部隊之碑入口の碑。 緯度:26.091322...
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沖縄県の旅行記 風部隊之碑、由来文。
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沖縄県の旅行記 ?風部隊之碑? 第二次世界大戦において日本陸軍の航...
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沖縄県の旅行記 合祀されている?中央航空路部沖縄管区(本部 第5保安...
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沖縄県の旅行記 再び沖縄県営平和祈念公園へと戻ってきました。まずは沖...
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂、説明書き。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂、全景。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂、建立について。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂、平和観音像。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂にて。 平和観音像の天井には?星...
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂、平和観音像。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂、入口。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂美術館の碑。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂にて、平和の鐘。
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沖縄県の旅行記 沖縄県平和祈念資料館にて、都道府県知事の?平和の寄せ...
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沖縄県の旅行記 沖縄県平和祈念資料館入口。
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沖縄県の旅行記 沖縄県平和祈念資料館にて。?本日入館無料?の張り紙。
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沖縄県の旅行記 沖縄県平和祈念資料館にて、外観その?。
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沖縄県の旅行記 沖縄県平和祈念資料館にて、外観その?。
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沖縄県の旅行記 平和の礎。
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沖縄県の旅行記 摩文仁の丘より海を眺める、その?。
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沖縄県の旅行記 摩文仁の丘より海を眺める、その?。
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沖縄県の旅行記 摩文仁の丘より海を眺める、その?。
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沖縄県の旅行記 摩文仁の丘より海を眺める、その?。
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沖縄県の旅行記 平和の火と平和の礎。
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沖縄県の旅行記 平和の火と沖縄県営平和祈念資料館。
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沖縄県の旅行記 平和の火と平和の礎、その?。
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沖縄県の旅行記 平和の礎。
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沖縄県の旅行記 まだ明るいため存在感はありませんが、?キャンドル平和...
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沖縄県の旅行記 じいちゃん、またね。
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沖縄県の旅行記 平和の礎の配列。
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沖縄県の旅行記 滑り落ちた?燈籠?はこのように浮かんでいます。
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沖縄県の旅行記 流し燈籠が始まりました。
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沖縄県の旅行記 命どぅ宝の碑。
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沖縄県の旅行記 命どぅ宝の碑、裏面。
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沖縄県の旅行記 平和の丘。
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沖縄県の旅行記 島守の塔。
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沖縄県の旅行記 戦没?沖縄県知事島田叡??沖縄県職員?慰霊塔。
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沖縄県の旅行記 島守の塔、沿革。 鎮魂の歌碑。 島田知事...
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沖縄県の旅行記 ?沖縄県知事島田叡??沖縄県警本部長荒井退三?終焉之...
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沖縄県の旅行記 栃木の塔、石碑。
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沖縄県の旅行記 栃木の塔、祭壇。
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沖縄県の旅行記 栃木の塔、由来。
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沖縄県の旅行記 栃木の塔、全体。
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沖縄県の旅行記 島守の塔、建立の謂れ。
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沖縄県の旅行記 島守の塔、周辺の慰霊碑群。
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沖縄県の旅行記 戦没?沖縄県知事島田叡??沖縄県職員?慰霊塔。
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沖縄県の旅行記 するすると?燈籠?が滑り落ちて行きます。
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沖縄県の旅行記 燈籠の流れをアップで。
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沖縄県の旅行記 数が増えるにつれ幻想的な光景になってきました。
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沖縄県の旅行記 幻想的ではありますが…。
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沖縄県の旅行記 どうやら…。
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沖縄県の旅行記 手持ち撮影の限界です…(泣)。
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沖縄県の旅行記 ?キャンドル平和の灯?の様子、その?。 沖縄県...
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沖縄県の旅行記 ?キャンドル平和の灯?の様子、その?。 沖縄県...
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沖縄県の旅行記 暗くなるにつれ?キャンドル平和の灯?の存在感が増して...
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沖縄県の旅行記 ?キャンドル平和の灯?の様子、その?。 沖縄県...
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂と?キャンドル平和の灯?その?。
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沖縄県の旅行記 沖縄平和祈念堂と?キャンドル平和の灯?その?。 ...
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沖縄県の旅行記 宿に戻ってきました。 2日目の夕食。
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沖縄 ,「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.4 ?最終章 読谷村?
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
琉球熱
沖縄県の旅行時期
2016/09/18~" . 2016/09/20
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.4 ?最終章 読谷村?

シルバーウィーク、山に行くつもりだった。 ところが相方は沖縄に行きたいという。「じゃ、沖縄」。 彼女が青い海に潜っている間、私はガマに潜ることにした。 戦跡巡りにはそれなりの準備が必要だが、これが充分とは言えない状態だっただけでなく、この10年ほどの間で情報も増え、沖縄への想いも一言では言えない自分がいて、気持ちの整理がつかないままの出発となった。 第四弾の最終章は、読谷村。 日航アリビラをはじめとするリゾートホテルや世界遺産の座喜味城もありながら、のんびりとした生活臭も感じられる、恩納村とは趣を異にするエリアである。 沖縄戦では、米軍が初めて上陸した地でもあり、当然戦跡も多い。 ただ、南部のように観光資源化されていないので、どこも静かに見学できる。 ============================ 決して明るいテーマではありません。タイトル通り、戦跡ばかりです。 極力史実に基づいた内容だけを淡々と記述するつもりですが、一部の思い入れのある場所については、多少の私情が含まれています。 「史実」と言っても、沖縄戦当時の記録は、文献によって数値や見解に差異があることも多く、ここで採用した内容について是非の議論をするつもりはありません。 大事なのは、それほど遠くない過去、ここで多くの人が命を落としたという事実、その舞台が「琉球」という異国家だったという事実です。
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沖縄県の旅行記 初日の夕刻、南部の戦跡群を駆け回り、少し落ちた気持ち...
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沖縄県の旅行記 本日の宿は希望が丘。つまり周辺にはろくな店がないとい...
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沖縄県の旅行記 さて、今回読谷村での訪問予定はこの地図の通り。 チ...
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沖縄県の旅行記 順不同ながら・・・ 「さとうきび畑 歌碑」 ...
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沖縄県の旅行記 この歌ができるきっかけ、背景などが刻まれた碑文。
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沖縄県の旅行記 歌碑メイン 右手前のボタンを押すと「さとうきび畑」...
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沖縄県の旅行記 「さとうきび畑の歌碑」から戻るような形で、「対照的」...
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沖縄県の旅行記 『チビチリガマ』 周囲がずいぶんきれいに整備さ...
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沖縄県の旅行記 これがチビチリガマである。 この前庭のような場...
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沖縄県の旅行記 右手、小川が流れている
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沖縄県の旅行記 平和の像と対峙するように、がじゅまるの古木。 いつ...
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沖縄県の旅行記 ここで起こった凄惨な出来事を綴った石碑。 死者...
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沖縄県の旅行記 ガマ入口には遺族からのメッセージ これは12年...
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沖縄県の旅行記 チビチリガマ 世代を結ぶ平和の像 この場所が独...
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沖縄県の旅行記 琵琶法師の周りを見てほしい 初めて訪れてこの像...
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沖縄県の旅行記 平和の像の台座の内部 単なる“鎮魂”では済まさ...
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沖縄県の旅行記 阿鼻叫喚 この世の地獄 親子、隣人同士が殺し...
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沖縄県の旅行記 迫りくる米軍にパニックを起こし、「投降」の選択肢は教...
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沖縄県の旅行記 ところが、最近になってこのガマの数少ない生存者がその...
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沖縄県の旅行記 そしてこのチビチリガマの悲劇はこれで終わらず、「平和...
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沖縄県の旅行記 『シムクガマ』 同じ波平部落の防空壕で、チビチ...
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沖縄県の旅行記 同じ部落でチビチリガマとは微妙な関係にならざるを得ず...
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沖縄県の旅行記 読谷村を走る58号線。 喜名番所から徒歩圏に、あま...
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沖縄県の旅行記 『山吹の碑』 文字通り国道沿いなので、クルマは...
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沖縄県の旅行記 萬華の塔の傍にあった「砲兵山吹の塔」と違うのは、遺骨...
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沖縄県の旅行記 傍らに建つ「無名戦没者慰霊碑」
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沖縄県の旅行記 碑の脇の階段を登ると「梯梧之塔」。 周辺住民が...
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沖縄県の旅行記 最初に建立した梯梧之塔が立入禁止区域になったため、こ...
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沖縄県の旅行記 沖縄出身らしい名前が並ぶ
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沖縄県の旅行記 隣には『さくら之塔』 こちらも戦没者慰霊碑であ...
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沖縄県の旅行記 読谷村役場の周辺にもいくつか戦跡がある。 そもそも...
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沖縄県の旅行記 読谷村役場に立寄り、企画政策課にて村内の戦跡について...
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沖縄県の旅行記 『忠魂碑』 役場から運動広場へ向かう途中、フェ...
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沖縄県の旅行記 慰霊碑とは、その名の通り、亡くなった人々を“慰霊”す...
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沖縄県の旅行記 『掩体壕』と『義烈空挺体玉砕之地碑』 かつて4...
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沖縄県の旅行記 以前(2010年・2011年)の掩体壕 この粗...
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沖縄県の旅行記 内部には入れないが、掩体壕ほか、付近の戦跡群のパネル...
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沖縄県の旅行記 裏側(後方)の窓からのぞいてみる。 老朽は避けられ...
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沖縄県の旅行記 掩体壕の外側 公園に造られた“山”のよう・・・
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沖縄県の旅行記 『義烈空挺体玉砕之地碑』は以前は役場の真ん前にあった...
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沖縄県の旅行記 次に訪れたのは、渡久地ビーチ。 地元の人たちがのん...
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沖縄県の旅行記 ビーチ入口は「泊城公園」 ちょいと洒落たレストラン...
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沖縄県の旅行記 渡具知ビーチ 美しいビーチである。
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沖縄県の旅行記 泊城公園は、ビーチの端から比謝川河口にかかる小高い丘...
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沖縄県の旅行記 戦前から行楽の場所だったようだが、「トゥマイグシク」...
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沖縄県の旅行記 その巨大な奇岩の上部、以前は行けたようだが、今は立入...
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沖縄県の旅行記 ぽつんと、しかし大事そうに設えられた『梵字碑』 ...
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沖縄県の旅行記 梵字碑の前に崖の際を通る小径があった。 進んでみる...
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沖縄県の旅行記 さらにすすむと、今度は洞。 手前には祭壇のようなも...
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沖縄県の旅行記 お次は『ノロの墓』 これも近年整備(?)されたもの...
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沖縄県の旅行記 鷹の目いわや(窟屋) 岳春とその家来がここに葬...
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沖縄県の旅行記 ようやく頭上が開けた場所に出た。 これもわかりにく...
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沖縄県の旅行記 戦跡とは無関係の遺跡を見た後は、『米軍上陸の地碑』 ...
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沖縄県の旅行記 碑文 沖縄戦終結50周年のモニュメント。
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沖縄県の旅行記 比謝川河口の米軍の写真がレリーフになっていた。
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沖縄県の旅行記 米軍の侵攻ルート
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沖縄県の旅行記 比謝川河口 向かいは嘉手納町。 ここから米軍...
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沖縄県の旅行記 泊城公園の真下に特攻艇秘匿壕があるが、公園から直接行...
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沖縄県の旅行記 その右手、崩落しそうな崖の下に墓碑。 文字が一部消...
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沖縄県の旅行記 海岸(磯)を進むと崖の中腹に洞窟。
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沖縄県の旅行記 足場はすこぶる悪いが登ってみると、あった 『特...
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沖縄県の旅行記 背丈の高い雑草が茂っており、入口まで行くのは躊躇われ...
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沖縄県の旅行記 こちらは実際に特攻艇を格納した壕だろう。 海岸線に...
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沖縄県の旅行記 ここ読谷では、明暗を分けた2つのガマがあり、だからこ...
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沖縄県の旅行記 今回の戦跡巡りで、かつて放置されていた戦跡がだいぶ整...
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沖縄県の旅行記 「平和学習」と言う行為が、ここ沖縄ではビジネスとして...
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沖縄県の旅行記 個人的には、戦跡見学の団体優先志向には反対だし、修学...
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沖縄県の旅行記 また一方で、沖縄の「今」を考える上でも、70年前にこ...
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沖縄県の旅行記 戦後70年が経ち、戦争の記憶が風化しつつある今だから...
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沖縄 ,「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.3 ?摩文仁・米須?
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沖縄
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琉球熱
沖縄県の旅行時期
2016/09/18~" . 2016/09/21
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.3 ?摩文仁・米須?

シルバーウィーク、山に行くつもりだった。 ところが相方は沖縄に行きたいという。「じゃ、沖縄」。 彼女が青い海に潜っている間、私はガマに潜ることにした。 戦跡巡りにはそれなりの準備が必要だが、これが充分とは言えない状態だっただけでなく、この10年ほどの間で情報も増え、沖縄への想いも一言では言えない自分がいて、気持ちの整理がつかないままの出発となった。 第三弾は、戦跡のメッカとも言える摩文仁と隣接する米須。 このエリアは言わずと知れた平和祈念公園とひめゆりの塔があるが、今回はスキップ。その周辺の散在する戦跡を周った。 ============================ 決して明るいテーマではありません。タイトル通り、戦跡ばかりです。 極力史実に基づいた内容だけを淡々と記述するつもりですが、一部の思い入れのある場所については、多少の私情が含まれています。 「史実」と言っても、沖縄戦当時の記録は、文献によって数値や見解に差異があることも多く、ここで採用した内容について是非の議論をするつもりはありません。 大事なのは、それほど遠くない過去、ここで多くの人が命を落としたという事実、その舞台が「琉球」という異国家だったという事実です。
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沖縄県の旅行記 本島の最南端エリア。平和祈念公園とひめゆりの塔という...
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沖縄 ,「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.2 ?八重瀬?
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沖縄県の旅行時期
2016/09/18~" . 2016/09/21
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.2 ?八重瀬?

シルバーウィーク、山に行くつもりだった。 ところが相方は沖縄に行きたいという。「じゃ、沖縄」。 彼女が青い海に潜っている間、私はガマに潜ることにした。 戦跡巡りにはそれなりの準備が必要だが、これが充分とは言えない状態だっただけでなく、この10年ほどの間で情報も増え、沖縄への想いも一言では言えない自分がいて、気持ちの整理がつかないままの出発となった。 第二弾は、八重瀬町。今も自治体と保存会がもめているヌヌマチガマと、冨盛の大獅子。そして嘉数高台。 ヌヌマチガマは8年ぶりの再訪、大獅子、嘉数高台は初訪問である。 ============================ 決して明るいテーマではありません。タイトル通り、戦跡ばかりです。 極力史実に基づいた内容だけを淡々と記述するつもりですが、一部の思い入れのある場所については、多少の私情が含まれています。 「史実」と言っても、沖縄戦当時の記録は、文献によって数値や見解に差異があることも多く、ここで採用した内容について是非の議論をするつもりはありません。 大事なのは、それほど遠くない過去、ここで多くの人が命を落としたという事実、その舞台が「琉球」という異国家だったという事実です。
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沖縄 ,「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.1 ?真栄里・国吉?
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琉球熱
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2016/09/18~" . 2016/09/21
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

「あの日の沖縄」を辿る旅 vol.1 ?真栄里・国吉?

シルバーウィーク、山に行くつもりだった。 ところが相方は沖縄に行きたいという。「じゃ、沖縄」。 彼女が青い海に潜っている間、私はガマに潜ることにした。 かつてかなり集中的に戦跡巡りをした時期があり、今回は基本的にそれらを再訪。合間に初訪問となる戦跡を組み込んでいこうと考えた。 戦跡巡りにはそれなりの準備が必要だが、これが充分とは言えない状態だっただけでなく、この10年ほどの間で情報も増え、沖縄への想いも一言では言えない自分がいて、気持ちの整理がつかないままの出発となった。 さて、実際に周ってみると写真の数が南部だけで150枚ほどになってしまい、一つの旅行記としてまとめるには長くなりすぎるため、適量に分けて作成することにした。 第一弾はやはり『白梅の塔』から。 ここは私が最も厳粛な気持ちになる場所である。 ============================ 決して明るいテーマではありません。タイトル通り、戦跡ばかりです。 極力史実に基づいた内容だけを淡々と記述するつもりですが、一部の思い入れのある場所については、多少の私情が含まれています。 「史実」と言っても、沖縄戦当時の記録は、文献によって数値や見解に差異があることも多く、ここで採用した内容について是非の議論をするつもりはありません。 大事なのは、それほど遠くない過去、ここで多くの人が命を落としたという事実、その舞台が「琉球」という異国家だったという事実です。
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沖縄県の旅行記 敷地の左側には「萬魂の塔」という慰霊碑が建っている。...
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沖縄県の旅行記 右側には南禅廣寺。 この裏手に壕がある。
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沖縄県の旅行記 手前には弥勒親子地蔵尊。 赤子を抱いた地蔵様だ。...
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沖縄県の旅行記 塔の右手には大量の千羽鶴。 新しいものが沢山。 ...
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沖縄県の旅行記 献花台より白梅の塔    比較的新しい供花。 ...
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沖縄県の旅行記 この地に散った女子学生たちは、今、このような穏やかな...
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沖縄県の旅行記 本来の「白梅の塔」 脇にひっそりと佇んでいる。
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沖縄県の旅行記 1992年6月に新たに建立された塔
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沖縄県の旅行記 散りてなほ 香りい高し 白梅(うめ)の花 ...
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沖縄県の旅行記 南禅廣寺 この納骨堂は、付近一帯で収骨した約3...
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沖縄県の旅行記 壕入口横にある、自決之壕碑 6月22日、米軍の...
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沖縄県の旅行記 壕入口より 自決と言っても、火炎放射、ナパーム...
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沖縄県の旅行記 以前訪れた時は、底部に千羽鶴が供えられていた。 こ...
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沖縄県の旅行記 白梅の塔から徒歩数分、山形の塔の前に 『歩兵第32...
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沖縄県の旅行記 これは壕入口。 以前は中には入れたらしいが、200...
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沖縄県の旅行記 敗残兵が潜んでいたと言われる壕。 壕内には遺品...
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沖縄県の旅行記 『山形の塔』 沖縄戦のみならず、海外戦線も含め...
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沖縄県の旅行記 山形の塔にて 千羽鶴、そしてこんな人形も・・・
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沖縄県の旅行記 『眞山の塔』 山形の塔のすぐ隣。 真栄里を拠...
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沖縄県の旅行記 『白梅の塔 上の壕』 眞山の塔の奥にある。白梅...
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沖縄県の旅行記 壕を覗いてみる。 大きく口を開けた壕は、草や木...
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沖縄県の旅行記 こちらにも供え物が・・・ 置かれた人形が涙を誘う。
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沖縄県の旅行記 『栄里の塔』 山形の塔からクルマなら1~2分。...
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沖縄県の旅行記 塔の脇に立つ石碑 歩兵第22連隊、6月17日玉...
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沖縄県の旅行記 栄里の塔から西へ少し進む。 階段の上にモニュメント...
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沖縄県の旅行記 階段脇に咲いていたヒオウギ まさかこんなところで遭...
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沖縄県の旅行記 バックナー中将慰霊碑と間違えやすいが、こちらは「イー...
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沖縄県の旅行記 その左手 こちらが「バックナー中将慰霊碑」・・・と...
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沖縄県の旅行記 『バックナー中将慰霊碑』 アメリカ軍史上において最...
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沖縄県の旅行記 さて、白梅の塔から少し南に戻るような形、真壁集落に向...
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沖縄県の旅行記 『萬華の塔』 戦後、住民がいち早く建立した慰霊...
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沖縄県の旅行記 広場の左手にある山3480部隊の鎮魂碑
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沖縄県の旅行記 沖縄連隊区司令部戦没職員 慰霊碑
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沖縄県の旅行記 萬華の塔の周りには夥しい数の「鎮魂碑」や「墓碑」が、...
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沖縄県の旅行記 その象徴、『砲兵山吹の塔』 「山吹」と称された...
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沖縄県の旅行記 萬華の塔は、屋根の部分に当初は十字架が建てられていた...
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沖縄県の旅行記 『真壁千人壕』 萬華の塔の右手を進んでいくと、...
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沖縄県の旅行記 壕の入口まで行ってみたが、天井が低く、中はよく見えな...
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沖縄県の旅行記 米軍兵士による墓荒らしの心配がなくなり、改修された萬...
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沖縄 ,百名伽藍 HYAKUNA  GARAN  OKINAWA エグゼグティブスイート 宿泊記 南城市 新原(にいばる)ビーチ・百名ビーチ 琉球の歴史と文化を探る旅
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
marukun-2
沖縄県の旅行時期
2017/07/08~" . 2017/07/11
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

百名伽藍 HYAKUNA GARAN OKINAWA エグゼグティブスイート 宿泊記 南城市 新原(にいばる)ビーチ・百名ビーチ 琉球の歴史と文化を探る旅

本日、宿で浸ったBGM 細野晴臣&yellow magic band 「paraiso」1978年 ♪四面道歌 ♪安里屋ユンタ ♪ウォリー・ビーズ 細野晴臣の“トロピカル三部作"の完結編となった78年の通算4作目のスタジオ・アルバム『はらいそ PARAISO』 レイモンド服部 作のオリエンタル・エキゾ・クラシックス「JAPANESE RHUMBA」やWANDA JACKSON「FUJIYAMA MAMA」などのカヴァーをはじめ、カリプソ、ニューオーリンズ、ハワイアン、沖縄ミュージックなど様々なジャンルの音楽をごた混ぜにした“チャンキー・ミュージック"の決定盤. 坂本龍一、高橋幸宏、大貫妙子、鈴木茂、かまやつひろし、佐藤博、斉藤ノブ、浜口茂、あがた森魚など錚々たるミュージシャンが参加し、この後結成されるY.M.O.への布石となった歴史的名盤!! 日中めいいっぱい輝きを放ったいたずらな太陽が日没支度をはじめる時刻、百名伽藍の天空露天風呂「方丈庵一休庵」でこの旅記録を書き綴っている。   珊瑚礁を乗り越え漣が重なるように潮がどんどん満ちてきている。 今夜が満月らしい――――。 昨日までの人気リゾートがきらめく中部北部の西海岸ではなく、琉球の歴史文化が色濃い南部東海岸にいる。 熱狂的なパーティー、祭りのあと、南国気分の浮かれポンチなオツムを冷やすのにもってこいのひっそりおこもり感。 今日のお宿は百名伽藍。 百名伽藍なんて、名前くらいはどっかで聞いたことあったっけ?程度の知識しかなく、那覇から比較的近いのと、ある理由から楽天でエイヤッポチッと速攻で決めた。   ―――宿に着いたのが午後4時過ぎ。    ちょうど最大の引き潮の遠浅の時間帯で、フロント前から眺めた百名ビーチや新原ビーチにつづく海岸は珊瑚がところどころむき出しで地球外の星にいるような錯覚にとらわれる。 でもここは地球、ところどころで岩礁、珊瑚にのっかり釣竿を垂れるひとをみかけた。 その海を眺めるテラス席でチェックインをすまし、ウェルカムドリンクのオリオンビールを啜り、部屋に案内されたあと早々に館内をお散歩。 この宿は沖縄南部東海岸線の道路沿い岸壁に沿って建つ。琉球最大の聖地久高島を望み、琉球創世神話の舞台として知られる神秘の地に佇む山を背に、眼下に広がる海からは日の出と日の入りを体感できる。 沖縄は明らかに大平洋プレートやフィリピンプレートなどの衝突や火山島の連続的衝突から成った日本列島の生い立ちと異なる大地の記憶を体感できる。 沖縄諸島には東南アジア、インド洋を経て遠いアフリカ大陸からの薫が海に谷に山に残る。 それは、宿へ向かう前歩いたガンガラーの谷での浮遊感覚に基づく、地層や化石の記憶がまざまざと蘇る記憶の古層。 地球の生い立ちの歴史を紐解けば、ここは沖縄でも琉球ですらないことに。 到着時、地下の専用駐車場で待ち受けたスタッフにエレベーターで3階に案内され大きな窓越しにこれまた大きな石仏3体を眺めながらテラスのあるフロントへ。回廊を巡らせた館内は、巨木のガジュマルが生い茂る吹き抜けの中庭を設け、光と影と風の織りなす静謐な世界へと誘う。 崖沿いに建てられたフロントがある3階から回廊を渡り、本館と西館をつなぐ中庭。ガジュマルの大木3本聳える中庭の階段を昇降しても誰とも会わない。スタッフの気配もどこにもない。 館内は、巨大なガジュマルが生い茂る中庭を始め、洞窟(ガマ)に佇む高さ7メートル余りもの石仏3体、ほかギャラリーの回廊やライブラリー、そして海に面した室内のおこもり感があるので、おそらく誰も利用しないであろう広々とした座禅を組むためだけの広々とした和室、禅の間がある。 1階の西入り口から部屋から眺めるプライベートビーチに出られる。 海と山が広がる岬の先端に位置し、自然との融合を目指し、赤瓦や琉球石灰岩・チャーギなど沖縄の素材を用いた和琉様式の造り。エステサロンはあるがプールがあるわけでもなく、設備は他のホテルなどと比べ限られているが、全体の空間が圧倒的に広い。 和琉様式ともいうべき造りでホテルと高級旅館の中間のようなしつらえ。 お散歩も済んだらあとは露天風呂へ行く以外は部屋でおこもりだ。 部屋はひとりで十分過ぎる14ある一般部屋を選んだが、そこんじょそこらのホテルのスイート並みだ。間取りの広い玄関から靴を脱ぎバリアフリーのライン。右手突き当たりは坪庭のような空間があり、その手前に広々としたトイレ。玄関から延長線にゆったりした書斎机があり、真向かいにコーヒースタンドや冷蔵庫など。 入り口から壁に隠れたかたちでベッド空間があり、今度はそのライン上にソファやディベッドで寛ぐスペース、そのまた延長線にバルコニー。ベッドの真横にも小さなバルコニーがある。 家族でバーベキューでも十分できそうな間取りの広いバルコニーの半分はバスフロア。5階の6つある露天風呂を利用しなくてもこの室内風呂でも十分海と風を感じながら疲れを癒すことができる。 これまで宿泊したホテルの部屋のなかでもっとも機能にすぐれ、抜群の快適さを感じる部屋だった。 このようなおこもり感の余韻が残る宿泊施設はそうそう見当たらない。 なかでも一番お気に入りだったのはバルコニー。 亜熱帯モンスーン気候独特の海からの生暖かい風から、ときたまさわやかな風が吹き込んでくる。 さまざまな鳥はもちろん、さまざまな虫たちもときたま来客となる。 しつらえは申し分ない。私が口うるさいサービスはどうか。 全体として、サービススタッフは恩名や読谷のリゾートホテルのような親しみやすく温かみあるホスピタリティはないけれど、物静かな心地よさがあった。 まだオープンして5年、若いスタッフが多く慣れた感じはしないが、十分教育され育っている資質は垣間見えてくる。ひとりひとりのホスピタリティもある程度備わっている。 実はあるひとりの女性スタッフを前もって知っており、今回この宿を選んだ大きな要因でもあるし、ぜひ会いたいと切望していたが、チェックイン時からはじまり夕食時にもみかけず、尋ねると「彼女は最近シフトが変わってランチ勤務が主になった」と教えてもらった。その時間帯だと会えないので残念がっていたが、ダイニング甘露の間で朝食を終え退席しようとしたとき、記憶にある姿をちらりみかけた。でも他の客の配膳を終えるとすぐ奥に引っ込んでしまい、若い男性スタッフに名前を尋ねたらたしかに彼女だった。 残念がっていると、スタッフは気を遣い、わざわざ彼女を呼び出してくれた。 彼女と対面したとき、恋人と再会したような嬉しさがこみ上げ、彼女もそれに合わせたかのように優しく穏やかに接してくださった。 だからというわけじゃないけれど、私が思い描いていたあらゆる業種のサービススタッフのなかでも、これまで出会ったひとたちのなかでも、わずか二言三言言葉を交わしただけだが、彼女がやはり一番優れている愛おしいと思っている。 百名伽藍。 この先世界を股にかける気概もとうに失せ、物理的経済的余裕ももちろんない身である。 それでも、また、再訪する(したい、ではない)場所があらたに加わった。 「あのときの恋人に会いたい」 そう思えるような――――。 沖縄本島南部の夏の夜の帳が降りるのは遅くゆったり訪れる。 今夜は満月だ――――。
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沖縄 ,≪2016.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その壱之四?四日目:八重瀬・糸満・西原・那覇戦跡編?
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2016/06/24~" . 2016/06/24
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

≪2016.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その壱之四?四日目:八重瀬・糸満・西原・那覇戦跡編?

平成28(2016)年6月23日木曜日。沖縄では日本軍司令官の自決により組織的抵抗が終わったとされる実質的な終戦から71年目を迎えます。現在では?沖縄慰霊の日?とされている?沖縄県の祝日?ではあるものの、終戦直後に制定されたものではなく、1961年6月22日に当時の琉球政府が制定され、その後1965年6月23日に変更された経緯があり、その後昭和47(1972)年5月15日に沖縄県の日本復帰とともに祝日とはならなくなったものの、昭和49(1974)年に改めて?沖縄県慰霊の日を定める条例?が制定され現在に至っています。 昨年平成27(2015)年は太平洋戦争終結後70年の節目の年であり、戦没者遺族のひとりとして?戦後70年沖縄戦全戦没者追悼式?に参列したく沖縄へとやって来ました。しかし1年でたった1日の慰霊の日が、心ないプロバガンダをふりかざす輩により台なしにされている?現実?を目の当たりし、沖縄に於ける慰霊の念の乏しさに正直失望したのが本音です。 昨年も記載しましたが、平和祈念公園へと向かう送迎バスに乗っておられた多分内地から来られたご年配のご婦人が、公園入口での抗議活動を見て凄く寂しそうな表情をされていたことが頭から離れません。こういった場違いな活動が続けられるようでは、正直追悼式典に来る?価値?を見いだせないと感じました。それを私の?小さなまなこ?で確認すべく今回の沖縄訪問を企画しました。そういうところから計画立案した今回の≪2016.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その壱が始まります。 平成28(2016)年6月24日金曜日 ゲストハウスりゅうかく 09:57(0.0km:0.0km:172.9km:0.0km/h) 奥武島 10:00 (0.4km:0.4km:173.3km:2.0km/h) トイレ 10:12 具志頭 10:23 (5.6km:6.0km:178.9km:0.0km/h) 慰霊碑 10:52 クラシンウジョー 10:50 (1.1km:7.1km:180.0km:6.2km/h)          11:13 ヌヌマ 11:18(2.1km:9.2km:182.1km:26.3km/h) チガマ 11:45 富盛の 11:51(3.2km:32.0km:185.3km:32.0km/h) 大獅子 11:57 第89連隊 12:32(10.1km:22.5km:195.4km:17.5km/h) 慰 霊 碑  12:47 かねひで 13:03(8.9km:31.4km:204.3km:34.3km/h)      13:17 イオン 13:27(6.0km:37.4km:210.3km:37.5km/h) 南風原 13:57 西原の塔 14:15(5.0km:42.4km:215.3km:16.7km/h)      14:50 ローソン 15:05(5.0km:47.4km:220.3km:20.0km/h)      15:18 西原郵便局 15:22(0.7km:48.1km:221.0km:11.7km/h)       15:47 サンエー  15:50(0.5km:48.6km:221.5km:10.0km/h) 西原シティ 16:52【お土産:4,361円】 西原郵便局 16:55(0.3km:48.9km:221.8km:6.0km/h)       17:15【ゆうパック:1,510円】 キタムラ 17:57(14.9km:63.8km:236.7km:21.3km/h) 那覇小禄 18:10 【写真代:1,080円(割引後:1,000円)】 奥武山公園 18:20(2.2km:66.0km:238.9km:13.8km/h)       18:47 魂魄 19:23(18.2km:84.2km:257.1km:30.1km/h) 之塔 19:28 みん宿ヤポネシア 19:47(3.4km:87.6km:260.5km:11.0km/h) 【1泊2食付シングル:6,000円(割引後:5,850円)】 小計:12,951円(割引後:12,721円) 累計:52,693円(割引後:51,413円) 旅4日目の朝を迎えました。今日もいい天気です。同宿者がおられたようですが、夜に一回顔を会わしただけでそれっきりです。まぁ一人旅には関係ないのでマイペースに進んで行きます。まずは朝の一服タ?イムをとるため外に出ます。ゲストハウスの看板犬銀ちゃんに挨拶をします。元々内地生まれのワンコですが、ご夫婦の沖縄移住に伴って奥武島へとやってきました。今ではしっかり板についた沖縄犬です。吠える人には吠えるそうですが、私は吠えられたことはありません。なので銀ちゃんは大好きです(照)。ゲストハウスりゅうかくに来る目的のひとつには、この柴犬銀ちゃんに会うことが間違いなくありますから。 そして朝食を頂きます。ベジタリアンではありませんが、フルーツを主体としたお料理は万人受けするものに違いありません。ゆっくりと頂きながら新聞を読み、昨日慰霊の日の模様を目に焼き付けます。 楽しい時間はすぐに過ぎてゆきそろそろ出発の時間になります。入口の看板には?本日満員?の襷が掛っていました。ブログに載っていたので…と泊まりに来る方もパラパラと来られていることを聞き、お客さんが増えることは勿論嬉しいものの、行くときは必ず泊めてよね…とちょっとセンチになってしまいました。 そしておじぃとおばぁ、銀ちゃんに挨拶をして、10:00前に出発します。前回同様島の周回道路を走り、奥武島の最突端へとやって来ます。ここから眺める海は大変綺麗で、モバイルカメラの写真ですら素晴らしいものが撮影できます。そしてそのまま奥武島を一周します。一周といっても僅か1.7kmの海岸周径ゆえすぐに終わります。奥武島橋を渡って国道331号線へと入るといよいよ本日の行程ドライビングが始まります。 具志頭で国道331号線から狭い道へと入り、10分程で具志頭城跡に到着します。ここには都道府県慰霊碑の山梨県と高知県が設けられており、これですべての都道府県慰霊碑を回りました。その他忠魂碑や魄粋之碑等旧具志頭村が建立した慰霊碑もあり、全てに参拝を済ませて出発します。せっかくここまで来たので、突端部まで行って戻って来るとふと見覚えのある階段を見つけ登って行くと・・・、銃眼が残る壕と言えばクラシンウジョウガマ。沖縄での地上戦が始まる前に第9師団工兵隊によって構築されたとされていますが、詳細は不明だそうです。しかしクラシンウジョウガマというと昨年平成27(2015)年8月に入壕と管理についてだいぶ揉めた経緯がありました。確か北海道のNPO団体が請け負ったことが新聞にも書かれていましたが、個人客を締め出したことで大ブーイングが出ていました。しかし管理団体が変わることにより、以前独占的に入壕を扱っていた平和ガイド団体が、壕内に扉や出土品を陳列する棚などを設けていたことが発覚したりと、まあお粗末な争いが繰り広げられました。 以前連絡先としていた看板を取り外さない団体、かたや連絡がつかない団体と、こんなレベルの団体がまともに管理業務ができていたのか?これからできるのか?正直理解に苦しみます。公的機関が入壕管理まで行うということがどれだけ手間が掛るのかはわかっているつもりです。しかし入壕管理をしている管理壕でも申込みが多い?謂れ?のはっきりしているものとそうでないものの違いによって管理に差が出るということも本末転倒なようにも思います。戦争の是非論を言うまでもありませんが、このクラシンウジョウ壕は保存状況が極めて良く、壕内から港川方面へと向かう銃眼も残っています。謂れがはっきりせず知名度は低いのかも知れませんが、?負の遺産?を後世に残す大切な?戦跡?のひとつとしての扱いを求めたいものです。 一応拝所への参拝者は自由との旨は記載してありました。不法侵入をするつもりはないので?壕の内部?には足を踏み入れていませんので悪しからず…。 そしてクラシンウジョウへと立ち寄って思い出したヌヌマチガマへと向かいます。白梅学徒が従軍した第24師団野戦病院新城分院壕として利用された場所として、平和学習をはじめとした戦争の追体験をするために多くの方が体験をされた場所ですが、こちらもクラシンウジョウ同様管理問題で揉めました。結果も同じようでしたが、抗議の意味を込めてか以前管理をしていたなど団体がガマの手術壕への立入りに対しての連絡先を書いた看板を放置しています。ものは試しに矢印を追ってみると、なんと見るも悲惨な状態になっている壕の入口を見つけます。現在管理をしている団体の窓口もつながらない等言われていることもあり、せっかく整備された八重瀬町戦争遺跡公園が、ただの?ハコモノ化?しているように思えてなりません。なおかつ単純比較してもネームバリューのあるヌヌマチガマは、完全に柵で囲まれて不特定の入場者を避けるようになっています。慰霊の日翌日ということもあり、滞在していた30分程度では来訪者もおられません。入壕出来ないのは非常に残念でしたが、そう決まった以上仕方がありません。柵越しにヌヌマチガマへと至る通路をカメラに収め、出発することにします。 そして5分程で富盛の石彫大獅子へとやってきました。前回4月に立ち寄ろうとしたときには工事中で訪れることができませんでした。案内板も設けられているのでそれを頼りに走って行くと…ありました。丘の頂上に駐車場・展望台完備の?富盛の石彫大獅子?が。沖縄県で最も歴史があるとされるこの?富盛の石彫大獅子?ですが、この辺り一帯も沖縄戦の戦場となった場所でもあります。数百メートルの距離にある八重瀬公園に置かれていた第24師団第一野戦病院、その本部壕がこの辺りまで伸びていたという記録も残っています。野戦病院がある=戦場と言っても過言ではないため、激戦が繰り広げられていたその?痕跡?は実はこの?富盛の石彫大獅子?にありました。大獅子の胴体にいくつも残る凹み、これが弾痕です。首里の第32軍司令部が南部に撤退をし始めた昭和20(1945)5月下旬、戦闘の最前線は圧倒的多数の米軍に攻め込まれたため徐々に南下を余儀なくされ、中部戦線から南部戦線へと移る過渡期にこの八重瀬近郊が戦場と化しました。 弾痕の残る大獅子があり、その敷地内の展望台から見える風景からは一見すると?平和?としか取れない景色が広がっています。しかしやはりこの地でも熾烈な戦いがあったことを?自然体?で物語っている石獅子の存在を忘れてはならないと思います。天気も良く青空が広がる夏の沖縄の風景に、少しセンチな気持ちにもなったりしましたがそろそろ次の目的地へと向かうことにします。 八重瀬町富盛から糸満市新垣へと走った跡、ピンポイントデーターがわからないため、地形図とナビの現在地を頼りに進んで行きます。歩兵第八十九連隊玉砕終焉之地、沖縄戦末期の昭和20(1945)年6月、第24師団隷下の歩兵第89連隊が戦況の悪化とともに南下し、新垣集落の壕に本部壕を構えました。しかし勝負がついている戦況で、補充すらままならない状況ではなにもすることができません。そのうち米軍の一方的な攻撃に見舞われる中で金山均連隊長以下将兵が、この壕にて自決あるいは戦死し、連隊旗も奉焼されて玉砕します。本来ならここで終わりになるのでしょうが、この壕は玉砕後10日間もの間燃えていたとの記録が残っています。それに加え壕の入口はブルドーザーで埋められたりと徹底的な掃討作戦が行われました。一説によると米軍司令官のバクナー中将を殺害したのは、付近に布陣していた第22連隊もしくは第89連隊の兵士だとされ、その報復だったと記述しているものもあるようです。正直規律のある軍人が感情的なもので戦い方を変えるかどうかは疑問に思うところはあるものの、逆にそこまで叩きのめされた壕が今なお残っているということは、負の遺産ではあるものの、やはり史実を伝える生き証人になってくれていると思います。 公的な記録の中でもこの?歩兵第八十九連隊玉砕終焉之地?が西原町や糸満市潮平の浄土寺境内にあると誤記されているものが少なくありません。確かにそれらの場所には第89連隊関係の碑はあるものの、玉砕終焉之地ではないことが事実です。慰霊の日の翌日ということで壕には花束が捧げられていました。しかし人が訪れることは本当に少ない場所だということは一目瞭然です。他とは違う扱いを受けた壕のことをどのように見て感じるかは人それぞれだとは思いますが、ぜひ一度立ち寄って頂きたい場所のように思います。ただ場所は本当にわかり辛いです。 そしてタウンプラザかねひで南風原店とイオンモール南風原店に立ち寄ったあと、西原町へと向かいます。もう2年になりますが石垣へと向かう途中にトランジットで本島宿泊をするために選んだ施設がこの西原町にありました。その翌日に訪れた黎明之塔に始まって戦跡を回るようになったため、当時はただ泊まることだけしかしていませんでした。西原町(当時は村)も日米両軍が熾烈な戦いを繰り広げた戦場であったがため多くの戦跡が残っています。その中で今回は軍民とも慰霊碑が多く建立されている?西原の塔?を訪ねることにします。 糸満から20kmほどの距離にある西原の塔ではありますが、やはりここもナビには表示されません。なので住所地まで走ったあと道路の両端をきょろきょろと見渡すと…ありました。大きく?西原の塔?と書かれている看板が。ここ西原は第32軍司令部が置かれた首里の北側に位置し、沖縄戦に於いては首里防衛の第二防衛ラインが敷かれることとなり、熾烈な戦いが繰り広げられた場所のひとつでもあります。西原村(当時)住民の47%にあたる5,016名47%が犠牲となり、一家全滅世帯数476という多大な住民被害を出したことは広く知られていることですが、当然戦いに挑んだ将兵の犠牲も甚大なものがあり第62師団歩兵63旅団第11大隊慰霊碑?観世音の像?、独立二十八大隊海上挺身隊慰霊碑?魂魄?、歩兵89連隊慰霊碑、歩兵89連隊丸地(第一)大隊戦没者慰霊碑等日本軍兵士の慰霊塔や西原村所縁の外地戦没者慰霊碑や西原町地元住民戦没者刻銘碑等、所狭しと並んでいます。 平和の礎をモチーフとした?西原町地元住民戦没者刻銘碑?、戦後沖縄の初期時代建立の慰霊碑にちなんだ独立二十八大隊海上挺身隊慰霊碑?魂魄?等知識があれば大凡のことがわかるものもあります。また戦中戦後の南米移民にちなんだ?西原村人会?の建立されたものもあり、往時に沖縄が置かれていた環境などもわかるように思えます。そして中心となる?西原の塔?。犠牲者も多く出した西原村ではあったものの、その後生還した住民の手によって野山で風雨にさらされていた村民や将兵の遺骨をこの地に埋葬し、昭和30(1955)年に?西原村慰霊塔?を建立、そして昭和43(1968)年には改修を加え?西原の塔?が建立されました。その後西原村に於ける戦没者の遺族台帳作成が進むにあたり、現在では7,068名の遺骨が納められているそうです。そして平成4(1992)年本土復帰20周年を迎え、その記念事業として沖縄戦の教訓を後世に伝えるとともに、反戦平和・恒久平和を全世界に訴えつづけるために?モニュメント?を建立し現在に至ります。 南部戦跡の慰霊塔が集まっている場所では、なんとなく?軍?なのか?民?なのかで慰霊塔の建立が分かれているところが多く見られます。しかしこの西原の塔ではそれらが仲良く収まっている…そんな感じがします。恒久平和を謳うがために軍関係のものと敢えて分けることは、やはり?仲良くはなれない?ように見えてしまうところはあるのかも知れません。その点ではすべてブレイクダウンされているこの場所ならではの?後世へのメッセージ?が伝わりやすいのかも知れません。 そしてすべての慰霊碑に手を合わせた後、50mほど離れた?旧西原村役場壕?へと向かいます。沖縄戦時に行政組織は、戦災を防ぐため多くの市町村で役場壕が掘られたそうです。この西原村でも昭和19(1944)年6月頃に地元から人夫を雇って壕を構築しました。そして戸籍簿、土地台帳などの重要書類や、公金、公印、出納簿、戦時債券などを重さ1トンほどもある壕内の金庫に収納していました。役場の事務仕事は米軍が沖縄に上陸する寸前まで行われており、毎朝出勤すると役場壕から書類を持ち出して事務を行い、夕方再び書類を壕内に運んで保管していました。避難壕ではあったものの、戦後そのまま放置されていたところ、前面の道路工事の際に誤って主壕を壊してしまったことで注目を浴びることになります。実際のところ入口は?旧西原村役場壕?の標識があるところではなく、向かって右側のふたつだったこともわかっています。 現在道路に向かって開口しているのは主壕部分であり、落盤の危険性があるとのことで町役場に許可を取らないと中には入れません。しかしその開口部から中を覗いた限りではかなりしっかりしたもののように見えるため、南部に多く残る突貫工事で作られた壕に比べるとまだ時期的にも余裕があったかもとも思います。今回は時間の関係で中には入りませんでしたが、機会があれば是非とも入壕体験をしてみたいと思います。 そんな感じで西原町を回り、ローソンで一服した後お土産購入のため?サンエー西崎シティ店?へと向かいます。沖縄のお土産はどこでも購入ができますが、これだけ回数を行ってしまうと?沖縄銘菓?を買い切ってしまったところもあります。それゆえ今回は?沖縄バージョン?でということを考え、プリッツやぷっちょ・ハイチューなどの種類を探します。そうなるとスーパーがうってつけなのですが、小さなスーパーにはさすがに種類はありません。しかし大手スーパーなら揃うかも…と思って立ち寄ったところがサンエー西崎シティ店になります。期待を裏切られることはありませんでした。ただ調子に乗っていろいろ買い込んでいたら結構な金額となり?反省(泣)?。でもさっさと箱詰めして近くの西原郵便局からゆうパックで発送。夕方に差し出しても翌々日午前中には到着するのですごく便利です♪ ゆうパックを差し出したら後?やらなければならないこと?は終了?!ってことで宿へ向かおうとすると、まさかの?写真を受取りに行っていない(汗)?ことが判明。なので慌てて那覇方面へと車を走らせます。 30分程で到着したのは?写ルンです?の現像とCD化をお願いしたカメラのキタムラ那覇小禄店。南風原イオン店ではスピード仕上げできないとのことでこちらに持ち込んだのですがひとつ不安なことが…。感度1600を利用するため購入したのですが、行きのセキュリティーでかばんに入れたまま通してしまいました。昔は400の感度でもX線被りがあったのでもしかすると?真っ白?って思っていましたが、全然大丈夫でした。デジタル写真に比べると高感度フィルムの特徴の堅い色調にはなってしまいますが、デジカメの露出アンダー写真とは比較になりません。今後は現地購入現地現像で心配を減らそうっと考えて出発します。 本日の宿は2日目と同じく糸満市大度のみん宿ヤポネシア。小禄からの道のりはやはり沖縄県道7号線かなと勝手に思い込んで、途中奥武山公園の島田叡氏顕彰碑へと立ち寄ります。夕方にしか来ないこの場所ですが、付近のテニスコートや野球場で行われている練習風景は4月と変わりません。明日の状況によっては最終立ち寄り地になるかも知れない場所に相応しいところであったことを改めて心に刻み、ラストランへと挑みます。 奥武山公園から糸満市米須までは一本道のはずですが、横着こいてナビを設定していなかったためどうやら道を間違ってしまいました。まあそんなことはいつものことなので設定をし直して道も選択したはずですが…いつの間にか旧国道331号線を走ることに…。おまけに瀬長島の交差点の曲がるところを間違ってしまい、どこまで行ってUターンしたらいいのか…と不安に思っていたところでやっと気付きました、飛行機の聖地に♪ 本当は駐停車禁止なんでしょうが車を停めると轟音が頭の上を通り過ぎます。折しも那覇空港が込んでいる時間帯なのですぐに来るだろうと眺めていると…やってきました。ANA系機材なのはわかりましたが型式までは不明…。でも私の行程ではなかなか組み込まれない場所ゆえ、道を間違ったことが幸いしました。なんとなく満足感がUPした気がして気を取り戻し、また走り出します。 ただ性格的に寄り道しないと済まない性格なので、ふと米須霊域を訪ねようと道を右折します。魂魄之塔は昨日の慰霊の日のものなのか、千羽鶴がたくさん取り付けられていました。花がすぐ撤去になるのはわかっていたのでカメラに収め走り出します。 アクセルを踏もうとしたときにふと見つけたものがありました。沖縄菩提樹苑。先入観で判断することは決して良くないと思いながら?宗教関係施設?という思いから立ち寄らなかった場所のひとつになっていました。沖縄の長い一日もさすがに19:30ともなれば薄暗くはなってきます。人通りもないことをいいことに路駐をし、入ってみることにします。 ブッダ(仏陀)所縁の?聖なる菩提樹?の分け木が植わっているこのハウス、インド国外へと出されたのは実に2,300年振りだという例外中の例外措置によって沖縄へとやってきたそうです。前回は紀元前3世紀にアショカ王の皇女であったサンガミッタによってブッダガヤからセイロン(スリランカ)に持ち出された記録以外になく、沖縄戦に於ける戦没者の慰霊のためと史上稀に見る熾烈な戦いが行われたこの沖縄という場所の特徴と利用意図を理解されたインドの高僧?カワハッテェ・シリ・スメダ尊師?およびインド大菩提協会サラナトセンターの許可を受け、平成17(2005)年に3本の分け木が沖縄へとやってきました。それに加えてブッダの誕生に纏わる?無憂樹?と涅槃に纏わる?沙羅双樹?をブッダ涅槃の地クシナガラで取得し、更に平成19(2007)年5月には同じ沖縄の海洋博記念公園管理財団から別に無憂樹の分け木の寄贈を受けました。 チベットのダライ・ラマ14世が来沖したときに立ち寄られたこともあり、別名?ダライ・ラマ14世来沖縄記念館?とも言われているこの沖縄菩提樹苑ですが、沙羅双樹の木は本土の露地栽培では育たないとも言われており、ある程度成長してから植樹され、慰霊の日限定で開館されているようなことを知りました。あいにく訪れた日は6月24日、それも19:30では見学することは勿論できませんでしたが、炎天下の糸満を歩く?平和行進?の休憩所としても解放されておられることがわかりました。ということでは今年はなにをやっても見学をすることはできません。でも来年上手い具合に?慰霊の日?をはさむ日取りで来沖することができればそれが見られるという事実…。単純明快なたかティムには時間は掛かりません。一年後にはどのようなパターンで沖縄行きを決行するか…それだけでした♪ その前に今回の旅はもう一泊残っている現実に戻って、糸満で必ず立ち寄るファミリーマート糸満米須店に立ち寄って飲み物を購入し、2泊目と同様大度のみん宿ヤポネシアに到着します。適度に行程を切り上げてゆっくり休もう…と思っていたものの結局19:47の到着…。相変わらずの遅い到着でした(笑)。 実は出発時に今晩4泊目は決まっていませんでした。立ち寄り地点を決めるときにいつものごとく回り切れない数の候補地を打ち出しているため、どこの泊まるのが良いかを考えているうちに余裕がなくなり、結果として泊まったことのある?馴染み?の宿泊先は埋まってしまいました。勿論他を探せばあるのですが、できるなら糸満界隈で泊まって、翌朝立ち寄りを入れて返車というルートを崩したくはなかったので、2泊目にこちらにお世話になった際にダメ元で聞いてみたところ「実は部屋は空いているんだけど…」という回答を貰いました。この…が気になるところですが、要はその日に?民泊?が入っているとのこと。普段宿泊施設をされておられるところなら、ほぼ間違いなく宿泊受付を断って受け入れるところですが、?まぁ?知らない人でもないんで…?ということでOKを貰いました。ただふたつ注意事項があって?うるさいかも…?と?対応がおろそかになるかも…?ということでしたが、民泊とバッティングすること等まずないので興味本位で、?じゃあお願いしま?す?と即決し今日になりました。 はじめての宿だと車を停める場所すらわからず、建物の前から電話を入れ出て来て貰うことがほとんどなのですが、4回6泊目の宿泊客にそのようなことは必要ありません。レンタカーが他に泊まっていることを不思議に思いながら、当たり前のように挨拶をして入って行きます。民泊体験は我が近江国のお隣越前国の高校2年生6名。ちょうど食後のご挨拶タイムに到着してしまったこともあり、食事を頂きながらいつの間にか強制参加の?お客A?がかその輪に加わっているようで。ノリで喋ってしまうたかティムさんは、こういう場では自分でも驚く位話を進めてしまいます。学校は福井市のようですが、なぜか出てきた鯖江の話に、「うちの系列のお店があるよ」と言えば驚きを隠せない様子。とは言ってもこっちだってまさか同一商圏の学校と同宿するとは思ってもいなかったし…(笑)。でも修学旅行の行程は結構ハードなようで、明日の7:00にはもう出発するとのこと。朝にはめっぽう弱いたかティムさんは、10:00出発を決めてゆっくりすることにします。その後お姉さま方は?なんとか体験?ということで?ちんすこう作り?に挑戦。ワイワイガヤガヤ言っているところを断って一枚ブログ用に撮らせてもらいました。顔出しNGということなので後は雰囲気でお楽しみ下さいまし?♪ もう一組子供連れの若いご夫婦の宿泊があったのですが、民泊の受け入れを決める以前の予約だったとのこと。通常ならば私みたいな?はまり役?が来ることは絶対にないため、オーナーのこーすけさんも気にはしておられたみたいですが、当日会うこともなくそのまま休まれたみたいです。明日の出発のこともありお姉さま方は23:00に就寝。いつもならそれから行動に入るたかティムさんも、旅行前からのハードスケジュールをこなし続けていたためあえなく撃沈。今回は入口横のシングルルームを使わせて頂いたので外出は部屋からできる手軽さもあったものの、荷物も送ったし残った荷物は片付けるまでもない量に減っていたため、出発時間に合わせて立ち寄り地点を決めようと思ったとたん瞼が急に重くなってきました。天候に恵まれ?過ぎた?今回の累積第15回沖縄の旅の最終泊はそんな感じで更けていきましたzzz。そしていよいよ帰る日を迎えます。 【次編に続く】
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沖縄県の旅行記 自慢のお食事♪
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沖縄県の旅行記 看板犬の?銀ちゃん?は大のお気に入りです♪
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沖縄県の旅行記 おや、あっち向かれちゃいました…。
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沖縄県の旅行記 銀ちゃんおいで~♪
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沖縄県の旅行記 こっちこっち~♪
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沖縄県の旅行記 次いつ来るかわからないけど~!
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沖縄県の旅行記 そのときもまた~♪
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沖縄県の旅行記 忘れないで寄ってきてね~~♪
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沖縄県の旅行記 ゲストハウスりゅうかく、外観。
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沖縄県の旅行記 本日は満員御礼♪といっても二組ですが(笑)。
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沖縄県の旅行記 朝を迎えたゲストハウスりゅうかく。
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沖縄県の旅行記 お世話になりました。 次いつ来るとは言えないけ...
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沖縄県の旅行記 奥武島最先端から見た海。
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沖縄県の旅行記 奥武島最先端から見た海。 平和祈念堂が見えてい...
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沖縄県の旅行記 甲斐之塔。
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沖縄県の旅行記 甲斐之塔、碑文。
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沖縄県の旅行記 魄粋(はくすい)之塔と慰霊碑。 昭和28(1...
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沖縄県の旅行記 魄粋(はくすい)之塔では、年配のご夫婦がお参りに来て...
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沖縄県の旅行記 慰霊塔。
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沖縄県の旅行記 慰霊塔。
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沖縄県の旅行記 忠魂碑と慰霊顕彰碑。
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沖縄県の旅行記 慰霊顕彰碑。
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沖縄県の旅行記 慰霊顕彰碑、碑文。 碑文  この慰霊塔は過ぐ...
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沖縄県の旅行記 具志頭戦没者刻銘板。
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沖縄県の旅行記 具志頭戦没者刻銘板。
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沖縄県の旅行記 土佐之塔。
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沖縄県の旅行記 土佐之塔から見た海。
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沖縄県の旅行記 土佐之塔入口。
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沖縄県の旅行記 具志頭城跡展望台にて、自撮り中のたかティムさん。
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沖縄県の旅行記 具志頭戦没者刻銘板。
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沖縄県の旅行記 甲斐之塔入口。
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沖縄県の旅行記 具志頭城跡にて。 沖縄本島南部の八重瀬町にある...
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沖縄県の旅行記 具志頭城跡にて。
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沖縄県の旅行記 具志頭城跡にて。
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沖縄県の旅行記 具志頭城跡にて。わずかに残る石垣。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕、通路から見た様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕、通路から見た様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕、通路から見た壕内の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕、通路から見た壕内の様子。 ...
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕、通路から見た壕内の様子。 ...
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路から見た壕内部の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路から見た壕内部の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路から見た壕内部の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、拝所のようです。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路から見た壕内部の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路から見た壕内部の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、壕入口の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路かから見た壕内部の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路から見た壕内部の様子。 ...
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、通路かから見た銃眼と壕内部の...
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、拝所と壕入口の様子。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕にて、拝所。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウにつながる階段。
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウにて。拝所のようです。しかし人が訪れ...
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沖縄県の旅行記 クラシンウジョウ壕入口に書かれている管理者表示。連絡...
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沖縄県の旅行記 白梅学徒看護隊の足跡が書かれています。
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沖縄県の旅行記 ?八重瀬町戦争遺跡公園 ヌヌマチガマ・ガラピガマ?の...
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沖縄県の旅行記 白梅学徒看護隊の足跡めぐり ?ヌヌマチガマ? 県立第...
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沖縄県の旅行記 こんな看板を立ててはいますが…。
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沖縄県の旅行記 ?八重瀬町戦争遺跡公園 ヌヌマチガマ・ガラピガマ ...
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沖縄県の旅行記 富盛の石彫大獅子付近から眺めた景色、その?。
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旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

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沖縄県の旅行時期
2014/09/16~" . 2017/06/23
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

第零章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?INDEX編?

平成26(2014)年9月16日から書き溜めた?戦争を学ぶ?シリーズのINDEX編です。自分自身の中でごっちゃになってしまったので纏めてみました。次回に残った?課題?以外は特にここで書いていることはないと思います。また今後?戦跡?巡りの旅を続ける限り、この旅行記は継続し続けます。
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沖縄県の旅行記 第二十八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?なごらん学徒看護隊...
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沖縄 ,第二十八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?なごらん学徒看護隊(沖縄県立第三高等女学校)の足跡を訪ねて?
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第二十八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?なごらん学徒看護隊(沖縄県立第三高等女学校)の足跡を訪ねて?

第二十八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?なごらん学徒看護隊(沖縄県立第三高等女学校)の足跡を訪ねて? 沖縄県立第三高等女学校、沖縄戦に於いて動員された学徒隊のひとつである名護蘭(なごらん)学徒看護隊を結成し従軍した女学校生徒達のことをそう呼び、現在に至っています。 多くの人材を輩出した国頭農学校が大正5(1916)年に嘉手納へと移設され、名護・山原といったエリアでは学校誘致が地域的課題とされていました。そこに大正9(1920)年に?国頭郡各村立組合立実科高等女学校?が、昭和3(1928)年には県立第三中学校が開校し、北部名護町の活性化の支えとなります。その後国頭郡各村立組合立実科高等女学校は、国頭高等女学校を経て、昭和5(1930)年には沖縄県立第三高等女学校として再出発し、北部の学都としての役割を担って行くこととなります。 しかし太平洋戦争がはじまり、沖縄に於ける戦いが避けられないものとして刻々と近付いてくると、日本軍が沖縄へと送られてくることになります。沖縄本島で戦った部隊として?第62師団?台湾へと抽出された第9師団の後を受けた?第24師団?が知られていますが、その他沖縄島北部には?独立混成第44旅団?が配置されることになっていました。昭和19(1944)年6月3日に熊本で編成された?独立混成第44旅団?でしたが、6月27日に沖縄への船舶輸送に出発するも、6月29日に二個歩兵隊約4,100名と歩兵砲・速射砲・トラックなどの重装備を乗せた?富山丸?が徳之島沖で米軍潜水艦Sturgeonの雷撃によって轟沈。積み荷にあったドラム缶700本のガソリンにも引火したため富山丸は大爆発を起こし、沈没海域は一帯が?火の海?となりました(富山丸事件)。 乗り組んでいた歩兵隊の船員70名、船砲隊6名、兵員3,654名の合わせて約3,700名もの犠牲者・行方不明者を出し、生存者はたった300名足らずと言われています。船団指揮官の独立混成第44旅団第一歩兵隊長柴田常松大佐は殉職、以下僅かに生還した兵士も僚船などによって沖縄へと運ばれ、せっかく拾う筈であった命を失うことになっています。結局富山丸事件によって旅団構成人員に問題が生じることとなり、第一歩兵隊は復員解消され、第2歩兵隊は再編成基幹要員を本土から空輸及び現地召集者を加えて再編成されました。後に第二歩兵隊長となる宇土武彦大佐は7月7日に那覇に到着し?国頭地区隊?として名護付近に位置することを命じられます。昭和19(1944)年11月には第9師団の抽出に伴う配備変更に於いて、第2歩兵隊の歩兵2個大隊を基幹とする部隊をもって?国頭支隊?として国頭方面の防衛に当たりますが、伊江島にも1個大隊を配備することとなり、結果本部半島の本当守備隊は第2大隊を基幹とする約3,000名の小兵力となったことにより本部半島の陣地を八重岳中心とする地区に縮小しています。第二大隊本部陣地壕跡は標高約453mの八重岳の頂上付近、斜面西側に設置されており、陣地壕から沢を挟んで設けられた?野戦病院(沖縄陸軍病院八重岳分院)?は病院といっても丸太と茅葺きによる掘っ立て小屋だったそうです。八重岳と北方の真部山にいた負傷兵が運ばれてくるものの、十分な治療を受けられず多くの将兵が命を落としています。兵力もない・武器もない・医薬品もない八重岳をめぐる攻防では日本軍は善戦したものの、所詮数に勝る米軍の前ではすぐに劣勢になってしまいます。4月10日には八重岳から砲撃を加えて米軍の前身を阻止したりはしたものの、翌日には猛烈な艦砲射撃と飛行機の対地攻撃を敢行されています。そして乙羽岳地区の遊撃隊や鉄血勤皇隊も米軍の攻撃を受けることとなり、激戦を戦ったもののの多くの犠牲者を出しています。 昭和20(1945)年4月14日に米軍は飛行機の対地攻撃と砲撃の支援下に08:00頃攻撃を開始し、午後からは激烈な戦闘となっています。また丘や渓谷から何処からともなく攻撃してくる日本軍に戦闘を支配され、?全く幽霊のような敵であった?と言わしめていた近付くことさえ難しかった日本軍兵士ではあったもののこれまでの数日間による偵察で得た日本軍の攻撃拠点をひとつひとつ潰しながら進む戦法に対抗するすべがなく、翌4月15日・16日に更に猛烈な砲爆撃を加えられたことにより、ついに宇土大佐は戦況を考慮し?本夜転進の時機なり?と遊撃戦に移る事を命じ、八重岳陣地を放棄した後第3遊撃隊(第1護郷隊)のいる多野岳への転進を命令しました。残存兵力の各隊はさらに小隊・分隊の小部隊に分散して夜暗に紛れて多野岳に向かうこととなり約1週間に及ぶ日本軍の本部半島での戦闘は終了することとなりました。翌4月17日には米軍は八重岳北東頂上を占領し、18日より敗走する宇土部隊を追撃しての掃討戦が4月いっぱい続けられています。 この宇土部隊の?本部壕?と?沖縄陸軍病院北部分院跡地?が今回訪れた場所になります。僅か1週間程の戦いの後に放棄されたこれらふたつの拠点には、部隊撤退後に多くの重症患者が取り残されていたと言われており、一説には300名もの患者が残されていたとも言われています。そして軍に協力した学徒隊の存在がやはりあり、沖縄県立第三中学校と沖縄県立第三高等女学校が学徒隊員として従軍しています。三中生は防衛隊員・鉄血勤皇隊員及び通信隊員として動員され、真部山・八重岳・名護岳・多野岳等で戦ったものの米軍の圧倒的な物量の前に壮烈な最期を遂げていきました。また三高女生も軍需産業への女子挺身隊員・従軍看護婦として動員されて若い命を散らしています。 南部の学徒所縁の場所に比べると、圧倒的に知られていない北部の学徒所縁の地であるように思えてなりません。八重岳本部壕の説明版や『なごらん学徒看護隊』の碑などは。平成11(1999)年に建立されたときのままなのか、文字すら見えませんでした。学徒所縁の地の情報は知らなければそれまでですが、ひとつのエリアにいくつか集まっており、学徒名を知っていれば意外に簡単に見つけることができました。しかし北部になるとその情報を?知らなければ?絶対に行けません。たまたま立ち寄った?ローソン名護高校前店?の名前から?名護高校?付近にいることを知り、名護高校と言えば?沖縄県立第三高等女学校?のはず!というむちゃくちゃと思える脈絡から名護高校に連絡を入れ?南燈慰霊之塔?参拝の許可を得たことに始まります。そして名護から本部を経て美ら海水族館へと至る道で通った?八重岳?の山道に、なにかを感じながら走っていて見つけた?宇土部隊本部壕と陸軍病院跡?の碑、そして訪問ということになりました。 このふたつの学徒隊の共通点である?南燈慰霊之塔?は昭和31(1956)年に?三中健児之塔?として兼久公園に建立されたものに、昭和47(1972)年沖縄県立第三高等女学校戦没者を合祀し、平成元(1989)年に?南燈慰霊之塔?と改名し、平成13(2001)年にこの地に移転して現在に至っています。私自身の?行きたいけれど行くことができない場所?リストに入っていたことがこんなところで幸いしました。しかし八重岳の本部壕と病院跡も含めて、なにか不思議な縁みたいなものを感じました。引き寄せられたみたいな感じがあって…。 ?南燈慰霊之塔?の慰霊祭は、名護高校があとを次いで、現在でも行っておられます。遺族や同窓生の高齢化に伴って、慰霊祭を執り行うのが困難になっている中で次世代が引き継いでくれていることは嬉しく思います。しかしその学徒隊に対する?情報?的なものはやはり圧倒的な少なさを感じざるを得ません。元々の数が少ないため?語り部?をして頂ける?生還者?の方々達の貴重な意見を集めることは、学徒隊の?事実?を後世に伝える最も?重要な課題?であるように思います。 今回は運よく?場当たり的?な計画にも拘らず、訪れることができました。しかしできることならやはり十分な?計画性を持った予定?のもとで訪れたいと改めて思います。現状で私が知り得たなごらん学徒のことは以上です。今後新たな関連場所を訪れることができたならばそれを追加していくこともあるかと思います。 今日は七夕、七十余年前に若くして斃れた少女達もきっと星空に未来の旦那様の姿を見ていたんだろうとふと思いました。 これにて?第二十八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?なごらん学徒看護隊(沖縄県立第三高等女学校)の足跡を訪ねて??は終わります。 ≪訪問日≫ ?平成29(2017)年6月21日水曜日
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