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沖縄県の旅行記【歴史・文化・芸術】

沖縄県の旅行記
沖縄 ,☆竹富島☆1月でも ぽっかぽか 太陽てぃだサンサン♪ 民宿泊まりで ゆ?ったり島めぐり
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
コージ☆
沖縄県の旅行時期
2015/01/24~" . 2015/01/25
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

☆竹富島☆1月でも ぽっかぽか 太陽てぃだサンサン♪ 民宿泊まりで ゆ?ったり島めぐり

 内地の真冬はカラダが縮こまって不健康に… 「これじゃぁいかん!カラダによくないっ!」と,なんだかんだ言い訳つけて,八重山に行ってきました(たんに寒いのが苦手なだけですが…)  1月だというのに,日中はTシャツ1枚で過ごして,太陽のパワーを全身に浴びて元気になりました(おかげで季節はずれの日焼けして,首筋ヒリヒリ…)  竹富島は10年前に来たことがあるけど,その時はバタバタ日帰り観光だったので,いつかは民宿に泊まってゆったりじっくり島の雰囲気を味わってみたいと思っていました  夕陽,夜の静かな路地,満天の星々,朝の人気ないビーチ…泊まってみてあらためてこの島の魅力を知ることができました
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沖縄県の旅行記 石垣港から竹富島へ たった15分の船旅
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沖縄県の旅行記 この島はチャリンコでブラブラするのが一番だろうと思っ...
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沖縄県の旅行記 まずは,御嶽(うたき)で「1泊2日お世話になります」...
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沖縄県の旅行記 ありがたいことに,今日は快晴! そういう日は,...
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沖縄県の旅行記 ベタな名所ですが,星砂浜(カイジ浜)
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沖縄県の旅行記 大のオトナたちが,星の砂集めに夢中になってる~ ...
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沖縄県の旅行記 仕方ないから?わたしも挑戦 10年前に一度やっ...
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沖縄県の旅行記 これはスゴイ!素人がこんなに取れるわけないっ! ...
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沖縄県の旅行記 お次のビーチへ 気持ちのいいサイクリング・ロー...
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沖縄県の旅行記 着いたー 素晴らしすぎるぅぅっ 竹富島,参りま...
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沖縄県の旅行記 コンドイビーチです しばし,時間を忘れてボーっ...
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沖縄県の旅行記 ビーチに満足したら,集落へ
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沖縄県の旅行記 なんで,こんなに沖縄の赤瓦って好きなんだろう?
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沖縄県の旅行記 すべてが絵になるー
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沖縄県の旅行記 チャリでブラブラ ヤギもブラブラ
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沖縄県の旅行記 水牛は働きもの!? でも,この子ったら,ドヤ顔...
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沖縄県の旅行記 お土産屋さんの店先
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沖縄県の旅行記 「青空と赤瓦とシーサー」って,こんな写真ばっかり撮っ...
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沖縄県の旅行記 郵便局!
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沖縄県の旅行記 悲劇の美女クヤマさんの生まれたお家 美人に生ま...
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沖縄県の旅行記 お腹がすいたので,お店を探してたら,看板がー とに...
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沖縄県の旅行記 フツーのお家の2階へ
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沖縄県の旅行記 ここ入口?誰かのお家の玄関じゃないのー? ま,...
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沖縄県の旅行記 入ったはいいけど,砂とか板とか敷いてあるし ク...
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沖縄県の旅行記 クツのままでいいそうです 地図をみたら「ハーヤ...
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沖縄県の旅行記 お店の窓から「なごみの塔」が見えました 「なご...
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沖縄県の旅行記 だいたい一人旅じゃ,自分の写真は撮らないんですが,今...
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沖縄県の旅行記 ご当地っぽいものを食べようと「季節の島野菜カレー」に...
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沖縄県の旅行記 この辺は国の『重要伝統的建造物群保存地区』に指定され...
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沖縄県の旅行記 集落をブラブラしてたら,今日のお宿を見つけたので,チ...
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沖縄県の旅行記 いい雰囲気! 中からおばちゃんが出てきたんで,...
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沖縄県の旅行記 屋根の上は,親子のシーサーかな? で,そのおば...
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沖縄県の旅行記 お家の人はフツーの日本人だったので安心しました ...
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沖縄県の旅行記 中庭から部屋を見た様子 右端が今晩の寝床 ...
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沖縄県の旅行記 とりあえず,縁側から部屋に入ってみる 中庭から...
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沖縄県の旅行記 ふすまの向こうは,先客が居るよう お隣さんなの...
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沖縄県の旅行記 オーナーに家の中を案内されました トイレ・シャ...
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沖縄県の旅行記 こちらは食堂(今回は素泊まりだったんで,ここでは食事...
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沖縄県の旅行記 地図を見てたら,夕陽がキレイに見える「西桟橋」とやら...
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沖縄県の旅行記 カップルがいっぱいで,ちょっとムカついたけど,「今日...
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沖縄県の旅行記 日帰り観光客が帰って,夜の帳が下りると… 「お...
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沖縄県の旅行記 真っ暗な中,誰も居なくなった「なごみの塔」に登る ...
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沖縄県の旅行記 白色灯じゃないのが風情あっていいね~
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沖縄県の旅行記 どこの路地もすごくいい感じ! この島は平和な雰...
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沖縄県の旅行記 いや,オヤジ狩りに遭わないとか言ってる場合じゃなくて...
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沖縄県の旅行記 上ばかり見上げて首が痛くなったんで,寝ることに っ...
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沖縄県の旅行記 しまったー!7時だー!蚊取り線香も終わってるー! ...
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沖縄県の旅行記 チェックアウトは10時だから,それまで朝の散歩だぁ(...
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沖縄県の旅行記 シーサー兄弟よ,おはよう! 相変わらず面白い顔...
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沖縄県の旅行記 砂の道は,キレイに掃き清められてる… そんな光...
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沖縄県の旅行記 そうなんです! 日帰り観光客が居ない朝に「なご...
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沖縄県の旅行記 ここの階段は,人ひとりがやっと通れるくらいに狭く,足...
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沖縄県の旅行記 “ミニチュア・モード”で撮ってみました
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沖縄県の旅行記 “水彩画モード”で撮ってみました
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沖縄県の旅行記 本当は,こんな感じ ガイドブックなんかの写真は...
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沖縄県の旅行記 なんとか目的を達成したんで,いったん宿に戻って荷物を...
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沖縄県の旅行記 美しすぎるー
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沖縄県の旅行記 もう,竹富島にノックアウト
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沖縄県の旅行記 2日間で,どれだけシーサー見たんだろう?
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沖縄県の旅行記 カメラ向けると,立ち止まってカメラ目線になる水牛がけ...
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沖縄県の旅行記
沖縄 ,読谷花織り
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
naffy
沖縄県の旅行時期
2005/08/~" . 2005/08/
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

読谷花織り

なんとなく体験した花織りに魅せられ、工房にお願いして3日間の連続体験をしました。安い飛行機がとれる時期、休みが連続してとれる時にはまず沖縄訪問を考えますね…
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沖縄県の旅行記 まずは細い糸で端を織っていきます。
沖縄県の写真
沖縄県の旅行記 端が終わりました。これから太い糸にかえます。
沖縄県の写真
沖縄県の旅行記 1日目はこのくらい。
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沖縄県の旅行記 2日目でこのくらいです。ちょっと長さと柄を確認…
沖縄県の写真
沖縄県の旅行記 3日間でこの長さになりました。私の身長が155なので...
沖縄県の旅行記
沖縄 ,第二十一章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?南風原(はえばる):沖縄陸軍病院南風原壕群20号編?
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2016/02/29~" . 2016/02/29
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

第二十一章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?南風原(はえばる):沖縄陸軍病院南風原壕群20号編?

第二十一章あみんちゅ戦争を学ぶ旅沖縄?南風原(はえばる):沖縄陸軍病院南風原壕群20号編? 沖縄県島尻郡南風原町。沖縄島南部に位置する人口37,000人程の小さな町ではあるものの那覇のベットタウン化が進み、沖縄県の市町村で唯一海に面していないこの町は珍しく?平成の合併?の話がまとまらず破談になり、そのまま単独で南風原町として存在しています。琉球王府時代からの直轄地であり首里に近いという地の利を生かせて繁栄を極めた街だそうです。今なお現代の交通の拠点でもあり沖縄自動車道那覇料金所、那覇空港自動車道の南風原北・南インターチェンジも設けられています。 前掲した資料館としての南風原文化センターに続き、平成19(2007)年6月に一般公開が開始された沖縄陸軍病院南風原壕群20号へと向かいます。南風原文化センターからの通路を歩いて行くと?悲風の丘?と?沖縄陸軍病院壕跡?の碑が並んで建立されています。那覇にあった陸軍病院は十・十空襲によって焼失、そのため交通の要所でもあり陸軍病院の分院があったこの地南風原国民学校へと移動して来ました。その後工兵隊によって掘られた黄金森一帯の30?40もの数があったとされる?沖縄陸軍病院南風原病院壕?へと入ることになります。その移動時期と前後して昭和20(1945)年3月23日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒によって構成された?ひめゆり学徒看護隊?が従軍することになりました。生徒と引率教師237名が従軍することとなりますが、僅か2ヶ月間で戦況は著しく悪化し、首里に置かれていた沖縄守備第32軍司令部が南部に撤退。それに伴い陸軍病院にも撤退命令が出たために、伊原・糸州・山城等糸満付近の壕に分散して入ることとなりました。移動に伴い傷病兵の動けるものは学徒や衛生兵に肩を借り移動しましたが、多くの重症を負った身動きの取れない兵は、処置という名目で毒物や手榴弾といった手段によって自決を余儀なくされたと記録されています。その数ははっきりとはしないものの、黄金森の慰霊碑には2,000余名が死を選ぶことしかできなかったとも書かれています。また放置された兵士の中には、部隊を追いかけて砲弾の飛び交う戦地を這って追いかけた者もいたそうですが、梅雨の時期泥沼化した地面を這うのは困難を極め、そのまま事切れた者も多くいたようです。 南風原文化センターから南風原病院壕群第20号へと向かう通路に建立されたふたつの碑は、ここがという意味ではなく、付近一帯が病院壕であったことを表すために建立されたものだと考えるのが筋が通るように思えます。確かに沖縄陸軍病院南風原病院壕址の碑の後方に第一外科壕?ロ-5号壕?があったことは事実ですが、やはり特定の壕としての碑として建立されたもののようには思えません。そして悲風の丘を上がるように歩いて行くと、飯上げの道と書かれている場所に到着します。言うまでもなくここは陸軍野戦病院壕として使用された場所であり、そこに配属されたひめゆり学徒が過酷な勤務を強いられていた場所に他なりません。なぜ飯上げの道なのか?これは壕に配属されていた学徒達が現在の南風原文化センターを越えた場所にあった井戸を利用し、食事を?天秤棒?で担ぎ、この飯上げの道を往復したことに起因しています。片道約800mあるこの道は、当時砲弾の飛び交う戦場を歩く大変危険な仕事でした。足場の悪い道を歩いているうちに足をとられて大鍋をひっくり返したこともあったようです。今ではロープが張られ最小限の設備は整えられているもののやはり足場は悪く、降雨の後や足の悪い方には迂回路としての歩道を勧めています。ただこの付近一帯は運動公園を整備する際にかなり整地が行われたと聞いています。元々どんな場所であったかということは私自身知らないため、単純な比較はできないものの今なお残る道でも十分と思えることから考えると当時はかなりの悪路だったことが容易に想像することができます。行きが下りで帰りは登りですが歩く際には細心の注意が必要です。 飯上げの道を通り抜けると舗装された道に出て、そのまま沖縄陸軍病院南風原壕群第20号の受付へと向かいます。壕の見学には予約が必要でできればFAXでの申込みをして欲しいとのことでしたが、間際で時間がないときは電話でも受け付けてもらえることもあります。しかしあくまでガイドさんが常駐されておられる訳ではないため、不可能なこともあります。本日最後の16:30の枠で予約を入れておき、受付で名前と入壕費300円を払います。ヘルメットと懐中電灯は借りられるものの、懐中電灯はあまり良いものではなく自分で持ち込んだ方が良いようにも思います。受付前に置かれていた付近一帯から採取された砲弾の破片は手にすることができます。見た目よりずっしりとした重みのある砲弾の破片。大きなものだと破壊力の凄まじさは容易に想像がつきますが、小さな破片でも傷口は小さくても肉や骨を抉るように刺さっていくため、死に至る傷を負うことは戦争という状況下でいかに簡単に受けてしまうかを思い知ります。これはやはり資料館ではなかなかわからないもの、現地に足を運んではじめて知る貴重な体験です。 糸数のアブチラガマは撮影禁止ですが、南風原壕群第20号は可能です。ただ真っ暗な闇の中を小さな懐中電灯で進んで行くのには、なかなか写真まで撮ることができないのが事実です。ガイドのGさんに連れられて真っ暗闇を歩いて行くのは、心細い気持ちも確かにありました。 装備を整えいざ壕の中へと進みます。南風原壕群第20号というとカマボコ型をした入口を思い出すのはなんでだろう…と思っていたのですが、確かにありました。要は壕内部の保存のため湿度を保つためにされているとのことでした。二重にある鍵付きのドアを開けて内部へと進むと、最初はウレタンで保護された壕壁に出会います。そして手術壕とされる第19号と第21号への通路との交差部分。なぜかそこには丈夫の壁を支えているような足場のようなものが組まれていました。そして凡そ30分程で出口に到着。入口と同じような扉がつけられており、その外側には地中に埋められていた薬品類が出土した場所の標記がしてありました。 この30分という時間は決まっており、ガイドさんもそれで満足が行く説明になっているのかどうかは疑問に思うところもあると仰っていました。確かに1回あたりの入壕を10名と定められており、今回のような閑散としたときはともかく、やはり修学旅行等で団体が入ると時間に追われてしまうことは否めないと仰っていました。ただなにより考えなくてはいけないことが?壕の保全?であると言えるでしょう。公開から8年が過ぎて、見学者の増加とともに壕内の劣化の進み具合は予想をはるかに超えるものでした。まず同時期に公開を開始した第24号は、土砂の流入により3年間で閉鎖されました。そして収容された兵士が天井に書いたとされた?姜?の文字は、剥離の可能性が高く現在応急処置中ということで足場みたいなものが組まれていました。 元々この付近は琉球石灰岩質の頑丈な地層ではなく、砂岩の層であるため掘りやすいものの脆いところもありました。壕内の壁はほとんどが砂岩層であったがため、取り巻く環境の変化、特に乾燥による影響が非常に大きく、元々は火炎放射によって真っ黒になっていた壁一面が崩落し、今のようなまだら模様になってきています。 戦跡の保存と活用という相反することについて、ガイドさんを含めたその現状を知る人からの判断が分かれていると思いきや、意外と皆さん同じ意見をされていました。見てもらえる状況である限り見学者を受け入れたいとのこと。他の壕のように放置され、時間の流れとともに消えていく訳でもなく、知らないうちに開発の波に埋もれる訳でもなく、日常から史跡保護のために気を配りながら、追壕体験をして貰おうと、むしろ積極的に活用していくことこそが戦跡の平和利用というお考えのようです。あくまで戦跡の保存は税金を含めた公費を利用し、運営に纏わる経費を入場料等で賄うのであれば、なにかの思いがきっかけとなり戦跡へと足を運ぶ者にとっては?きっかけ?を失うことにはならないため大変ありがたいことだと思います。確かに不透明な資金運用の結果、特定の団体に管理させることは、?金儲けの戦跡ガイド?の健全化は図れても、きっかけを失うことにより個人の見学者は減り、結果としてはその戦跡に纏わる話そのものが取り上げられることがなくなり、結局史実が語られなくなるリスクを考えてしまいます。 事実この1年間でも見学者が増えた旧海軍司令部壕、減ったヌヌマチガマという知名度の高さを誇る場所の話が現実論としてある訳であり、その中で可能な限り受け入れをして貰える沖縄陸軍病院南風原壕群第20号はやはり貴重な存在になりつつあることは事実です。一般に門戸を開きつつも壕の保全のために少しずつではあるものの修復しながら運営されていることは、時間を空けて再訪した際に全く同じ状態で見ることができないかも知れません。日々変わりつつある戦跡を訪れ、見て聞いて感じることの大切さを痛感した僅か30分程の壕巡りだったように思います。 最後にお話しを伺ったGさんにお礼を言い、またなにか思うところがあれば再訪しますとお礼を言い壕を後にします。 改めて外部から見た第20号の写真を撮って、時間切れで回れなかった中庭にある慰霊碑へとやってきます。隅っこには崩落した第24号がありますが、パッと見ただけでは土砂の流入が激しくちょっとやそっとでは立ち入りはできそうにありません。そして?憲法9条の碑?。平和希求への象徴的なものとしてよく見かけるものではありますが、意外なことに建立者は地方自治体の発案の場合と、個人が有志を募って建立したものと分かれるそうです。史上稀に見る地上戦が行われた沖縄でその思いが強いことの想像はつきますが、読谷村と西原町は市町村が建立したのに対し、南風原町・宮古島市・石垣市のものは地元の9条の会のメンバーや住民が寄付金を募って建立し、完成後市町村に寄贈され後は各自治体が管理して現在に至ります。ちなみにその他にも那覇市の恒久平和の碑等、同じ意図を持ち憲法9条を謳っているものとして同一視されているものもありますが、ここでは?憲法第9条の碑?と刻まれているものに限定しています。その建立の経緯はともかく、やはり御影石を用いた立派過ぎる碑であることがなんとなく違和感を持つところがあります。そんなところで存在感を出しても意味がない…。それより憲法第9条の上っ面の利用そのものを考えなければならない時代になっていることは間違いないことであり、よくある?憲法第9条の碑?に刻まれている条文を?丸写し?したTシャツを、条文の意味すら分からない年端もいかない少年少女に着ることを要求し、そこから平和主義をゴリ押しする無茶苦茶なやり方は、戦時中という理由の元で徴兵を余儀なくされた?学徒隊?と同じ考えではないか、そう思えてなりません。平和を希求する気持ちは多くの人々が持つ?共通?した考えではあれど、現在の?憲法は守って当たり前?的な時代に於いて、一方的な考えを押し付けることは教育ではありません。むしろ?洗脳?と言っても過言ではないでしょう。?平和を考える?ことは必要不可欠ではあるものの、学校で行う歴史や道徳の時間で?討論的?な授業ではなくただの?説明?だけで済ましているのが現実です。それでは今の?考えることをしない子供達?がその憲法第9条を理解して建設的な意見を持つことなど期待する方が難しいのではないでしょうか? 以前平和学習の応答に於いて、憲法第9条第1項の?戦争の放棄?について、?スイスに倣えば良い?という意見があったとの記述がありました。永世中立国=戦争をしないとの考えによるものだそうですが、実際にスイスは軍隊を持っています。永世中立国の名のもとで戦争を仕掛けはしないが、本国の?自衛?に対する意識は大変大きなものがあり、第二次世界大戦中領空侵犯をした連合国・枢軸国軍機合わせて250機を撃墜した記録も残っています。つまり?自衛のための攻撃?は?交戦権?にあたらないという解釈がされており、軍を持ち徴兵制を有する国民皆兵国家であるというのが事実です。それは日本に於ける憲法第9条第1項?戦争の放棄?、第2項前段?戦力の不保持?、2項後段?交戦権の否認?とは全く異なる?自衛のための戦争?であり?軍隊の保持?であり?自発的交戦権の否定?に基いている?憲法?は、あくまで諸外国に対する?自国に対する戦闘行為?を?禁止?するものではないという事実を端折ることはできない事実です。スイスの場合は様々な問題で戦争を仕掛けるメリットがないとされていますが、日本の場合は?迎撃をされない?から良いように解釈されているところがあるように思います。勿論戦争を仕掛けることでなんら?得になる?ことがないのは、国民の貧困改善を外地に向けて戦争を仕掛けた経験のある日本国民であれば、わからない方はおられないでしょう。しかしそれは内地で?攻撃を受けるリスクが少ない?から言えるところはあり、尖閣諸島をはじめとする国境の島沖縄では、日常生活を遂行するにあたって生ずる領海・領空侵犯によって脅かされている事実を、抜きにして語ることが果たして?平和主義?の四文字で済ませることができるのかは正直疑問に思えるところがあります。 那覇空港の拡張が叫ばれるのは民間航空機の優先順位が一番低く、?米軍、?自衛隊、?民間機となっている現実から、民間機によって沖縄を訪れる観光客を誘致する第3次産業の声が大きいことはいうまでもありません。たまたま早着した飛行機が空自機のスクランブル発進のため滑走路が使われ、そのために出発できない機材によってエプロンが空かず結果として遅延する現実もあります。そしてその現場にいた観光客は時としてスクランブル発進をした空自戦闘機の?マッハの爆音?を耳にすることもあるでしょう。それをどう思うかは個人の自由だとは思いますが、これが日常的なものであれば…考えて当たり前だと思います。 かつて大日本帝国は皇民化主義という名のもとで戦争を始めました。そして15年戦争末期、米軍が降伏を呼び掛けるビラをばら撒いてもそれに従うことは許されず、結果史上稀に見る激戦の部隊となった沖縄では軍民問わず20万人を超える犠牲者を出しました。そのビラを握り潰したのは日本軍であり、当時の取り巻く環境下では?降伏?という選択肢はなかったための結果だと思われます。しかし考え方によってはその内容を?当たり前?としてしまった結果、疑うことを知らずに戦争に巻き込まれて、志半ばにして斃れた少年少女がたくさんいたという史実。それが意味も分からず?憲法第9条?と書かれたTシャツを着て、偏った知識で?平和もどき?を説かれている姿と被ってしまうのは果たして私だけでしょうか?少なくともが学校やその他の教育機関で、?憲法第9条?の条文に対して、指導者や生徒を含めた論議がされていればともかく、日本史に於いても時間切れと称し、近代史等言葉すら出てこない教育の元で付け焼刃の体験がなにか建設的な答えを生むのだろうか…。そう思えてなりません。 多くの戦跡ではなにも一組の団体だけが訪れているのではありません。色々な思いを持って訪れている方々がおられる公共の場に於いて、そのような無責任な言動を行うことは慎んで頂きたい。それが大人の態度だと思います。どこぞの首相や知事が言っていることはともかく、?平和ガイド?としての役割は、自分の考えを押し付けるのではなく、70年前に斃れた同世代の少年少女達がどのように考えるのか、それをサポートすることではないでしょうか。そんなことをふと感じました。 憲法第9条の碑の隣には同じく最近建てられた?鎮魂平和の鐘?がありました。南風原壕の見学の際、時間によってはガイドさんが?突いてみて下さい?と勧めるようなことがあることは書かれていましたが、私の場合は壕見学にみっちり時間を割いて頂いたのでその時間はありませんでした。見学を終えて付近一帯を散策していて平和の鐘を見上げていたところ、入壕の受付管理をされていたご婦人がふと話し掛けて来られました。それはこの平和の鐘を見つめたまま突くこともせず立ち去ろうともしない私に何か思うところはあったのかも知れません。彼女が言われることには正面に窪みがあり、そこにはひめゆり学徒が病院壕から運び出した切り取った四肢や遺体を掘り込んだ場所であるということ、そしてその隣には沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校敷地所縁の?相想樹(そうしじゅ)?が植えられていると聞きました。元々形式的なものにはあまり関心を持たないため、鐘を突くことには抵抗もありましたが、そのお話を聞きようやく素直になれたところがあり、2回程突かせて貰いました。それは形式ではなく、この地で亡くなられた兵士や学徒すべての方へのレクイエム…そう思えたからです。そしてその隣にある?鎮魂の歌碑?と言われる石碑。一部ではひめゆり学徒の生存者のものと記載されているものもあるようですが、紀春と書かれているのは当時軍医で見習士官だった長田紀春沖縄陸軍病院慰霊会会長の詠まれたものです。 額(ぬか)づけば 戦友(とも)葬りし 日のごとく 夜明けの丘に 土の香匂(にお)ふ 両の足 失なひし兵 病院を 探して泥道 這(は)ひずり来たる 病院壕で亡くなった兵士を埋めること、そして南風原から陸軍病院が撤退するときの様子を詠まれたものですが、この情景が後に沖縄陸軍病院南風原壕が南部に撤退するときの様子を語る二首の詩となっており、表現は違うもののその情景を表す?代名詞?ともなっているものにも拘らず、実は出所が知られていなかったもののようでした。今回長田先生の目の当たりにされた光景を詠んだ歌碑(平成19(2009)年10月5日付琉球新報)を見て、デジャヴではないかとその光景が脳裏を過った気がしました。 そうこうして一通りの見学を終え、再び飯上げの道を歩きます。帰りは上りになるのですが結構急な坂であることがわかります。この急坂を炊きあげられた飯を天秤棒で担いだひめゆり学徒の苦労を改めて感じつつ、沖縄陸軍病院南風原壕址碑・悲風の丘の碑へと戻ってきます。日暮れの遅さはいつもながらに思うもののさすがに2月の末では17:30頃になると夕方を呈するようになり、車へと戻ります。約1時間半のコースでしたが、色々と知らなかったことや新たな発見ができて満足できました。「次に来るときには大切な人を連れてきて下さいね。」とガイドさんより頂いた意味深な言葉がなんとなく心に残ってる…と思いながら次の目的地へと進んで行くためにこの地を後にします。 これにて?第二十一章あみんちゅ戦争を学ぶ旅沖縄?南風原(はえばる):沖縄陸軍病院南風原壕群20号編??は終わります。次章?第二十二章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?糸満:マヤーガマ(マヤーアブ)編??に続きます。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号、内部の様子。 ...
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号にて、火炎放射器で焼か...
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沖縄県の旅行記 収容患者によって刻まれた?姜?の文字。剥離の可能性が...
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沖縄県の旅行記 剥離が始まっている壕内部の壁。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号内部の壁の様子。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号出口。少しでも劣化を防...
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沖縄県の旅行記 出土した医薬品はこのあたりから発見されました。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号、出口。
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沖縄県の旅行記 糸数(アブチラガマ)が見えました。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号、入口。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号、見学者の心得。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号、入口。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群20号、受付へとやってきました...
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号が一般公開された頃はこ...
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沖縄県の旅行記 土砂が流入し3年程で中に入れなくなりました。
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沖縄県の旅行記 しかし僅かな期間で・・・。
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沖縄県の旅行記 沖縄の反戦のシンボル?憲法第9条の碑?。
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沖縄県の旅行記 ?鎮魂の歌碑? 額(ぬか)づけば 戦友(とも...
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沖縄県の旅行記 鎮魂の歌碑、建立の謂れ。
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沖縄県の旅行記 鎮魂と平和の鐘、全景。 後ろには相思樹(ソウシ...
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沖縄県の旅行記 鎮魂と平和の鐘、由来文。
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沖縄県の旅行記 鎮魂の鐘、鐘の部分。 理屈抜きでレクイエムの気...
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沖縄県の旅行記 憲法第9条の碑、裏面。
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沖縄県の旅行記 相思樹(ソウシジュ)の木。 こちらの後方に手術...
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沖縄県の旅行記 飯上げの道を戻ることにします。
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沖縄県の旅行記 結構キツイ坂です。
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沖縄県の旅行記 そして足場も良くありません。
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沖縄県の旅行記 ひ~は~ひ~は~。 タバコハヤメヨウ…。
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沖縄県の旅行記 今上ってきた坂ですが、急勾配がわかりますか?
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沖縄県の旅行記 南風原陸軍病院壕址。 この場所が陸軍病院壕址と...
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沖縄県の旅行記 同じく建立は沖縄陸軍病院慰霊会とあります。
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沖縄県の旅行記 碑の後面には沖縄陸軍病院慰霊会とあります。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号、パンフレット。
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沖縄県の旅行記 沖縄陸軍病院南風原壕群第20号、パンフレット。
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沖縄県の旅行記 そして陸軍病院壕址の碑まで戻ってきました。
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沖縄県の旅行記 だいぶ日が傾いてきたのがわかります。
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沖縄 ,北大東島 ◇ 沖縄で一番早く朝日が昇る『うふあがり島 』 ? 離島にローマ遺跡? & 驚きの大東ブルー!
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沖縄
沖縄県への旅行者
コージ☆
沖縄県の旅行時期
2016/03/26~" . 2016/03/27
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

北大東島 ◇ 沖縄で一番早く朝日が昇る『うふあがり島 』 ? 離島にローマ遺跡? & 驚きの大東ブルー!

北大東島は,島の成り立ちや歴史など南大東島と双子の兄弟と言っていいくらいなので,両方いっぺんに行きたかったんですが,今年の1月に南大東島へは行ったけど,スケジュール的に北大東島へは行けませんでしたので,今回リベンジです この島は特別な名所があるわけでもないですが,燐鉱石貯蔵庫跡と海のブルーがひじょうに印象的で,やっぱりいい島でした 今回は,沖縄ツーリストさんで宿と航空券を確保しました(個別に手配すると,航空券が高くなるのでツアーにした方がいいかも…) 南大東島と比較すると面白いかもしれませんが,見どころは南大東島の方が多いです ※南大東島の旅行記 【前編】http://4travel.jp/travelogue/11098136 【後編】http://4travel.jp/travelogue/11097665 ※OTS 沖縄ツーリスト https://www.otsinfo.co.jp/ ※ハマユウ荘 http://www.hamayuso.com/ 【行程】 ◆1日目 那覇発13:45-RAC(琉球エアコミューター)847便-北大東14:55 『ハマユウ荘』にチェックインして,島内めぐり(大東宮→天狗岩→沖縄海・沖縄最東端の碑→江崎港→上陸公園など) ◆2日目 日の出→西港・燐鉱石貯蔵庫跡→北港→灯台・旧陸軍壕跡など 北大東15:20発-RAC836便-15:35南大東16:00-RAC868便-17:15那覇着→帰京
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沖縄県の旅行記 船じゃなくて,毎度お馴染みRACのDHC8-Q100...
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沖縄県の旅行記 外観は,なんてことないローカル空港だけど,「沖縄の東...
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沖縄県の旅行記 送迎車には8人乗っていました みんな旅人ですが,「...
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沖縄県の旅行記 あれ~っ,なんかいい感じ~! こんな(と言っち...
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沖縄県の旅行記 部屋も広くて快適~♪ コーヒーもハーブティーも...
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沖縄県の旅行記 さらに,気に入ったことには,展望台が付いていて(写真...
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沖縄県の旅行記 予想以上にいい宿だったので,ご機嫌なままレンタカーで...
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沖縄県の旅行記 離島でのお約束,島(村)唯一の信号をとりあえず撮って...
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沖縄県の旅行記 ますは,「大東宮」にお詣り
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沖縄県の旅行記 空港の近くの「天狗岩」へ 「名前が面白そうだし...
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沖縄県の旅行記 天狗岩の脇にある「秋葉神社」の前でミステリーサークル...
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沖縄県の旅行記 空港は島の東端に南北に伸びていて,その外側(海側)は...
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沖縄県の旅行記 滑走路を南から見た様子 空港をこんな角度で間近...
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沖縄県の旅行記 島の東岸 転んだら痛そうなゴツゴツ岩だらけで,...
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沖縄県の旅行記 だ~れも居ない休憩所 ボケーっとするにはいいポ...
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沖縄県の旅行記 この辺が,沖縄の最東端なので,とりあえず撮っておきま...
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沖縄県の旅行記 このへんは,略称「低潮線保全法」という法律で規定され...
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沖縄県の旅行記 島の東岸から南端へ周って「江崎港」に来ました ...
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沖縄県の旅行記 江崎港は,釣り人が多かったです 港で何が釣れるか分...
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沖縄県の旅行記 江崎港 写真を撮っていたら,軽トラのおっちゃん...
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沖縄県の旅行記 「上陸港」周辺は,「上陸公園」として整備されてますけ...
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沖縄県の旅行記 夕陽がキレイ さ,腹減ったし帰ろう
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沖縄県の旅行記 「上陸港」は,110年前の明治36年,開拓のために上...
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沖縄県の旅行記 宿泊客も少なく,静かな夜 食堂に向かいます
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沖縄県の旅行記 夕食は「ハマユウ定食」\1,600って離島料金! ...
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沖縄県の旅行記 宿の売店で,大東名物「シージャーキー」の辛口を発見!...
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沖縄県の旅行記 夕食後,ダイトウオオコウモリを見たくて,夜の散歩へ ...
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沖縄県の旅行記 朝!まっすぐ上る飛行機雲!今日も晴れそう! 沖...
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沖縄県の旅行記 日の出の後は,朝のドライブ 製糖工場は煙モクモ...
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沖縄県の旅行記 朝食前に,部屋のとなりにある展望台へ登ります ...
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沖縄県の旅行記 朝食も素朴です
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沖縄県の旅行記 さて,夕方まで時間があるので,今日は本格的に島内めぐ...
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沖縄県の旅行記 西港の脇には,この島で最大の見どころと言っていい「燐...
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沖縄県の旅行記 廃墟とブルーの海というミスマッチ
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沖縄県の旅行記 これなんか,形は違うかもしれないけど,ローマの水道橋...
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沖縄県の旅行記 後で訪れた資料館?!のようなところに展示してあった燐...
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沖縄県の旅行記 廃墟は,白黒モードで撮ると味が出るかも?と思って撮っ...
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沖縄県の旅行記 この石のチューブに燐鉱石を入れてたんだねー
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沖縄県の旅行記 ぽっかり四角い穴が 石のチューブの入口(写真左...
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沖縄県の旅行記 ここは,さっきの写真の青い丸あたりです 岸壁ま...
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沖縄県の旅行記 村では,ここを観光名所にしようと企んでるようですが,...
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沖縄県の旅行記 廃墟にサボテンが生えてる~!
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沖縄県の旅行記 レールの跡
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沖縄県の旅行記 さっきの模型の黄色い丸あたり
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沖縄県の旅行記 ウインチ(巻き揚げ機)の赤錆びがいい!
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沖縄県の旅行記 廃墟?遺跡? 何とも言えない無常感があって,俗...
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沖縄県の旅行記 このカオス! 廃墟なのか,ゴミ捨て場なのか?分から...
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沖縄県の旅行記 燐鉱石貯蔵庫跡の近くに,こじゃれた洋館!? 廃...
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沖縄県の旅行記 燐鉱石貯蔵庫跡の周辺は,廃墟だらけなんですが,もとは...
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沖縄県の旅行記 港の先っちょの方へ行ってみると,やっぱり大東島はワイ...
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沖縄県の旅行記 西港のとなりには,広々とした公園がありました ...
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沖縄県の旅行記 なんだか分からない物体がオブジェとなってました ...
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沖縄県の旅行記 色とりどりの花も咲いてるし 子どもの用の遊具もある...
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沖縄県の旅行記 面白そうな仕掛けがあったのでのぞいてみました ...
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沖縄県の旅行記 「国標」 「ここは日本なんだぞー」って自己主張...
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沖縄県の旅行記 10?ちょっと先に南大東島が見えます 南北大東...
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沖縄県の旅行記 島の北側,なーんにもない海沿いのドライブウェイが気持...
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沖縄県の旅行記 ダイナミックな波が打ち付けてます
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沖縄県の旅行記 ドリンクを買いに空港に立ち寄りました(自販機あり)
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沖縄県の旅行記 道路にサトウキビの残骸がひっ散らかって,クルマで進ん...
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沖縄県の旅行記 ブラブラ走って,丘の上の灯台へ 北大東島は,サ...
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沖縄県の旅行記 やっぱり島には白い灯台だねっ
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沖縄県の旅行記 灯台のそばに,旧陸軍壕が残っていました (右下...
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沖縄県の旅行記 ランチしに,いったんホテルへ戻りました この島は,...
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沖縄県の旅行記 ホテルに,こじゃれた水の階段があったので,なにげなく...
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沖縄県の旅行記 西港に来て,断崖の高さが分かるようにクルマを停めてみ...
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沖縄県の旅行記 振り返ると,えっ?なに?なに?この色はー?
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沖縄県の旅行記 近くまで寄って見ると… な,なんだぁーーー!こ...
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沖縄県の旅行記 白っぽい絵の具か何かを流したような 何ブルー?...
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沖縄県の旅行記 ヒコーキの出発まで残り時間は,目的もなくドライブです...
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沖縄県の旅行記 地図に「地蔵さん」とか「観音さん」と親しみを感じる名...
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沖縄県の旅行記 さて,名残り惜しくも島を去る時間がやってきました ...
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沖縄県の旅行記 北大東から南大東へは,出発から到着まで15分ですが,...
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沖縄県の旅行記 南北大東島へのアクセスは,大東海運の貨客船で所要15...
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沖縄県の旅行記 この写真は,ちょっと笑えた~ 家畜がむき出し状...
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沖縄県の旅行記 開拓当初は,こんな生活だったんだね~
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沖縄県の旅行記 目指す北大東島は,沖縄本島から東へ360?に位置し,...
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沖縄県の旅行記 黄色い円が,今回訪れた主な“見どころ” 青い円...
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沖縄県の旅行記 ここは「沖縄海」っていう人工的に造られた潮だまりで,...
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沖縄 ,南大東島【前編】◇ 沖縄なのに「めんそーれ」じゃなくて「おじゃりやれ」だってぇっ! ? 南の果てにステキな離島を発見!
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コージ☆
沖縄県の旅行時期
2016/01/23~" . 2016/01/24
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

南大東島【前編】◇ 沖縄なのに「めんそーれ」じゃなくて「おじゃりやれ」だってぇっ! ? 南の果てにステキな離島を発見!

南大東島は那覇から東へ360?に浮かぶ小島で,普通の人には,台風情報で名前を聞いたことがあるって程度でしょう わたしも,大東そばや大東すしくらいしか聞いたことありませんでした… 行く前は「大した見どころはないだろうから,さっと見物してくるかーぁ」と軽い気持ちでしたが,行ってみてビックリ!ダイナミックな地形・人情・興味深い歴史・美味しいサカナなどなど魅力あふれる島でした 約100年前までは無人島だったんですが,八丈島からの開拓団が移り住んできたそうで,八丈島の文化が残っているせいか,沖縄県なのに,沖縄っぽくないところがある不思議な島です 【行程】 ◇0日目 金曜夜,那覇入り ◆1日目 那覇発9:35-RAC(琉球エアコミューター)861便-南大東10:40 『ホテルよしざと』にチェックインして昼食後,島内めぐり(大東神社→バリバリ岩→北港→南大東漁港→星野洞→亀池港→集落) ◇2日目 気象台のバルーン打ち上げ→シュガートレイン・集落の散歩→塩谷海岸→日の丸展望台→海軍棒プール→レール跡→秋葉神社→池→旧空港→ビジターセンター→大東神社 南大東16:00発-RAC868便-17:15那覇着→帰京 2日目の旅行記[後編]http://4travel.jp/travelogue/11097665 ※北大東島の旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11116209
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沖縄県の旅行記 機材は,50人乗りのDHC8-Q300 機内で...
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沖縄県の旅行記 那覇は雨だけど,360?離れた南大東島はどうだろう?...
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沖縄県の旅行記 再び南大東島上空をぐるっと周って それにしても...
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沖縄県の旅行記 那覇を離陸後50分ほどで目指す南大東島上空 っ...
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沖縄県の旅行記 南大東島を通過して,となりの北大東島上空を飛んで ...
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沖縄県の旅行記 島ごと南大東村で人口1300人,周囲20?ほどの小さ...
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沖縄県の旅行記 到着口には,ホテルのお迎えが~ 「おじゃりやれ...
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沖縄県の旅行記 この島の名物「ダイトウオオコウモリ」のスタンプ ...
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沖縄県の旅行記 ターンテーブルなんてありません! バッゲージは人力...
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沖縄県の旅行記 送迎バンには,6名ほど(全員オッサン,わたしが一番若...
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沖縄県の旅行記 まだ午前中なのに,部屋へ入れてくれたー 小ぎれ...
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沖縄県の旅行記 いいね,いいねー!この昭和な感じ 地元の人?作...
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沖縄県の旅行記 見に行ったら,惣菜などが並んでる~ これはいい! ...
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沖縄県の旅行記 何はともあれ,大東そばでしょ! ソーキそばとも...
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沖縄県の旅行記 目の前で,おっちゃんが何かしてるー
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沖縄県の旅行記 なんと,便器の前がシャワースペース ま,シャワ...
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沖縄県の旅行記 まず向かったのは集落のはずれにある「大東神社」 ...
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沖縄県の旅行記 いい雰囲気の参道を登る やっぱり神社って,どの...
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沖縄県の旅行記 手水鉢にアルファベットって初めて見た~ 後で分...
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沖縄県の旅行記 どうやら,これが拝殿!?です 亜熱帯のガジュマルに...
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沖縄県の旅行記 キジムナー(妖怪だとか,樹木の精霊と言われている)に...
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沖縄県の旅行記 ランチ後は,ホテルのレンタカーで島内めぐりへ ホン...
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沖縄県の旅行記 スターにしきのあきら,大竹しのぶ,小島よしお… け...
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沖縄県の旅行記 この神社の境内には,ダイトウオオコウモリが居るって聞...
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沖縄県の旅行記 ちょうどお昼時になったんで,ホテルのはす向かいにある...
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沖縄県の旅行記 フロント まだ,お昼前だけどチェックインできた...
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沖縄県の旅行記 ホテルのパンフ おかみさん(右後ろ)が気さく&...
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沖縄県の旅行記 「バリバリ岩」へ向かいます ここが入口 手前...
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沖縄県の旅行記 シューズを濡らしながら進むと… なんじゃぁ,この風...
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沖縄県の旅行記 「バリバリ岩」って,巨大な岩の裂け目のことで,鎌倉の...
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沖縄県の旅行記 さらに一人探検隊は進む 穴だ!突撃~
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沖縄県の旅行記 下り道は,さらに続くようだけど,雨で足場も悪いことだ...
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沖縄県の旅行記 穴の向こうは下り 下から入口の方を見上げた様子
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沖縄県の旅行記 ちょっとした探検気分で面白い!
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沖縄県の旅行記 雨降りだったんで,行く手を阻む水たまり…
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沖縄県の旅行記 お次は北港を見てから,南大東漁港へ 崖を切り崩...
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沖縄県の旅行記 漁港を上から見た写真 こんな小さな島でこれだけ...
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沖縄県の旅行記 大東神社を後にして,島の北端へ 黄色の輪っかが...
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沖縄県の旅行記 のっけから,岩の迫力に圧倒される~! 平たい島...
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沖縄県の旅行記 着いた~! 実は,この辺は海面からけっこうな高さに...
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沖縄県の旅行記 展望ポイントから漁港を見ると圧倒的な迫力! 港...
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沖縄県の旅行記 漁港を後にして少し南下 お目当ての星野洞という...
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沖縄県の旅行記 左の小屋が受付 星野リゾートとは関係ないようで...
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沖縄県の旅行記 懐中電灯とタブレットとヘッドフォンを貸してくれて,こ...
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沖縄県の旅行記 地下へ降りて行きます 右は,帰りの登り用ベルト...
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沖縄県の旅行記 え~~!すごいじゃん♪ 予想以上のスケールと美...
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沖縄県の旅行記 鍾乳洞の中のポイントに番号が付いていて,オーディオガ...
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沖縄県の旅行記 島の赤土のせいで,こんな鍾乳石ができるそう こ...
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沖縄県の旅行記 つららがい~っぱい この鍾乳洞を東京近辺に持っ...
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沖縄県の旅行記 この鍾乳洞は広さよりも,深さがスゴイです ビル...
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沖縄県の旅行記 マジ・マジ・マジっ!? byヤックン(古~い) ...
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沖縄県の旅行記 鍾乳洞にゴミ捨ててるの?? と,一瞬思ったんですが...
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沖縄県の旅行記 なんか不気味な生き物みたい~ この鍾乳洞のスゴ...
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沖縄県の旅行記 (鍾乳洞)業界用語で「カーテン」という形 これ...
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沖縄県の旅行記 (鍾乳洞)業界用語で「ストロー」という形 写真...
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沖縄県の旅行記 受付を済ますと,「あそこが入口だし,好きに行ってこい...
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沖縄県の旅行記 見事な鍾乳洞を見られて満足! そろそろ夕方だし,ホ...
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沖縄県の旅行記 「石造りの倉庫」は,この島の伝統的?な建物だそう
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沖縄県の旅行記 クルマを返して夕食まで集落を散歩 この島のスー...
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沖縄県の旅行記 この島いちばんの繁華街!? スナック,カラオケ...
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沖縄県の旅行記 パチスロ店もありました そろそろ夕食だから帰る...
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沖縄県の旅行記 夕食の時間! 席に着くと,おかみさんの5歳の末娘ち...
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沖縄県の旅行記 「ただの白身魚だろ」って思ったら大間違いで,これが,...
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沖縄県の旅行記 あー美味かった!これを食べに,この島を再訪したいって...
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沖縄県の旅行記 夕食に大満足・満腹~ 記録的な大寒波が来てるの...
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沖縄県の旅行記 ↑『ナワキリ』って,こんなサカナ 和名はクロシビカ...
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沖縄県の旅行記 雨の那覇空港,本日の第1便で南大東島へFly!RAC...
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沖縄県の旅行記 那覇から1時間で到着~ 6割程度の搭乗率でした...
沖縄県の旅行記
沖縄 ,第零章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?INDEX編?
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2014/09/16~" . 2017/09/28
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

第零章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?INDEX編?

平成26(2014)年9月16日から書き溜めた?戦争を学ぶ?シリーズのINDEX編です。自分自身の中でごっちゃになってしまったので纏めてみました。次回に残った?課題?以外は特にここで書いていることはないと思います。また今後?戦跡?巡りの旅を続ける限り、この旅行記は継続し続けます。
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沖縄県の旅行記 第十一章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?沖縄:浦添大公園・嘉...
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沖縄県の旅行記 第十二章あみんちゅ戦争を学ぶ旅沖縄?対馬丸記念館・旭...
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沖縄県の旅行記 第十三章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?沖縄:チビチリガマ編...
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沖縄県の旅行記 ※番外 ≪2015.Jun≫あみんちゅ歴史に触れる...
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沖縄県の旅行記 第一章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?鹿児島陸軍特攻戦跡:万...
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沖縄県の旅行記 第二章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?鹿児島海軍特攻戦跡:笠...
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沖縄県の旅行記 第四章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?沖縄:嘉数(かかず)高...
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沖縄県の旅行記 第三章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?沖縄:旧海軍司令部壕編...
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沖縄県の旅行記 第五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?八重山:八重山平和祈念...
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沖縄県の旅行記 第六章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?滋賀:滋賀県平和祈念館...
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沖縄県の旅行記 第七章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?福岡:碓井平和祈念館編...
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沖縄県の旅行記 第八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?福岡:武富戦争資料館(...
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沖縄県の旅行記 第十章あみんちゅ歴史を学ぶ旅奄美群島喜界島?戦闘指揮...
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沖縄県の旅行記 第九章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?福岡:筑前町立大刀洗平...
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沖縄県の旅行記 ※番外 2015年6月23日火曜日?沖縄慰霊の日??...
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沖縄県の旅行記 第十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?西表島:船浮臨時要塞...
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沖縄県の旅行記 第十七章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?西表島:宇多良(うた...
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沖縄県の旅行記 第十六章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?西表島:忘勿石(わす...
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沖縄県の旅行記 第十八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?南城:糸数アブチラガ...
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沖縄県の旅行記 第二十一章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?南風原(はえばる)...
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沖縄県の旅行記 第二十章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?南風原(はえばる):...
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沖縄県の旅行記 第二十二章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?糸満:マヤーガマ(...
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沖縄県の旅行記 第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積...
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沖縄県の旅行記 【番外】 71回目の沖縄の一番長い日?慰霊の日??追...
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沖縄県の旅行記 第二十三章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?白梅学徒隊(沖縄県...
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沖縄県の旅行記 第十四章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?瑞泉(ずゐせん)学徒...
沖縄県の写真
沖縄県の旅行記 第二十四章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?梯梧(でいご)学徒...
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沖縄県の旅行記 第十九章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ひめゆり学徒隊(沖縄...
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沖縄県の旅行記 第二十六章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?呉:旧海軍墓地を訪...
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沖縄県の旅行記 【未完成】 第二十七章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?人間魚...
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沖縄県の旅行記 【番外】 沖縄の一番長い日を辿る旅?第72回全戦没...
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沖縄県の旅行記 第二十八章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?なごらん学徒看護隊...
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沖縄県の旅行記 第二十九章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?広島原爆被害の数字...
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沖縄県の旅行記 【未完成】 第三十章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?浦上の聖...
沖縄県の旅行記
沖縄 ,小浜島訪問記
沖縄県の地域
沖縄
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Matt Y
沖縄県の旅行時期
2017/05/27~" . 2017/05/28
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

小浜島訪問記

ANA特典で中国発の行程を組んだので、片道どこか国内に飛べる。ならば一番遠い石垣でしょというわけで元々羽田ー那覇ー石垣の片道と、早期購入割引で石垣ー羽田を取っていた。 しかし休日出勤を迫られ一週間ずらさなくてはならなくなったので、特典で取った往路は変更可能だったものの、復路は泣く泣くキャンセル… 改めて石垣ー羽田、ないしは石垣ー那覇ー羽田を撮り直しても結構なお値段。そこでどうするか迷いつつも取り急ぎ那覇行きの飛行機に飛び乗る。
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沖縄県の旅行記 搭乗機はスターワォーズジェット
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沖縄県の旅行記 このシリーズの特別塗装機は国際線では2種類乗っている...
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沖縄県の旅行記 ジャンプシートにキャラクターが座っていました。
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沖縄県の旅行記 なぜかめぼしい空弁が売り切れていて崎陽軒のシウマイ弁...
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沖縄県の旅行記 那覇には定刻到着し、そのまま石垣行きへ
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沖縄県の旅行記 国際線ではもらえたプラスチックの搭乗証明書はもう品切...
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沖縄県の旅行記 綺麗な海を見ながら着陸。残念ながら沖縄はもう梅雨に入...
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沖縄県の旅行記 石垣空港に着いた時点では、そもそも今日どこ行こうか、...
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沖縄県の旅行記 30分で小浜島到着。港に迎えにきてくれると電話で言っ...
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沖縄県の旅行記 部屋は割と普通な四畳半。冷蔵庫はあるが冷房は1時間1...
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沖縄県の旅行記 コンクリ二階建ての普通の民家転用型と言った感じ。
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沖縄県の旅行記 宿のおじいちゃんに島はアップダウンが多いから普通の自...
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沖縄県の旅行記 公民館 小浜島はコンクリの建物が多く、町並みという点...
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沖縄県の旅行記 都会のコンビニ以上に生活の中心にあると思われる「商店...
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沖縄県の旅行記 展望台からの眺め 太陽が少しでも出ていたら綺麗な海が...
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沖縄県の旅行記 ビーチに出てみた。案外小浜島には砂浜は少ない
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沖縄県の旅行記 夜の集落
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沖縄県の旅行記 頼んだのはマグロユッケ丼、
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沖縄県の旅行記 八重山そばに
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沖縄県の旅行記 紅芋のコロッケ。 紅芋のコロッケがやや甘ったるかった...
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沖縄県の旅行記 目覚めたのは21時頃。 流石にお腹が空いてきた。宿...
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沖縄県の旅行記 郵便局。当たり前かもだが金融機関に用があるときは石垣...
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沖縄県の旅行記 集落の様子
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沖縄県の旅行記 島にいる山羊ってやはり食べられる運命を知っているのか...
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沖縄県の旅行記 島唯一の?観光名所の展望台へは結構きつい階段を登る。...
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沖縄県の旅行記 綺麗な海妄想中 きれいな景色はきれいな海単体では出...
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沖縄県の旅行記 綺麗な海が見えると想像(笑)
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沖縄県の旅行記 島の西側へスクーターを進める。海を挟んで西表島。
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沖縄県の旅行記 マングローブの様子が少しうかがえる。 泥濘がすごく...
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沖縄県の旅行記 やたら電柱が目立つ道を島の西端へ
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沖縄県の旅行記 島の西の端の港の堤防に腰掛け海を眺める
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沖縄県の旅行記 あいにく小雨がぱらついて来た
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沖縄県の旅行記 晴れていたらさぞ綺麗だったんでしょうねぇ(遠い目)
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沖縄県の旅行記 この辺が最大限「らしい」海。しばし座り込んで海を眺め...
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沖縄県の旅行記 も雨が強くなりつつあったので撤収。
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沖縄県の旅行記 趣がありそうな古い民家は目隠しで全貌分からず。保存し...
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沖縄県の旅行記 空港の中だけとはいえ一瞬香港にタッチしたら、なんか香...
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沖縄県の旅行記 予約当初は大幅遅延しないか、リスクを懸念したが無事定...
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沖縄県の旅行記 搭乗率は6割ほど。787なのに機内の調度品がやたら汚...
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沖縄県の旅行記 機内ではLa La Landを見る。 ANAやアシア...
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沖縄県の旅行記 チェクラップコック到着。 見事なまでにLCCは不便...
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沖縄県の旅行記 のでマンゴーパフェを追加
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沖縄県の旅行記 空港ターミナルでお昼ご飯にステーキ丼、だがそれほど満...
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沖縄県の旅行記 目隠しの壁のすぐ先がチェックインカウンター。そう、今...
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沖縄県の旅行記 帰りの船までにまだ少し時間があったので散歩
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沖縄県の旅行記 離陸順番待ち中。隣に成田か関空行きのANAのB6。 ...
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沖縄県の旅行記 あんまりよく眠れなかったが、朝は容赦なくやってくる。...
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沖縄県の旅行記 宿をチェックアウトしスクーターで港に戻る。折角なので...
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沖縄県の旅行記 展望台と並んで島の名物らしい直線道路のシュガーロード...
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沖縄県の旅行記 ぼーっと眺めていると牛に警戒感を持たれてしまった。
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沖縄県の旅行記 道の途中の存在感ある松の木
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沖縄県の旅行記 繋がれていた山羊と戯れる
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沖縄県の旅行記 シュガーロードを走り、国立公園の看板を撮って港前のレ...
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沖縄県の旅行記 折り返し搭乗する高速船が港に入ってきた。
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沖縄県の旅行記 石垣に戻る高速船乗り場
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沖縄県の旅行記 船がついた頃は数人しかいなかったが出発時になると半分...
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沖縄県の旅行記 石垣まではちょうど30分。風が結構強かったので揺れな...
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沖縄県の旅行記 石垣からは普通は直行便や那覇経由で帰るものだが、ちょ...
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沖縄県の旅行記 香港までは約2時間。 ひとウトウトしたら降下開始なイ...
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沖縄県の旅行記 かつての香港カーブは無くなっても意外に山スレスレ飛ぶ...
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沖縄県の旅行記 香港島見えるかなと機窓ガン見したけど反対側だった模様
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沖縄県の旅行記 予想に反して出発時刻が30分繰り上がっていた。が、、...
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沖縄県の旅行記 機内食はイマイチだったなー
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沖縄県の旅行記 折角貰ったISHIGAKI A.P.の出国印、肝心の...
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沖縄県の旅行記 セキュリティ過ぎた待合室も狭くて椅子がなく搭乗開始ま...
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沖縄県の旅行記 A320も大きく感じます。
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沖縄県の旅行記 民族衣装をモチーフにした制服のCAが出迎えてくれます...
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沖縄県の旅行記 香港エキスプレスは初体験。LCCだけに少しシートピッ...
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沖縄県の旅行記 折角香港来たものの乗り継ぎ時間は2時間、外出る時間は...
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沖縄県の旅行記 機内誌お約束のフリートと就航地マップ。 エアバスラブ...
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沖縄県の旅行記 ラクサをいただきます。
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沖縄県の旅行記 人の出入りがやや多くて、若干落ち着かなかったのは残念...
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沖縄県の旅行記 潰れたリゾートホテルの廃墟を抜けた・・・
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沖縄県の旅行記 お昼を食べそびれたので、離島ターミナルで焼きそばとお...
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沖縄県の旅行記 本日の富士山。 気がついたときには過ぎ去るところでし...
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沖縄 ,沖縄南部の旅 泰安洋行 琉球の歴史と文化 そして鎮魂巡礼 沖縄平和祈念公園 ひめゆりの塔  斎場御嶽(せいふぁーうたき) 瀬長島ウミカジテラス ガンガラーの谷 知念岬 豊崎美らsunビーチ 
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
まるくん
沖縄県の旅行時期
2017/07/08~" . 2017/07/11
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

沖縄南部の旅 泰安洋行 琉球の歴史と文化 そして鎮魂巡礼 沖縄平和祈念公園 ひめゆりの塔 斎場御嶽(せいふぁーうたき) 瀬長島ウミカジテラス ガンガラーの谷 知念岬 豊崎美らsunビーチ 

♪本日のBGM「Roxy Music - More Than This (DreamTime Mix)?邦題 夜に抱かれて? 沖縄最終日 ようやくあの地へ赴くことになる――。 初日、嘉手納へ向かう道中いつだったか、今回の旅でずっとお世話になった女性ドライバーにこんな軽口を叩いていた。 「昔はねーーー夏となると海ばっかりでバシャバシャ泳いでは浜辺に寝そべって日焼けどころか大火傷していましたよ(笑)。僕ねーー、今回海水パンツもビーチサンダルすら持ってきてないんです。海は黄昏時眺めるものだと、この歳になってようやく、よーやく気づいたんです(笑)」 「それ、沖縄のひとと一緒ですよ(笑)。沖縄のひとたちあんまり海に入りません」 「あっ、なんかで聞いたことがある。泳げない人けっこういるらしいですよね」 「ええ・・・・・・・・・・・(笑)」 「あれがラナイ橋ですよ」 ラナイ橋から眼下に眺める海はクリームソーダとコバルトブルーのグラデーションで今回最も美しいと思える海だった。午前早くは太陽の光の屈折の関係であまり海の色が美しくないと言われるがなかなかどうして今回一番のグラデーション。 でも、ラナイ橋、カナイ橋というけど一瞬で通り過ぎてしまった。 「斎場御嶽(せーふぁーうだき)行かれます?時間なら大丈夫ですよ」 「じゃあ、行ってみますか」 「駐車場がすぐそこまであったのですが、環境保全のためちょっと離れた場所になります。一般車両は進入禁止になったんです。あの信号を渡ってしばらく歩きます。あっ、まるくん、チケット売り場はそこですよ」 わかってはいたが、今しがた駐車場に横付けした軽ワゴンの運転手がめちゃくちゃ可愛いのについつい目と集中力がいってしまっていた。車には南城市のマーク、どうやら市の職員らしい。チケットを買うのを余所に彼女がワゴンから降りてくるのを今か今かと待ち構えていて、不思議に思った運転手さんは降りてきて私をチケット売り場へ導こうとする。 酷暑の中、御嶽入り口までですでに汗だくとなってしまった。御嶽(うたき)とは、沖縄の聖なる空間であり、祈りの場。斎場御嶽は、琉球の創世神話に登場する沖縄の七御嶽のなかでも最も格の高い聖地とされている。もともとは男子禁制の場で、琉球国王でさえ聖域内に入る際には女性用の衣装に着替えたと伝えられている。 高台から眺めた海、東には神の島として知られる久高島を拝む。 本島南部は沖縄というより琉球とまだ呼ぶにひさわしい風土と歴史と文化が色濃く残っている。 「知念岬も行きますね」 知念岬公園を駐車場すぐの東屋から水平線を見下ろす。視界のすぐ左手に平で長細い久高島、右手手前に小さな無人島コマカ島。カメラのズームで覗くとボートが浜辺に泊まりパラソルと人影が見える。 あの突先までは行かなくていい、ここで十分だ。 どこかで見たことがある風景だった。 すぐに思い起こした。 昨年のちょうどこの時期の夏訪れた阿蘇外輪山からラピュタの道を眺めた場所にそっくりだった。 海と山の違いはあれども、それを髣髴させられるデジャ・ヴューな風景だった。 目に見えない糸をたぐるように何かと何かが繋がっていく。 あのとき、ラピュタの道は無残にも崩れていて復旧はまだまだ遠い先である――。 「まずは手を合わせます」 いわれるのとほぼ同時に私は自然と頭を垂れ手を合わせていた。 雄大な海蝕崖景観の海岸線を有した珊瑚礁台地に立っている。 「この「平和の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島なんです。そこで採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」、それから長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものです。沖縄戦終戦の6月23日から終戦記念日まで灯されます」 「ずっと消えないのでは?」 「はい。種火はそうですが、こうして外部に灯される期間のことです」 平和広場中心の平和の礎(平和の火)でもあらたに黙祷を捧げる。 「あのバンタは・・・・・・・・・・・・・?」 目を開けた先の直線上に断崖絶壁と海岸線、波打ち際の荒々しさに、何故か胸騒ぎがした。 「この断崖と、ここに平和公園があることになにか関係ありそうですね?」 「はい。そうなんです。ギーザバンタ(慶座絶壁)です。沖縄戦末期、南部戦線で追い詰められた多くの住民や日本兵が身を投げたと伝えられる場所です。今でも自殺の名所と言われています・・・・・・・・・・・。沖縄は今でも死体が海からあがるときが多いんです・・・・・・・・・・・・・・」 「!!・・・・・・・・・それで海に入らない?・・・・・・・・・・」 はじめてひとり旅らしい旅行をした北海道の積丹半島の絶壁を思い起こすような断崖絶壁で私は絶句した。 「あの木は何ですか?」 旅先で、こんなに質問調子の会話を私はあとにも先にもしたことがない。「モモタマナです。沖縄の方言でクファディーサ、悪魔を吸い取る木といはれています」 「意味があったんですね。あれは?」 「平和の礎(いしじ)です。国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑です。24万人の名前が刻まれています。まだ1万人ほど記名がない碑もあります」 「まだ増え続けていると?・・・・・・・・・・」 「はい。なかには○○の子など、生まれたばかりで性別すらつかない赤ちゃん、戸籍が消失したひとらも○○の子などと書かれています」 「訪れるひともそうでしょうけど、語れるひともどんどん少なくなってきますよね。広島もそうだと聞いたことがあります。そりゃどんどん高齢化だし・・・・・・・」 「はい、もちろんそれもありますが・・・・・・。語らない、語れないんです。今でも沖縄のひとたちは。例えばですね、お互い殺傷して自決を図るも、片や生き延びたひともいます。たとえ親戚であっても絶対公言してはならない。固く言われ続けて今日まで黙して語らず、墓場までそう至るひとも少なくありません。ようやく、ようやく話し始めたひともいます」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 このあと訪れた平和祈念資料館や平和の塔のことは語らなくともよかろう、このあと慰霊に訪れたひめゆりの塔のことも含めて自分のなかにだけしっかりと心に留めておきたい。 ひめゆりの塔で献花用の花束をまるで観光土産かのように売っていたおばさんたちにちょっと腹が立ち、同時によそ者としての自分にちょっと安堵した。そういう性分の自分が大嫌いだ。  瀬長島ウミカジテラスで昼食をとったあと、長くて短い沖縄の旅を終える。 帰りの飛行機は沖合いから大きく右旋回して、つい先ほどまで過ごしたウミカジテラス、百名ビーチなど南部の海岸線上空を行く。 先ほどトウキビ畑が連なる糸満市上空もかすめた。 糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地、ここが沖縄戦終焉の地だ。 【私たちの】【最後の戦争の地】だ――――。 ギーザパンタに対面したときの胸騒ぎは一生忘れることはないだろう。 しかし、自己のなかで解禁となった、これから沖縄の地を踏む回数を重ねる度に、これまでこだわってきた想いはどんどん薄れていくのかもしれない。 でも、心配はしていない。 これからも、沖縄は長崎、広島と同じく私にとってもっとも【大切な地】だから。 【年を重ねるということは希望しか見えてこない】はずなのだから――――。
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沖縄県の旅行記
沖縄 ,かけ足で巡る初沖縄 9/9(首里城編)
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
kama
沖縄県の旅行時期
2017/05/13~" . 2017/05/14
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

かけ足で巡る初沖縄 9/9(首里城編)

クラブツーリズムのツアーで沖縄へ 「沖縄ハイライト2日間」というタイトル。 料金   旅行代金       36,900円      国内線施設利用費      580円      損害保険         1,500円  オプション 1日目昼食 1,296円        琉球村       1,080円        3日目昼食     1,500円        首里城        660円      合計         43,516円 ?5/14(日) 16:15?17:30 首里城を見学 18:00?19:25 那覇空港 22:05      羽田空港着
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沖縄 ,かけ足で巡る初沖縄 1/9(ひめゆりの塔編)
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
kama
沖縄県の旅行時期
2017/05/13~" . 2017/05/14
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

かけ足で巡る初沖縄 1/9(ひめゆりの塔編)

クラブツーリズムのツアーで沖縄へ 「沖縄ハイライト2日間」というタイトル。 料金   旅行代金       36,900円      国内線施設利用費      580円      損害保険         1,500円  オプション 1日目昼食 1,296円        琉球村       1,080円        3日目昼食     1,500円        首里城        660円      合計         43,516円 ?5/13(土)   8:25      羽田から日本航空で那覇へ   13:10?13:30  ひめゆりの塔を見学 13:30?14:15   ひめゆり会館で昼食
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沖縄
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2009/01/04~" . 2009/01/04
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

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ドルフィンズ11番
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2009/01/03~" . 2009/01/03
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

正月沖縄旅行記(1日目)

正月気分を沖縄で味わう旅 初日は、首里城を中心に観光しました。 ※過去に自分のホームページに掲載していたものの転載です。文面も当時のままですので、古い情報があるかもしれませんが、ご了承ください。
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沖縄 ,初めてのムシャーマ
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沖縄県の旅行記 場所は名石売店の横の広場。
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沖縄県の旅行記 沖縄らしくて綺麗。
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沖縄県の旅行記 なぜかこんな仮装も。 「あ、ニッシ!」という掛け声...
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沖縄県の旅行記 そして最後は東組。
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沖縄県の旅行記 ミルク様?!
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沖縄県の旅行記 青空に映える行列。 今回の旅行でこの日が一番良いお...
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沖縄県の旅行記 ペアでの武技も。 裸足でアスファルトは熱くないのか...
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沖縄県の旅行記 最後の獅子。
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沖縄県の旅行記 その後、中庭でいろいろな踊りが披露される。 私はし...
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沖縄県の旅行記 少し勉強してから見た方が意味がわかるのかもしれない。
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沖縄県の旅行記 日影のないニシ浜で貴重な吾妻屋。
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沖縄県の旅行記 午後は少しニシ浜に行った後、戻ってきてクライマックス...
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沖縄県の旅行記 ラストの獅子舞は盛り上がる。 満を持して登場!
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沖縄県の旅行記 はい、シャッターチャンス! たくさんの人がカメラを...
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沖縄県の旅行記 揃い踏み。 みんな動かないでー!ブレまくるわー!
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沖縄県の旅行記 とても賑やか♪
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沖縄県の旅行記 トラウマにならないことを祈る…(笑)。
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沖縄県の旅行記 そしてミルクさま退場
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沖縄県の旅行記 なので、近くの海畑で一休みするのもあり。 涼を...
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沖縄県の旅行記 水中デジカメがだいぶ古くなり、もう水の中に入れないこ...
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沖縄県の旅行記 それにしても、改めて体力がなくなった…。 体温調節...
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沖縄県の旅行記 この坂道はやっぱり好きだけど、帰りはきつい…
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沖縄県の旅行記 この海の色、苦労してでも見たい! でも自らの体力低...
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沖縄県の旅行記 人がいないと、景色が額縁に入れられたようでステキ。
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沖縄県の旅行記 翌日の朝刊(空港で購入)。 一面だ!…八重山の新聞...
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沖縄 ,≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編?
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2017/06/24~" . 2017/06/24
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編?

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編? 平成27(2015)年の戦後70年という節目の年に、先の大戦に於ける戦没者を祀る多くの場所で慰霊祭が行われることを知りました。唯一身内の戦没者である母方の祖父が、昭和20(1945)年6月10日に沖縄亡くなっていることは、知ってはいたものの特に行動には起こすこともしませんでした。 ぶらり歩きのために行き始めた沖縄の地で、住民を巻き込んだ『史上稀にみる地上戦の舞台』が正しく伝えられていないと感じたのは、那覇経由で八重山へと向かうトランジットの際に訪れた『黎明之塔』に始まっています。戦場となった沖縄では多くの住民が巻き込まれ犠牲となったことは間違いない史実ではあるものの、理由はともかく『将兵』として日本全国から召集され、故郷から遠く離れた沖縄の地で望郷の念を持ちながら斃れていった…というより『斃れざるを得なかった』人々が、なぜここまで『悪者扱い』をされなきゃなんないのか?ということに対し『疑問』を持ったことが沖縄訪問をリピートするようになった理由でした。 平成27(2015)年6月23日に行われた『戦後70年 沖縄戦全戦没者追悼式典』に於いて、対象となっているすべての戦没者遺族が参列する式典会場で、式典の進行を妨げる『シュプレヒコール』やでっち上げの『ヤジ』の応酬等、明らかに『作為的なもの』が『事実』として全世界に配信されていることを含め、主賓ではなく『遺族』として参加されておられる方々への『冒涜』だと思えることを多々感じたという経験があります。式典会場に入らずに式典参加をする『外野』としての立場でも『いい加減にしろ(怒)』と憤慨するくらいなので、来賓として参加されていた『戦争を知る』ご遺族にはどのように見えていたのかは、想像を絶するものだったに違いありません。 会場入りするシャトルバスの車内で内地から来られて身近な親族を亡くされただろうご年配の女性が、入口付近で主賓の入場を妨げるかのごとく、『○○来るな?』と叫んでいる姿に寂しそうな目をしておられたことがいまだに私の頭から離れません。『追悼式』は政治的解決をする『場所』ではありません。昭和20(1945)年6月23日黎明の刻、第32軍司令部が崩壊し、それが沖縄戦の『事実上の終戦』とされていることから『慰霊の日』となった『経緯』が気に入らない輩も結構いるようです。 漠然とした『反戦運動』に『大義名分』は勿論のこと、その『理由』すらどうでも良いことなのかも知れません。ではなぜ『反戦』なのか?と問われるとどう答えるのでしょうか?答えを押し付けるつもりは毛頭ありませんが『多くの人が死ぬ』からやってはいけないとはおもわないのでしょうか?しかしそれならば立場を問わず戦争によって亡くなられたすべての『戦没者』を慰霊する式典を反故にして良いものだろうか…。そう思えてなりません。勿論戦争を肯定する理由は何ひとつありません。広島の原爆戦没者慰霊碑には『安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませぬから』という一文が刻まれています。出所の是非論はあるにしても、戦争という『過ち』を繰り返さないという『意識』が泥沼化した『戦争』を回避する『唯一の手段』と言えば、それに異論を唱える者はないのではないでしょうか。そんな思いがこの『慰霊の日』を私に沖縄にて過ごさせているリビドーになっているように思います。 結局は今までにない程の『with No Plan』で始まった今回の旅もいよいよ最終日。ナビも使わず自分の頭の中に残っている『様々な情報』に基づいていろいろと立ち寄ってきました。さあ残りわずかな沖縄での時間は、どのように過ぎていったのでしょうか?(笑)。 平成29(2017)年6月24日土曜日 みん宿ヤポネシア 10:47 《0.0km・0.0km・169.0km・0.0km/h》 ファミリーマート 11:04 《10.0km・10.0km・314.2km・35.3km/h》 J A 東 風 平 店  11:24 イオン南風原店 11:41 《6.9km・16.9km・321.1km・24.4km/h》         12:25 南風原中郵便局 12:33 《1.9km・18.8km・323.0km・14.2km/h》   ≪ゆうパック120サイズ:1,760円≫         12:51 フジレンタカー 13:13 《7.7km・26.5km・330.7km・21.0km/h》 那 覇 営 業 所 13:18 那覇空港1T 13:25 チェックイン 13:31 ≪GK354:Fee(4,490円)・1F(870円)・手数料(500円)・計(5,860円)≫ 保安検査 14:21 バス 14:46 搭乗 14:49 ドアクローズ 14:54 プッシュバック 14:56 タキシング 15:02 離陸 15:06 ギアダウン 16:46 着陸 16:49 停止 16:54 降機 16:58 バス 17:00 ターミナル着 17:05 ターミナル発 17:10 リムジンバス乗車 17:18 リムジンバス出発 17:20 ≪京阪バス:往復切符利用≫ 京都 18:36    18:52   ≪快速米原行き:240円≫ 田舎駅 19:07     19:17   ≪31系統田舎の赤バス:230円≫ ド田舎バス停 19:30 ド田舎我が家 19:33// 7:00過ぎに起床しました。今回の旅の朝は目覚ましに起こされたことがありません(笑)。夜型人間の私にとっては『超珍しい』ことです♪ 一服を済ませて荷物を作り、朝食を頂きます。癖のあるみん宿ヤポネシアの中でも『曲者』揃いが宿泊する6月22・23日のメンバーは、今日で解散となります。美味しく朝食を頂いてのんびりしていると、バス旅のオッちゃんがまず出発されます。次いで台湾のカップルさん、こちらは宿替えのようです。そして漁港に行って帰ってきたアクティブな車いすのお兄ちゃん。2泊で群馬からだそうですが飛行機もその場で取るという『強者』でしたが、私なんぞが知り得てる『南部の情報』が役に立ったのでしょうか?最後に握手をして別れます。いつも殿が私になるのですが、何回も『お見送り』に出さすのも申し訳なく、お兄ちゃんの後に続けて出発します。10:47、いつも通りチェックアウト時刻を無視した出発でした(笑)。 国道手前までのまっすぐな道、ハザードと手を振りながらVitzくんで走って行きます。今日は土曜日なので郵便局も休みゆえ、現実的な目的地経由で空港方面へ行くことにしました。具志頭の交差点まではお兄ちゃんの後ろについて行き、南風原方向へと左折する際にパッシングをするも気付かれなかったようでした。国道331号線から国道507号線へと入り、八重瀬町の中心エリアの東風平(こちんだ)のファミリーマートに立ち寄って一服休憩です。20分足らずの走行で一服するのはご愛嬌です(笑)。それともうひとつ一回行きそびれた『東風平郵便局』に立ち寄る目的もありました。 旅行貯金を済ませて南風原へと向かいます。イオンモール南風原店、沖縄に来たら『立ち寄らないことはない』と言い切れる程よく訪れています。規模は大きいのですが、全体的な集客数はそれほどいないのか、以前『カメラのキタムラ』でネガ現像とデータ化を頼もうとしたら『即時仕上げをやっていない』と言われました。しかしサンエー程ではないにしろ『お土産品』を安く購入できる『スーパー』として利用するには良いところです♪ ただあまり時間もないため、適当にいくつか品物をチョイスしボストンバックに詰め込みます。買い物が終わって荷造りも終わってから出発します。これで那覇へと向かうだろう…なんですが、荷物を発送しなければなりません。ルート的には那覇中央郵便局の方がレンタカーの営業所には近いのですが、なんせ込み合うことが多いため、イオンモール近くの『南風原中郵便局』に立ち寄ります。南風原という街が那覇のベッドタウン化しており、人口急増中である典型的な『郵便専門局』ではあるのですが、ホームページ上で書かれていたビニール製の『ボストンバック袋』がないと言われました。それは係員が知らなかったのか、出ることがないため『扱っていない』のか理由はわかりません。結局ないものは仕方がないので、バックに伝票をくっつけて自宅へと発送して終了です。 こわれものは一応『あり』にはしていますが、どこぞの運送屋みたいに投げることはしないと信じ発送しましたが、しばらく走り出したところで郵便局で尋ねられた『リチウム電池』のことをふと思い出します。充電池は『多量』でなければ大丈夫だと聞きましたが、最近あまり聞かない『リチウム電池』を実は持っていた…。今回部屋の掃除をしていて見つけた『アナログ(フィルム)一眼カメラ』には『2CR5』というリチウム電池を使用しているカメラを、送った荷物に入れっぱなしにしてしまったような気がして…。とはいえ戻る時間もなく、先に進むしかない状況では船便になってしまえば仕方がないと割り切るしかありません…。最後に確認を忘れてしまったたかティムさんでした(汗)。 那覇市奥武山のフジレンタカー那覇営業所にたどり着く寸前、明治橋付近にて今回もまた『給油ランプ』が点灯します。まあ大した距離も残っていないため、アクセルをよりゆっくり踏み込むようにしてエコ運転を心がけ、13:13に無事返車を完了します。330kmの道程を元気に走ってくれたVitzくんともお別れです。 たまたま同時刻に返車する方が少なかったようで、すぐに那覇空港への送迎車に乗ることができました。7分間の時間は、行きと同様ハンドルを握らなくてもいい時間であり、5日間の日程を振り返る時間でもあります。昨年6月の来沖の際には、まさか一年間来られないことを予測だにしていませんでした。2ヶ月に一度のペースはオーバーペースだったにしろ、一年間のブランクは沖縄を訪れるきっかけを変える過渡期の訪れを感じさせるものかも知れません。沖縄に来て考えなければならない事柄を溜め込み、それに加えて試験勉強という自己啓発に突っ走った昨年一年間を過ごし、老け込む時期ではまだないことを痛感しています。双方を両立させることができなかった反省はあるので、沖縄流『てーげー』の生き方をして改めて実行しようと思いつつ、94時間前に到着した那覇空港第1ターミナルに到着します。 レンタカーの送迎車の降車は3階フロアになります。ドライバーさんにお礼を言ってチェックインカウンター最南端のジェットスターカウンターへとやってきます。webチェックインが当たり前の時代に1Fの非常口座席は未だキオスクにてのチェックインが必要です。まあいつものことなので慣れた手つきで済ませた後、 ぶらぶらと買う予定ないお土産を見て歩きます。ただここで余計なことを知ってしまいました。お土産の定番である『御菓子御殿の紅芋タルト』に3つ入りの小箱がありました。今まで1番小さなものが6個入りだと思っていたのでそれを買い求めていましたが、空港で売られているとは知りませんでした。数を食べるものではないため、それで十分なので見つけてしまったことはちょっとショックでした(泣)。 悔やんでも仕方がないのでスルーし、保安検査場を通過します。後は飛行機に乗るだけとなった今、急にお腹がなります。搭乗口からあまり離れたくなかったこともあり、いつも飲み物を購入するだけの『BlueSky21』に立ち寄りました。なんでも良かったのですが、せっかくなので…と選んだメニューは『沖縄そば』。器の持ち出しを考慮してなのかスチロールの器に入ったものでしたが、今回沖縄料理的なものを口にしていないこともあり、紅生姜をたんまり入れて美味しく頂きました、ご馳走さま?♪ お腹も膨れて一服し、タラタラと28番ゲートを目指すと既に搭乗が始まっていました。というよりバス搭乗の最終バスだったことを知り、ちょっと焦りました。行きと同様のA320-200機材での運航のGK354は、私を含めた10名程を待ってドアクローズ。6分の早発でした(汗)。 いつもならば離陸待ちが結構ある中で10分後には離陸します。あの独特の無重力感を味わった後、関西国際空港行きのGK354は雲の多い那覇空港を後にします。 那覇発だと2時間足らずのフライトなので、寝る間もなく着いてしまうのですが、さすがに睡眠不足が続いていた今回の旅路ゆえ、離陸したことしか覚えていません。着陸のアナウンスで目覚めたのは四国上空で、間もなく関西国際空港に到着します。 寝てはいたけど疲れはピーク状態だったこともあり、普段ならばリムジンバスに乗るまで、ターミナル内をぶらつくのですが、今回はその余裕もありません。沖止めの機材からバスに乗り、ターミナルを素通りし、京都行きリムジンバスに乗るまで僅か20分。今までの関西空港最短滞在時間となりました(笑)。 京阪バスオペレーションの関西空港リムジンバスは、行きと同じ経路をたどって走ったはずです。はずですというのは高速京田辺の降車扱いの記憶がありません。というより『間もなく京都駅』のアナウンスで我に返ったことまで意識が朦朧としていました。結局京都駅には僅かに早着し、本当に無駄のない時間取りで京都から快速に乗車。県境を越えて南淡海の国の首都『INAKA STATION』に到着の後タバコの購入はしたものの、下車後10分で田舎の赤バスに乗車し、ド田舎バス停を経由して田舎の我が家に到着します。 いつもならば関西空港に到着してからブツブツ言いながら帰ってくるのですが、正直言ってそんな余裕は全くありませんでした。うちの会社は16日?翌15日までのシフトですが、まだ9日しか過ぎていないのに7日間休んでいます。有休を2日入れて貰っているので月あたりの休日は11日。と?い?う?こ?と?は?・・・残り21日あるうちの休みは4日・・・。なんかすごいことになりそうな予感がします。勿論休みは貰っているから働くのであり、不満は全くありません。しか?し5日間の旅行でくたびれたとは、なんか自信喪失をしてしまいました。ちなみに『思考回路』が飛んでいたため気になったまま帰って来た『リチウムバッテリー』はなぜか『電池単品』がリュックの底に転がっていたことが翌日に発覚しました…。 まあなんとかすればなんとかなるみたいで、そのシフトをクリアすることができました。それなりにハードな勤務でしたが休みを取らせてくれた同僚達の協力には『感謝』の一言しかありません。しかしのど元過ぎるとなんとやらで、また来月も良からぬ魂胆を持っていたりもします(笑)♪ 今まではひとつの旅が終わればそれまででしたが、今では旅の終わりは次の旅の始まりにしか思えてきません。色々な自己発見ができた今回の沖縄の旅路でした♪ 長文にお付き合い頂いてありがとうございました。これにて?《2017.June》あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之五?最終日:そして淡海へ編??は終わります♪
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沖縄県の旅行記 『フルコミプラン』の内容は他社より確かです。またお世...
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沖縄県の旅行記 28番ゲート近くの『BlueSky21』に立ち寄りま...
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沖縄県の旅行記 ゆっくりしすぎて28番ゲートに急がねばなりません(汗...
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沖縄県の旅行記 といってもB型ですから?(笑)。
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沖縄県の旅行記 まもなく扉が閉まります。さらば沖縄、また来る日まで!
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沖縄県の旅行記 GK354のエアバス322型機とCAさん♪
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沖縄県の旅行記 バスの車窓から。
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沖縄県の旅行記 乗ってきたバス♪
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沖縄県の旅行記 211番ゲートに到着しました。
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沖縄県の旅行記 待避線停車中の『青虫電車』117系。
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沖縄県の旅行記 帰りのGK354のボーディングパス♪
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沖縄 ,竹富島へ行ってみた
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沖縄県の旅行時期
2017/07/02~" . 2017/07/02
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竹富島へ行ってみた

石垣島の離島ターミナルから日帰りで竹富島へ行きました。水牛車に乗ってのんびり揺られて島をまわりました。次に自転車をレンタルして西桟橋、コンドイ海岸、人頭税廃止百年記念之碑、仲筋井戸、なごみの塔などを見ました。天気がよくて暑かったけれど竹富島(滞在3時間)を楽しみました。
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沖縄県の旅行記 10分ほどで水牛車の駐車場に着きました。
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沖縄県の旅行記 水道記念碑。水道は石垣島から海中を通って竹富島までき...
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沖縄県の旅行記 竹富小中学校の南側にある仲筋井戸。昭和51年の水道が...
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沖縄県の旅行記 仲筋井戸のそばにある人頭税廃止百年記念之碑。人頭税は...
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沖縄県の旅行記 竹冨郵便局。
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沖縄県の旅行記 帰りの竹富東港旅客待合所。竹富島にいたのは2時間30...
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沖縄県の旅行記 海は静かで帰りの船も10分で石垣島に着きました。実は...
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沖縄県の旅行記 水牛車が帰ってきました。暑いので水牛もバテバテです。
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沖縄県の旅行記 水牛の名前は「さぶちゃん」です。水牛を後ろから見ると...
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沖縄県の旅行記 風が抜けて涼しい。
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沖縄県の旅行記 天井に歌詞が貼ってあります。
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沖縄県の旅行記 美女クマヤ生誕の地
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沖縄県の旅行記 世持御獄
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沖縄 ,21.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 旧海軍司令壕その2
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沖縄県の旅行時期
2017/02/07~" . 2017/02/07
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

21.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 旧海軍司令壕その2

写真の枚数が50枚に達したので2話に分けて海軍壕公園旧海軍司令壕ビの様子を綴ります。 一通り見学の後は、目的の旧海軍司令壕を終えて、那覇市中心部に向かいます。
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沖縄県の旅行記 一方通行の順路に従い、旧海軍司令壕の中を進みます
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沖縄県の旅行記 大田實司令官の海軍次官に宛てた電文(口語訳を見つけた...
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沖縄県の旅行記 発電室入口
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沖縄県の旅行記 当時の発電機台
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沖縄県の旅行記 発電室
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沖縄県の旅行記 更に先に進みます
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沖縄県の旅行記 発電室入口
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沖縄県の旅行記 壕の公開はここまで
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沖縄県の旅行記 壕を掘った道具
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沖縄県の旅行記 壕掘り作業の様子
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沖縄県の旅行記 時計回りに回り込むように進みます
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沖縄県の旅行記 下士官室入口
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沖縄県の旅行記 当時の支柱
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沖縄県の旅行記 下士官室
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沖縄県の旅行記 下士官室の様子
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沖縄県の旅行記 下士官室の案内
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沖縄県の旅行記 細いトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 下士官室入口
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沖縄県の旅行記 下士官室
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沖縄県の旅行記 下士官室の様子
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沖縄県の旅行記 更に先に進みます
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沖縄県の旅行記 綺麗な壕の先の明かりは、何故か悲しい
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沖縄県の旅行記 出撃風景の様子
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沖縄県の旅行記 壕出口
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沖縄県の旅行記 壕出口をあとに、更に進みます
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沖縄県の旅行記 炊事場への通路入口
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沖縄県の旅行記 行止りになっていました
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沖縄県の旅行記 司令官室入口
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沖縄県の旅行記 先ほど見た場所の対角側に進みます
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沖縄県の旅行記 指令室の様子
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沖縄県の旅行記 菊花が供えられたテーブルが置かれた指令室
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沖縄県の旅行記 平和祈念 至心合掌と書かれた観音菩薩像
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沖縄県の旅行記 小禄(おろく)地区戦闘経過の案内
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沖縄県の旅行記 順路に従い進みます
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沖縄県の旅行記 米軍上陸全般図
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沖縄県の旅行記 沖縄線の写真展示
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沖縄県の旅行記 そろそろ終盤
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沖縄県の旅行記 出口に向かって進みます
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沖縄県の旅行記 長く感じる出口へのトンネル
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沖縄県の旅行記 短い間でしたが、濃密な時間を過ごし
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沖縄県の旅行記 現世界に出ます
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沖縄県の旅行記 海軍壕売店
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沖縄県の旅行記 こじんまりした土産物店
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沖縄県の旅行記 車を停めた、集いの広場駐車場に戻ります
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沖縄 ,20.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 ビジターセンター 内資料館その2 旧海軍司令壕その1
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沖縄県への旅行者
ミシマ
沖縄県の旅行時期
2017/02/07~" . 2017/02/07
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

20.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 ビジターセンター 内資料館その2 旧海軍司令壕その1

写真の枚数が50枚に達したので2話に分けて海軍壕公園ビジターセンターの内資料館の様子を綴ります。 内資料館内を一通り見学の後は、目的の旧海軍司令壕を訪ね、現実の歴史の一端を、この目で見ようと思います。
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沖縄県の旅行記 海軍部隊が使用していた武器  手製の槍  ...
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沖縄県の旅行記 旧日本海軍関係の遺留品  注射器  体温...
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沖縄県の旅行記 住民の苦しみ 証言で綴る被害の実態  蛆が湧い...
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沖縄県の旅行記 往時の様子をリアルに伝えるパネルの展示
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沖縄県の旅行記 太田實司令官(海軍中将)の遺品
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沖縄県の旅行記 礼帽
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沖縄県の旅行記 扇子  名刺  講習会筆記
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沖縄県の旅行記 筆  グラス
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沖縄県の旅行記 2012年に67年ぶりに返還された少将旗の記事など
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沖縄県の旅行記 太田司令官の少将旗
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沖縄県の旅行記 内資料館の見学を終えて、旧海軍司令壕に向かいます
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沖縄県の旅行記 海洋画家 飯塚羚児(れいじ)作 戦艦大和
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沖縄県の旅行記 1/200 戦艦大和模型
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沖縄県の旅行記 戦艦大和の案内
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沖縄県の旅行記 参観券売所  参観券は ¥440?
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沖縄県の旅行記 壕入口
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沖縄県の旅行記 入るとすぐに円形の広間
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沖縄県の旅行記 天井も円形です
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沖縄県の旅行記 旧海軍司令壕見取図
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沖縄県の旅行記 千羽鶴が飾られた壕口
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沖縄県の旅行記 想像以上にしっかりした急な階段
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沖縄県の旅行記 入口から12.5m
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沖縄県の旅行記 更に降りると水平なトンネル
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沖縄県の旅行記 信号室
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沖縄県の旅行記 立入禁止の
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沖縄県の旅行記 内部は広く、甕にはお榊でしょうか、お供えされています
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沖縄県の旅行記 入口から20m
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沖縄県の旅行記 壕内見取図及び順路
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沖縄県の旅行記 順路に従い進みます
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沖縄県の旅行記 作戦室入口
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沖縄県の旅行記 真っ白く塗られた、広いアールの天井の作戦室
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沖縄県の旅行記 往時の作戦室の様子
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沖縄県の旅行記 当時の配電用碍子(がいし)
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沖縄県の旅行記 細くなったトンネルを先に進みます
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沖縄県の旅行記 白く塗られた、アールの天井の幕僚室
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沖縄県の旅行記 幕僚が手榴弾で自決した時の、破片のあとの案内
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沖縄県の旅行記 自決された時の手榴弾の弾痕
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沖縄県の旅行記 更に薄暗くなったトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 司令官室入口
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沖縄県の旅行記 今もテーブルが置かれた広いアールの天井の司令官室  ...
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沖縄県の旅行記 先ほど慰霊広場で軽口を叩いたからじゃないかと、ビビり...
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沖縄県の旅行記 暗号室入口
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沖縄県の旅行記 狭く暗いトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 広く岩盤むき出しの暗号室
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沖縄県の旅行記 狭く暗いトンネルを進みます
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沖縄県の旅行記 壕の本道に戻り順路に従い進みます
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沖縄県の旅行記 左側に間口が広い空間
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沖縄県の旅行記 医療室入口
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沖縄県の旅行記 実は医療室とは定かではないが、沢山の負傷兵がここに居...
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沖縄県の旅行記 往時の医療室の様子  写真の枚数が50枚に達し...
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沖縄 ,19.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 慰霊之塔 ビジターセンター 内資料館その1
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ミシマ
沖縄県の旅行時期
2017/02/07~" . 2017/02/07
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

19.プロ野球沖縄キャンプを訪ねる読谷2泊 海軍壕公園 慰霊之塔 ビジターセンター 内資料館その1

ルームサービスの朝食を楽しみ、沖縄残波岬ロイヤルホテルをチェックアウトを済ませ、阪神タイガース出待ちをした後は、最後の観光に向かいます。 選んだ先は那覇市中心部に近い海軍壕公園で、近いだけに今まで行ったことがない、初めて訪ねる場所です。
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沖縄県の旅行記 早目にホテルを出て、海軍壕公園に向かいます
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沖縄県の旅行記 那覇中心部と那覇空港の丁度中間の小高い丘に登り、突き...
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沖縄県の旅行記 旧海軍司令壕サービスセンター
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沖縄県の旅行記 係員の指示に従い車を停めて
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沖縄県の旅行記 慰霊広場に向かいます
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沖縄県の旅行記 無料の停めやすい駐車場
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沖縄県の旅行記 更に丘を登ると集いの広場駐車場
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沖縄県の旅行記 壕入口はありますが
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沖縄県の旅行記 参拝順路に従い
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沖縄県の旅行記 先ずは、慰霊之塔に向かいます
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沖縄県の旅行記 海軍戦没者慰霊之塔
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沖縄県の旅行記 献立者芳名
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沖縄県の旅行記 昭和33年海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立...
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沖縄県の旅行記 仁愛之碑  大田實司令官が海軍次官に宛てた電文...
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沖縄県の旅行記 旧海軍司令部壕碑  大君の御はたのもとに死して...
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沖縄県の旅行記 錨が置かれた後ろの碑には参加部隊・参加艦艇名
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沖縄県の旅行記 慰霊之塔をお参りして
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沖縄県の旅行記 海軍壕公園ビジターセンターに向かいます
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沖縄県の旅行記 建物を周りに溶け込ませるため、突起を押さえガラス張り...
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沖縄県の旅行記 エントランス
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沖縄県の旅行記 風除室  開館は08:30?17:00
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沖縄県の旅行記 海軍壕公園ビジターセンターの案内
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沖縄県の旅行記 島の生き物を外来種から守れ
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沖縄県の旅行記 リュウキュウアオヘビ  草原などに住み、昼間に...
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沖縄県の旅行記 オキナワキノボリトカゲ  木の上の日陰を好み、...
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沖縄県の旅行記 アカマタ  夜行性で鳥などの小動物を食べます
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沖縄県の旅行記 オカヤドカリ  脱皮を繰り返して成長します
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沖縄県の旅行記 オキナワトカゲ  低地の茂みに住んでいます
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沖縄県の旅行記 オキナワヤモリ  夜行性ですが、昼間もよく見ら...
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沖縄県の旅行記 寒緋桜(かんひざくら)のサクランボウ 日本で一...
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沖縄県の旅行記 コスモス  海軍壕公園にもボランティアの手で植...
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沖縄県の旅行記 ビロウ(クバ)  扇や傘などに古くから加工され...
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沖縄県の旅行記 サンゴジュ  秋に熟した紅い果実がサンゴに似て...
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沖縄県の旅行記 オキナワキョウチクトウ 樹皮や葉、種子には毒が...
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沖縄県の旅行記 キョウチクトウ  花・葉・枝・根・果実などすべ...
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沖縄県の旅行記 職員が撮影したパネル展示
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沖縄県の旅行記 ハブに注意!
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沖縄県の旅行記 終戦直後のパネル展示
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沖縄県の旅行記 悲惨な様子を写したものもあって、とても接写出来ません
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沖縄県の旅行記 パネルの展示を見た後は、エントランスフロアーから下階...
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沖縄県の旅行記 千羽鶴
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沖縄県の旅行記 先ずは、ビジターセンター内資料館を訪ねます
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沖縄県の旅行記 入るとすぐ正面に、大田實司令官の写真とともに海軍次官...
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沖縄県の旅行記 内部の展示を見学します
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沖縄県の旅行記 旧日本海軍関係の遺留品
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沖縄県の旅行記 山田弘國中佐着用の帽子など
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沖縄県の旅行記 写真の枚数が50枚に達したのでその2に続きます
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沖縄県の旅行記 ガスマスクと吸収缶
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沖縄県の旅行記 米軍のガス攻撃に対する防御
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沖縄県の旅行記 将校軍服
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沖縄 ,≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之四?四日日:沖縄島南部を巡る一日編?
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2017/06/23~" . 2017/06/24
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之四?四日日:沖縄島南部を巡る一日編?

≪2017.June≫あみんちゅ沖縄の一番長い日に触れる旅沖縄本島その弐之四?四日日:沖縄島南部を巡る一日編? 一年間の沈黙の期間を経て実現した今回の来沖。エアーチケットとレンタカー・常宿の手配は1月の半ばには済ませています。しかしその後『資格試験』や『合格祈願』、そして『お礼参り』に加えて『戦争を辿る旅』にかまけていた結果、6月初旬まで計画を見直すことすら出来ませんでした。結果いつもながらではありますが『Special No Planの旅』で出かけることにならざるを得ませんでした。そんな旅もはや4日目、今回の旅のメインイベントである『戦後72年目の慰霊の日』。沖縄県全土に於いて先の大戦で亡くなられた方々の慰霊の式典が行われる日になります。事前に慰霊祭が行われる『予定』を知ることが出来ればある程度行き先を決めて回ることができますが、多くの慰霊碑を管理する団体が、会員の高齢化を理由に慰霊祭の施工を取り止めている昨今、慰霊祭について事前に情報を得られなくなっている現実があります。沖縄県や各市町村は勿論その情報すら把握していないため、現地での情報収集が唯一の手段となっており、決して効率も良くありません。そのような背景もあり、口伝て情報で回るのであれば以前に訪れた実績によるしか方法はありません。 今年の6月23日に訪れた追悼式典や慰霊祭に関しては、速報という形で既に記述しました。そのためここでは『沖縄のいちばん長い日』の過ごし方について改めて思い返して書いています。あくまで『日記』としての内容ゆえ写真をただ載せているだけに過ぎませんので、あまり深い意味はありませんのでご了承下さい。 それでは今年の6月23日はどうなったのでしょうか・・・。当日の朝を迎えます。 平成29(2017)年6月23金曜日 みん宿ヤポネシア 09:30 《0.0km・0.0km・236.7km・0.0km/h》 ファミリーマート 09:33 《1.3km・1.3km・238.0km・26.0km/h》1.3 糸 満 米 須 店  09:52 三和郵便局 09:55  《1.7km・3.0km・239.7km・34.0km/h》3.0 10:00 高嶺郵便局 10:06 《3.7km・6.7km・246.4km・37.0km/h》6.7 10:12 兼城郵便局 10:31  《2.5km・9.2km・248.9km・7.9km/h》9.2 10:37 潮平郵便局 10:42 《2.9km・12.1km・251.8km・34.8km/h》 12.1 10:48 ファミリーマート11:05  《5.0km・17.1km・256.8km・17.6km/h》17.1 糸満西崎三丁目店11:16 沖縄銀行 11:19 《0.8km・17.9km・257.6km・16.0km/h》 17.9 西崎支店 11:32 農業試験センター 11:45 《6.3km・24.2km・263.9km・29.1km/h》 24.2 11:50 平和祈念公園 12:10 13:49 農業試験センター 14:10 14:19 白梅の塔 14:25 《2.2km・26.4km・266.1km・22.0km/h》 26.4 15:19 糸満郵便局 15:25  《2.5km・28.9km・268.6km・25.0km/h》28.9 15:32 糸満新里郵便局 15:36 《1.2km・30.1km・269.8km・18.0km/h》 30.1 15:48 糸満西崎郵便局 15:55  《1.8km・31.9km・271.6km・15.4m/h》31.メーター9 16:01 ローソン沖縄 16:14 《3.5km・35.4km・275.1km・16.2km/h》 35.4 水産高校前店 16:24 糸洲の壕 16:29  《2.0km・37.4km・277.1km・24.0km/h》37.4 16:34 第一外科壕跡 16:42  《3.6km・41.0km・280.7km・27.0km/h》41.0 16:50 ひめゆりの塔 16:52  《0.6km・41.6km・281.3km・18.0km/h》41.6 17:15 魂魄之塔 17:18  《1.4km・43.0km・282.7km・28.0km/h》43.0 17:33 ずゐせんの塔 17:36 《1.1km・44.1km・283.8km・22.0m/h》 44.1 17:41 ファミリーマート 17:44  《0.6km・44.7km・284.4km・12.0km/h》1747 糸 満 米 須 店   17:58 平和祈念公園 18:08 《2.4km・47.1km・286.8km・14.4km/h》 47.1-3.6 20:17 ファミリーマート 20:24 《3.6km・50.7km・290.4km・30.9km/h》 50.7 糸 満 米 須 店  20:35 みん宿ヤポネシア 20:38 《1.5km・52.2km・291.9km・30.0km/h》? 52.2 22:10 具志頭郵便局 22:18  《5.9km・58.1km・297.8km・44.3km/h》58.1 22:20 ローソン八重 22:22 《0.7km・58.8km・298.5km・21.0km/h》 58.8 瀬 玻名城 店 22:39 みん宿ヤポネシア 22:48 《5.7km・64.5km・304.2km・38.0km/h》 64.5 【宿泊】 みん宿ヤポネシア 《1泊2食付き禁煙ルーム 6,000円:直手配》 〒901-0334 沖縄県糸満市大度309-42 http://www.yaponesia.com/ TEL:098-997-2136 今年もこの日がやって来ました、6月23日。沖縄慰霊の日、以前沖縄の大学生にこの日の由来を尋ねた某新聞社の記事にあった『知らない』意見が過半数に上るとか…。沖縄の大学にどれだけの沖縄出身者がいるのかは知りませんが、この記事を書いた『記者』も事実を知らない情けないことが露見していました。昭和20(1945)年6月23日黎明の刻、現摩文仁の丘の頂上から少し下った場所で、沖縄守備陸軍第32軍司令部の牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、沖縄戦に於ける日本軍の組織的な抵抗が終了した日とされています。しかしこの説には別解釈があり『6月22日』だったという意見もありました。その証拠に沖縄がまだアメリカの戦時統治下だった1961年に当時の琉球政府が『慰霊の日』を制定した際には『6月22日』をしています。その後1965年に『6月23日』に改められ、昭和49(1974)年に『沖縄県慰霊の日を定める条例』が定められ、沖縄県の条例下で『慰霊の日=6月23日』となって現在に至っています。 ただ現実に軍司令部の崩壊を信じずにそのまま『ゲリラ戦』を続けた部隊や兵士も数多く存在した『史実』もあり、昭和20(1945)年8月15日正午の『玉音放送』すら信じられていなかったこともあります。大隊レベルで陸軍第24師団第32連隊第1大隊(伊東孝一大隊長)は8月29日、同連隊第2大隊(志村常雄大隊長)は9月4日にそれぞれ武装解除しています。そして昭和20(1945)年9月2日には東京湾に於いて戦艦ミズーリ上で敗戦国全権として重光葵(しげみつ まもる)外相と梅津美治郎(うめづ よしじろう)参謀総長が降伏文書に署名これによって中央では大日本帝国の無条件降伏という結果で終了するも、昭和20(1945)年9月7日には嘉手納基地(旧越来村森根)に於いて、納見敏郎第28師団長、高田利貞独立混成第64旅団長、加藤唯男沖縄根拠地隊参謀長がJosepf Warren Stilwell米第10軍司令官との間で『南西諸島の全日本軍を代表して無条件降伏』が調印され、ここで初めて『南西諸島』に於ける戦闘の終結と解されるものも少なくありません。事実降伏文章への調印がなされた沖縄市では、平成5(1993)年に市町村で初めて条例により『沖縄市民平和の日』を制定しています。 アメリカ施政権下の琉球政府によって『住民の祝祭日に関する立法(1961年立法第85号)』に基づいて定められた『公休日』に端を発したものの、昭和47(1972)5月15日の沖縄の本土復帰に伴い日本の法律適用下で法的根拠はなくなりました。しかし昭和49(1974)年には沖縄県が条例により6月23日を慰霊の日として定め、その後平成2(1991)年に沖縄県及び沖縄県内の市町村が地方自治法に基づき各休日条例により慰霊の日をそれぞれの機関の休日と定めたことによって再び正式な休日となりました。そのためこれらの地方公共団体の役所やその設置する学校等は休日となっていることが現在に於ける『慰霊の日』の解釈となっているのですが、制定に纏わる適用される法律背景によっても即決できないものであることは理解できますが、これらのことを踏まえても『沖縄戦も於ける慰霊の日』の制定に関しては様々な解釈があり、決して『ひとつの事柄』によって決められるものではないということがわかります。 理由はなにもひとつにすることはないのではないかと思います。昭和49(1974)年の条例制定には『我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)』とされており、この『願い』のもと行われているもの…と解釈するのが一番しっくりくるのではないか…そう思います。この条例制定に携わった沖縄本土返還時に『天皇陛下万歳三唱』をした初代沖縄県知事屋良朝苗氏にどのような想いがあったことまでは知りませんが…。 前置きが長くなりましたが『今日イチニチ』を始めることにします。おひとり宿替えがあり、代わりに泊まられる方も来られるということで今日も満員御礼。ほぼ固定のメンバーゆえ『この日』の過ごし方も大筋では一緒です。その中でも一番遅くに出発する私ですが、今年はお昼の『追悼式』以外はノープランです。食事を済ませて出発します。大度交差点を左折し、ファミリーマート糸満米須店へと向かうのは定番のコース。コーヒーとドリンクを仕入れて一服します。次いで少し歩いたところにある『米須簡易郵便局』に立ち寄って旅行貯金をして出発します。ここから走る『沖縄県道7号線』は、今なお主要道として君臨しているものではあれど、沖縄戦末期には敗走を続ける日本軍兵士や軍と行動を共にした民間人が南下するのに使った道であり、多くの慰霊碑が建立されている場所でもあります。そのことから慰霊碑が建立されている場所付近に車や人だかりがあれば『なにかをやっている』と読んで走って行きます。しかし三和・高嶺・兼城と熾烈な戦闘が行われたエリアにある郵便局を回りながら出会うことはありませんでした。そして糸満市街へと向かい潮平の郵便局への途中も残念ながらなかったようです。市街地ではそんな場当たり的には見つからないので、今日の『もうひとつ』の目的のため街中を走ることにします。それは『お年玉用2,000円札』の収集。知らない方もおられるかも知れませんが、平成12(2000)年に行われた『沖縄サミット』を祈念して作られた2,000円札。これを『お年玉』として10年程配っているのですが、さすがに地元ではもう手に入りません。電話をかけて電車や車で走って集めていたころもありましたが…既に『流通していない』とのこと。その後沖縄に入り浸るようになってからは、秋以降に行った際に必ず仕入れていたのですが…昨年は6月が最後となり、まさかその後行かないとは考えていなかったこともあり、まさかの状態になってしましました。それから1年が経ち運悪く6月23日は金曜日。ということは明日は金融機関は休み(泣)、ということもあり『ゆうちょ銀行』以外の銀行へと向かいます。しか?し時は流れるもの…『新札の2,000円札』のリクエストに『もうありません』と冷たいお返事。場所は糸満の金融エリア西崎地区でもそんなつれない返事が…。ただたまたま『沖縄銀行』で新札はないけれど、キレイなやつを探してみますね♪って言ってくれました(嬉)。観光客の我がままを聞いてくれた受付のお姉さんに感謝です!!ありがとう! しばらくの待ち時間になにげなくテレビを見ていたところ、沖縄以外では大ニュースになったことが放映されていました。麻央ちゃん逝去…。乳癌で闘病中っていっても…とは思っていたもののあまりにも早いその死に…なんとも言えなくなってしまいました…。戦没者慰霊のために訪れている沖縄でいうことではないのかも知れませんが、あのニュースは翌日の全国紙一面を塗り替えてしまうほど反響があったと思います。34歳って…若過ぎますよね…。でもその年齢まで生きられなかった多くの前途ある若者が70余年前に親兄弟、そして妻子を守るべくこの地沖縄で斃れた『史実』がより『鮮明』に思えたことだったのかも知れません。ご冥福を祈ります…。 手前味噌的に言われたのか『ほぼ新札の2,000円札』を手に入れ、時間を見るとちょっとオーバー気味。慌ててゆっくりシャトルバス乗り場である『沖縄県立農業試験センター』へと向かいます。ちょうど到着した時に入ってきたバスに乗ろうと駐車場を走ります。11:50の出発は平和祈念公園で追悼式が始まる時間。と言っても仕方がないのでエアコンの効いたバスの中で汗が引くのを待ち、12:00ちょうどには車内で黙とうを捧げ12:10に無事平和祈念公園に到着しました。ちなみに私は追悼式の『会場テント』の中には入りません。あくまでイチ観光客として『外野』での式典を取り巻く環境を観察しています。戦後70年には会場周辺に於いて来場者に向けての『デモ活動』が取りだたされ、沖縄で追悼式典とは『なにをするところなのか?』と大バッシングを受けたことがありました。そのこともあってか71年は大人しかったようですが今年は…となると必ずいます…。安倍さんが平和宣言を読み上げている最中に、子供達が集団で会場テント方向へと歩み寄り、その大もとに一人のおじぃがおりました。持論の反戦論を言うのはともかく、あんた今注目を引くのに『子供を使ったよね??』。おじぃの子供の頃ってなんでもかんでも子供を『ヤリ玉』にしていたのと違いますか?年齢幾許もない子供達が戦争に駆り出され、結果志半ばにして斃れていった…。あなた方の言う反戦論って『自分が生き抜くもの』のことを言っていいるんですかね?。そんな反戦論を未だに『素晴らしいこと』だなんて言っているから、ことあるごとに『有事対応』に奔走している今のご時世になっているんじゃないのかな? 文句を言うのは誰でもできる。しかしいま必要なのは有事を『起こさない』ようにするのが一番なんじゃないかな…そう思うけど。あんたも戦争には駆り出されないし、私も従軍することは先ずない。でも今動いた子供達にはその可能性があるんだよ。そんなこと位わかれよ?ボケ!!(以上私の本音でした…。) そうして追悼式は10分延長で終了し、次の目的地へと移動するためシャトルバス乗り場へとやって来ます。このシャトルバスは同じルートを往復しているようで、来るときは続けてくるようなのですが、来ない時は来ないような気がします。だいたい30分程は待ちようやく順番が来たようなのですが、ここに来て『お見合い状態』が発覚します。先に乗車できた者が奥から詰めて行けば定員乗車ができて効率良く出発できるものを、数人単位で座ってしまって奥が空いている状態。待つことは仕方がないのですが、やはり年寄りや子供もいるため、炎天下で闇雲に待ち時間を作ることは避けなければ…と思うのは私だけでしょうか?なんかバスに乗り込んでから奥に進まない人の行列に対しぷち?んときた瞬間、『空き席がなくなったら奥から補助席倒して下さい?(怒)!』と一言。ハイキング的に思って来ている人はぽか?んとしながら若僧の『ヒトコト』に従っていきます。補助席の倒し方を知らないおじぃおばぁには席を倒して、5分位立って行くよ?とほざいたおじぃには『観光バスは立ち席が認められません!』とヒトコト。さすがになにも言わなかった『運転士』も『玄人擬き』の乗客がいることに気付き、アナウンスで同じことを言っていました…。添乗員か私は…(汗)。 そんなこんなで無事出発し、もう少しで農業試験センターに到着するところで今度はバスがお見合いしてしまいました。レンタカーVS路線バスでも『よくこんな道通るな…』と思っていたところでまさかのシャトルバスの離合。も?下りて行って誘導しようかとも思いましたがそこまで出しゃばるのも…って思っていたらスイッチターンを決めこむ様子。さすがプロ♪と思っていたのは私だけのようで、のんきな乗客は『道間違えたんと違う…』なんて言ってました。 そして農業試験センターに到着し、ドライバーさんにお礼を言った後一服だけして次の目的地を目指します。なぜ農業試験センター車を停めるか…という理由でもあるのですが、ここが一番白梅の塔に近いからです。車に乗り込みまた急いだ安全運転で走り、白梅の塔に到着します。ただこの界隈には駐車車両が多々あり、上り車両優先優先の原則から白梅の塔に『向かう車両』が優先になっています。しかし相手はレンタカー、我先にと下りてきます。そうなると『悪魔の私』が本領発揮します。いわゆる『幅寄せ』です。一台止まればしめたもの、そのまま走って山形の塔を越えたあたりに車を停めて走って行きます。 71回目の白梅同窓会主催の慰霊祭、大きく変わるものではありませんが今年同窓会長の中山きくさんから重大な発表がありました。白梅同窓会主催の慰霊祭は今年で最後にするとのこと。来年からはサポートメンバー主体となって老若男女国籍問わず色々な考えを持つメンバーによって『討論』も含めた『開かれたもの』にして行きたいということでした。御年88歳の中山きくさん、白梅学徒隊の数少ない生き残りとして志半ばで斃れた同級生の分まで長生きして欲しいと思います。できれば私もサポートメンバーに入りたいとも思うのですが…。 最後に昨年同様校歌で締め、口パクで参加した後車に戻ろうとしたときにひとつ思い出したことがあって受付に戻ります。『鎮魂(ぬちしずめ)』という題の白梅学徒隊の足跡を辿り、昨年の慰霊祭で締めてあるDVDが発行されました。これは是非とも手に入れないとと思っていたのですが行程に押され忘れていました。ここで気付いたのもなんかの縁、無事入手することができました。ただ後から新聞等で紹介されているものでは同窓会の意向としては『一般発売はされない』ということが書かれていました。平和学習の資料として使われたいとのことですが、その貴重な一枚を私も何かに役立てたいと思います。 15:00を過ぎたので『慰霊祭後』に慰霊碑を訪れることに目的を変更し、16:00までは郵便局巡りをすることにします。糸満・糸満新里・糸満西崎の三局でタイムアウト。そして331号線を南下します。途中学徒慰霊碑のひとつである『翔洋碑』のことを思い出し、碑のある沖縄水産高校に立ち寄ります。しか?し今日6月23日は『お休み』であることをすっかり忘れており、あえなく締め出しとなってしまいました。後で調べると昨年は6月24日に行われているとのことでした…。それでは来年かな。 この辺りになるとナビを使うよりも記憶で走った方が確実なのでそうします。糸洲の壕、通称ウッガーガマ沖縄戦末期に陸軍第24師団第二野戦病院として使われた自然壕で『ふじ学徒隊(積徳学徒看護隊)』が勤務していたところでもあります。昨年訪れた時には壕の中にも普通に入れましたが、今年になって立ち入りが禁止され、壕入口に建立されていた『慰霊碑』が再建中だということを知りました。それを確認するために訪れたこともあるのですが…確かに噂は本当でした。壕入口には扉が作られ、立ち入り禁止と書かれています。そして慰霊碑はというと…形状は前のものに似せているもののその新しさはなにか浮いた感を覚えるものでした。付近の農地が整地されていることからなにかの開発が始まるのかも知れませんが、これも時代の流れなのかも知れません…。鎮魂之碑と鎮魂の碑、前者が第二野戦病院関係のもので後者は壕にいた民間人のご遺族が建立されたものだそうです。たまたま私が訪れていた際に、親族の方がお参りに来られました。挨拶は交わしたものの興味本位でお話を聞くのも悪いかと思いそのまま立ち去りましたが…。 そして再び国道331号線を南下して行きます。ひめゆりの塔手前で右折し、サトウキビ畑の中を走ること数秒で一本の慰霊碑に辿り着きます。『第一外科壕跡』の碑、ひめゆり学徒が南風原の陸軍病院を追われて南下し、伊原や糸洲の壕に分散して入った場所のひとつになります。どこの壕に入るかは『じゃんけん』で決めたとされる逸話が残っていますが、一番人気だった現ひめゆりの塔の場所にある『伊原第三外科壕』に入った学徒は、もっとも激しい攻撃を受け、多くの犠牲者を出したことは『ひめゆり平和祈念資料館』の展示にも書かれています。そんな結末が待っているとは思ってもいなかった学徒達のことを思うとやるせない気持ちになります。しかし第三外科壕を運良く逃げ出せた者が立ち寄ったこの第一外科壕も落ち着ける場所では既になく、米軍の執拗な攻撃の下で壕を出て、南への逃避行を続けなければならず、その道中に於いても多くの犠牲者を出しています。 ただこの第一外科壕にも『学徒隊』がいたことは『史実』に違いありません。第三外科壕に比べると数は少ないものの犠牲者は出ています。しかし伊原第三外科壕は観光客を含め平和学習でも利用されている上に慰霊祭も行われていますが、同時期に学徒がいた『伊原第一外科壕』や『糸洲第二外科壕』には訪れる方もほとんどおらず、荒れるがままになっています。三回目の再訪となった『伊原第一外科壕』ではありますが、一年間のブランクで土砂の流入が進んでいるように思えます。雨風に晒されて色あせてしまった『千羽鶴』が余計に哀愁を誘います。糸洲の第二外科壕跡のように時がの流れに埋もれていくのか…とも思います。個人のレベルではどうしようもないことなので、手を合わせて次の目的地へと向かいます。 車を走らせること数分、いつも車を停める『でいご』の駐車場にやってきました。そして向かった先は『ひめゆりの塔』。イレギュラーな時間での訪問が多い中、今日も17:00前の到着です。ひめゆり記念平和祈念資料館が閉まっているのはわかっていますが、それより慰霊碑の参拝が目的です。沖縄陸軍病院第三外科職員之碑・医療人之碑には多くの千羽鶴や花が手向けられていました。このふたつの慰霊碑に関しては、ひめゆりの塔敷地内ということもあり、少なくともどちらかが備えられていることは、慰霊碑によっては訪れる人もないことを危惧しているイチ観光客には安堵感を与えられる瞬間でもあるのですが、しかし今回に限っては何か違和感がありました。このエリアの中核となる『ひめゆりの塔』に献花がひとつもありません。このことは昨年も取り上げたことなのですが、ひめゆり平和祈念資料館の閉館後に軽トラで花束を回収している姿…。元々この花束は入口で参拝者が『お金』を支払って購入し献花をしているものです。勿論『生花』なのでリユースすることに異論はないものの、少なくとも『人がいないところ』で行うべきだと思います。目の前で撤収作業を見た挙句、翌年には何もない『献花台』の姿を見たときには…。この時の『無常感』はわかってもらえると思います。人目を憚らず与えられた仕事を決められた時間に行うという『事なかれ主義』的な沖縄の仕事の仕方は到底私は受け入れることはできません。考え方によっては一部で言われている『ひめゆりの塔』を『商売道具』としているという考えもこのあたりからでてきているように思ったりもします。手を合わせるものの邪念がどうしても残ってしまうので、その場を後にすることにします。 一旦車方向へと戻った後、車を通り過ぎて駐車場奥の慰霊碑へと向かいます。梯梧之塔、沖縄昭和高等女学校学徒の慰霊碑になります。ひめゆりの塔からわずかしか離れていないものの訪れる人は少なく、2ヶ月おきに来沖していた時には、しおれた献花や雨に打たれた千羽鶴を見ながらため息をついた記憶が残っています。しかし今日だけは違います。午後から慰霊祭があり、会場は片付けられるもののお供え物はそのままになっています。その献花の中に二人のお名前を発見しました。『八巻さん』と『長田さん』、昭和高女の設立者である『八巻太一校長』と沖縄野戦病院の見習士官であった『長田紀春元軍医』のご親戚だと思われます。今年がたまたまではなく例年もあったのかも知れませんが、その関係者による献花の存在に、人の繋がりの暖かさを感じました。 最後に花々に囲まれた梯梧之塔と写真を撮り、車を走らせた先は『魂魄之塔』。戦後沖縄県民が集められてできた『真和志村』。その村長は金城和信先生でした。金城氏ご夫妻の愛娘はひめゆり学徒隊員として従軍し戦死されています。その悲しみを背負って真和志村村長となり焼け野原になった沖縄の地を米軍の命令によって開墾し、農地化するべく村民を率いて荒れた土地を耕します。現米須霊域と呼ばれているこの場所は、沖縄戦末期に敗走を続ける日本軍兵士や住人が海から陸からの攻撃を受けて斃れたまま放置された場所でした。土地を耕すにあたり、付近一帯に散らばる遺骨の数々を集めて慰霊碑を作りたいと金城村長は米軍に申し出ますが、その慰霊碑が『反米感情の拠りどころ』となることを恐れた米分司令部はそれを許可しませんでした。しかし土地を掘り返す度に遺骨が出てくる状況下では開墾作業は進まず、結局許可せざるを得なくなりました。戦後統治下の沖縄でろくな資材もない状況下で、米軍払い下げのセメントなど僅かな物資を利用し、昭和21(1945)年2月27日にこの魂魄之塔が完成します。同時期に建立された『健児之塔』や『ひめゆり之塔』先駆けて作られたまさしく『沖縄の塔』と言っても過言ではありません。その後昭和54(1979)年2月に摩文仁の丘に『国立沖縄戦没者墓苑』が完成したときに、多くの遺骨は移されましたが、貧困にあえいでいるさなか住人の手によって国籍軍民問わず集められた遺骨を納めるべく建立された『魂魄之塔』は、今なお沖縄県民をはじめ沖縄で戦死された兵士の遺族の『心の拠り所』としてその存在感を放っているように思えます。慰霊の日当日に訪れたのは初めてですが、17:00過ぎという時間にも関わらず数多い参拝客がおられるのを見て改めてそう思いました。献花・千羽鶴・酒・飲み物・食べ物などが塔を取り囲むように隙間なく並べられていることからもその思いは募ります。 そして魂魄之塔斜め向かいの『沖縄菩提樹苑』、年に一回慰霊の日にのみ解放されるこの場所は、ブッダが悟りを開いたとされる『聖なる菩提樹』の分け木が植えられています。インドから2300年もの間持ち出された記録がないものですが、沖縄戦没者慰霊の意図を解したインドの高僧らの働き掛けもあり3本の分け木が平成17(2005)年に沖縄へとやって来ました。その後ブッダ涅槃の地クシナガラに於いて生誕に纏わる『無憂樹』と涅槃に纏わる『沙羅双樹』を取得し、更に平成19(2007)年5月には海洋博記念公園管理財団から別に無憂樹の分け木の寄贈を受けています。沙羅双樹は本土の露地栽培では育たないとされていたこともあり、ある程度成長してから植樹されました。現在ではハウスとなっている沖縄菩提樹苑ですが、以前は天井部が解放されていました。しかし沖縄特有の天候や、海に近いために受ける『塩害』、そして『カミキリムシの巣』が樹木内に作られたことにより気が弱ってしまったことなどを踏まえて今の形式になったようです。慰霊の日の当日に訪れることは一年来の願いでした。本来ならばその『聖なる菩提樹』自体に手を合わせることは間違っているのですが、つい流れで手を合わせてしまった自分には、そのありがたみを肌で感じたような気がしてなりませんでした。 車へと戻って今来た道を戻ります。そして米須(西)交差点手前で車を停めます。ずゐせん之塔、やはり沖縄戦に学徒看護隊要員として従軍された沖縄県立首里高等女学校の戦没者を祀った慰霊碑です。やはりこちらもひめゆり之塔からさほど離れていないにも関わらず梯梧之塔同様通常の日には訪れる方も少ない場所のひとつです。しかし慰霊の日の今日は多くの献花と千羽鶴が手向けられていることを確認することができます。私自身ちっぽけな人間なので、一人ではどうこうすることもできませんが、他力的に訪れる方が『絶対にいる』日であれば、その光景に安堵してしまいます。昨年同様今年もそうでした。慰霊に訪れた多くの人々の気持ちが天国におられる志半ばで斃れたすべての学徒の皆様に届いていることを信じ、私も手を合わせます。 この場所は路駐しかできないため、長居をすることができません。なので手を合わせるとすぐに出発します。行きに立ち寄ったファミリーマート糸満米須店に立ち寄ったあとそのまま平和祈念公園に向かいます。18:00では少し早いのですが、いくつかの『光』をテーマとしたイベントが行われるためそれを旅の締め括りにしようとやって来ました。ただ明るいうちはどうしようもないので、個人的に所縁の場所を回ります。祖父の名が刻まれた『平和の礎』、『栃木之塔』そして『沖縄戦没者墓苑』。栃木の塔にはそれ程のお供え物はありませんでしたが、礎と墓苑には多くの供物が手向けられていました。私自身一年ぶりに訪れたこともあり偉そうに言うことはできませんが、やはり訪れる人の多さがわかるものが確認できると安堵する気持ちは確かにありました。栃木の塔の石段を上り下りし、摩文仁の丘の坂道をてくてく歩き、息切れするかしないかのレベルで辿り着いている自分に気付き、禁煙とウォーキングをしないと…と改めて感じた私でした。 そして19:30を過ぎた頃に平和祈念公園へと戻り『光の祭典』を見学します。『命どぅ宝』の碑の向かいに今年3月に『全学徒隊の碑』が建立されました。それが初めての慰霊の日を迎えるということが話題となっているようで、なにかにつけてメディアが撮影をしています。各学徒隊の知名度の差や、戦没者遺族・同窓生の高齢化によって学徒隊の慰霊祭を執り行うことが困難になってきた昨今、戦禍に斃れた学徒隊やそれを構成していた少年少女のことを風化させないとの思いから、沖縄県に関係者からの働きかけがありそれが実を結んだ結果です。ただ依頼者と建立者の間には『意識的な隔たり』があり、全学徒隊の慰霊碑という意味合いを持っていたと書かれていましたが、沖縄県曰く『モニュメント』としての位置付けで建立し、特段慰霊祭を行うものではなしとの見解を示しています。この『碑』の存在によって『学徒はひとつではなかった』という『史実』を訪れるものすべてが理解するならばそれはそれで良いようにも思えますが、実際そこまでの結果を残せるのかは正直疑問も残ります。多くの願いがあった『全学徒隊の碑』ゆえそれに対しいちゃもんをつけることはしませんが、その目的を恒久に伝える『役目』を果たして貰いたいと願うのみでした。 後夜祭に於ける光の祭典は、『平和の光の柱』・『灯篭流し』『ペットボトルキャンドル点灯』の3つになります。平和の礎手前の池で行われる『灯籠流し流し』は、沖縄県では珍しいものでもあります。灯籠に願い事を書いて池へと流す一連の作業、そして池にぷかぷかと浮かぶ灯籠ひとつひとつに平和への願いが込められています。そして平和の礎の平和の広場では、『平和の火』を取り囲むように5本の『平和の光の柱』が摩文仁上空を照らしています。日本・アメリカ・イギリス・朝鮮半島・台湾の5ヶ国5地域の戦没者を表した神秘的な光の柱というのが主催の沖縄県平和祈念財団の発表です。ただなにも考えずに見るのであればいいのですが、余計なことを考えてしまうとなんでもが良いように思えなくなってきます。今年は雲があったため下から見てもすぐにわかる状態になっていましたが、例年だと夜空に向かって光の柱がただ伸びているとしか見えないことが多いです。そういったこともあり今年はラッキーかも…と考えていると意外な反論にであいました。戦時中に船舶に乗り組んでいた『元兵士』の方々は、この景色を見て戦時中を思い出さないかというものです。沖縄県に於いては『軍に纏わる資料館』がないため、直接その話題に触れることもないのですが、本土ではそのことを裏付ける資料が展示されています。70余年前船舶に於ける夜戦は『探照灯』を用いた戦いが主流でした。その明るく大きくの探照灯を髣髴させるものであって、ご自分が体験された『海での夜戦』と被るものがあるのではないかという考えでした。確かに『見た目』はそうなのかも知れません。しかし『大もと』が違うのではないでしょうか。戦時中に使われたものは『タングステン光』つまり暖色系の色をしていたものになりますが、この『平和の光の柱』に使われているのは『白色光』です。光の色が違うと受ける印象も大きく異なるため、それは言いがかりに近いように思えます。勿論当事者からそのような申し出が出るのであればともかく、付け焼刃の知識でそのように解釈してしまうのは、『無知』を曝け出しているのに過ぎないのではないでしょうか。あくまでこの『平和の光の柱』は沖縄戦で戦没した所縁の国々の兵士・軍属・民間人の慰霊の意味を込めてと謳っている以上、余計な口出しをする必要がないと私は思いました。 慰霊の日の後夜祭も見学をすることができました。通路に並ぶ『ペットボトルキャンドル』は、毎年意図的なものを含めて倒してしまい、火が消えているものが多く見受けられるものの、その対処はされずに次の年にまた同じように行われています。ただ『光』に拘る『慰霊の日後夜祭』の意図には、戦時中に飛び交う砲弾を避け、敵兵に見つからないようにするため真っ暗な壕の中に潜んでいた多くの人々の御霊を慰霊していることは容易にわかることなので、現実の運営に関してはともかく意図として私は受け止めているのが本音です。それも20:00を過ぎると西に位置する沖縄も夜の帳に覆われます。年々滞在時間が短くなってきているこの沖縄県営平和祈念公園ではあるものの、今年も前夜祭込みで回ることができました。 そして車へと戻って走り出し、いつものファミリーマート糸満米須店で飲み物購入と一服し、宿泊先へと戻ります。20:38という時間は本日の宿泊者の最後ではありましたがいつものことです。食事を済ませ明日はもう帰るしかない今日、荷物を纏めているうちに今日一日分の撮影したフィルムを送付していなかったことに気付きます。みん宿ヤポネシア近くのポストは小さいこともあり、A4サイズの封筒ならば折り曲げなければいけないかもという危惧もあり、ちょっと車を走らせて昨晩同様隣町の具志頭郵便局のポストへと向かいます。南風原郵便局の集配の方が早いのは早いのでそちらを選択していますが、さすがに旅四日目体力も限界に近付いていることも感じており、宿へと戻ったらシャワーを浴びるとすぐベットに入ります。色々な思い出や明日どこへ行こうか…等の思いは走馬灯のように出てくるのですがもうそれを考える余裕もありません。気がついたらやはり寝ていました。そんな感じで四日目の夜は更けて行き、いよいよ淡海之国へと帰る日を迎えます…。zzz   《次編へ続く》
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沖縄 ,第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて?
沖縄県の地域
沖縄
沖縄県への旅行者
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。
沖縄県の旅行時期
2016/03/01~" . 2016/06/23
旅行テーマ 【歴史・文化・芸術】

第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて?

第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて? 最も熾烈な地上戦が行われた沖縄の地で、年端も行かない少年少女が学徒隊として動員され、多くの犠牲者を出したことはなにがしらの話で聞くことはあると思います。しかし学徒隊=ひめゆり学徒隊(部隊)という先入観があまりにも大きくなってしまっており、またその関連史跡を訪ねる時に漠然とした目的のない平和学習の結果、誤った事実が当たり前になっているのではないでしょうか? ひめゆり学徒隊というのは沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒により構成された学徒看護隊のことを指し、一高女の学校広報誌の名前?乙姫?と沖縄師範学校女子部の学校広報誌の名前?白百合?を併せて?ひめゆり?とした戦後の命名に由来するという説からきています。その他にも学徒隊は構成され女子が15?19歳、男子が14?19歳までが学徒動員され、20もの学徒隊が作られました。しかし残念なことに生き残られた学徒の方々が非常に少なく、規模の小さな学校で構成された学徒に至っては情報が少なく、その存在すら知られていないものが多々あります。個々の史跡で追いかけるよりも学徒隊の動きでその足跡を追い掛け、少しでも検証できればと思い書き始めました。 初回は私立積徳高等女学校の生徒による学徒隊であった?ふじ学徒看護隊(積徳学徒看護隊)?の足跡を追ってみようと思います。 まずは私立積徳高等女学校の歴史ですが・・・。 1918(大正7)年 私立家政女学校(大典寺の庫裏を教室として始められる)本科3年、別科1年 1930(昭和5)年 高等女学校になる(四年制、生徒数200名超) 1932(昭和7)年 美栄橋に移転 1943(昭和18)年 沖縄積徳高等女学校と校名を改める 昭和19(1944)年10月10日 十・十空襲で校舎全焼。その後ほとんどの授業が停止され、全校あげて垣花、天久、識名などの高射砲陣地構築や国場での戦車壕掘り作業に従事するようになる。 昭和20(1945)年2?3月 4年生55名が看護教育を受けるようになり、東風平国民学校にあった第2野戦病院壕で実習訓練を受ける。 昭和20(1945)年3月 沖縄戦の開戦が避けられない状況となり、実習は打ち切り。生徒達は学徒看護隊として豊見城城跡にあった第24師団第二野戦病院本部壕に55人中25名が入隊し、その日から負傷兵の看護に当たった。その際卒業式は中止になっている。 昭和20(1945)年5月27日 戦況の悪化に伴い糸洲の自然壕に移動命令が出される。 昭和20(1945)年6月17日 米軍の馬乗り攻撃を受け、壕内の患者に犠牲者が出る。  昭和20(1945)年6月27日 第二野戦病院長小池勇助少佐が、野戦病院を解散させる。その際学徒隊ひとりひとりに労いの言葉をかけた。 昭和20(1945)年7月2日 米軍が掃討作戦終了を宣言する。 昭和20(1945)年9月7日 嘉手納基地内での降伏文章への調印によって沖縄戦が正式に終了する。 戦後 積徳高等女学校は復興されず廃校となる。 平成12(2000)年 積徳高等女学校関連の戦没者職員5、同窓生44人、学徒23、計72名が合祀された慰霊碑が、設立者大典寺境内に建立される。 国道331号線バイパスを空港から糸満市街へと向かう途中、左手に看板があります。糸洲の壕(ウッカーガマ)と呼ばれるこの自然壕は、豊見城城跡にあった第24師団第二野戦病院が、第32軍司令部の南部撤退命令を受けて、昭和(1945)20年5月27日にこの地に移動して来ました。第24師団第二野戦病院には私立積徳女学校生徒から構成された?ふじ学徒看護隊?25名が配属となっており部隊に行動をともにしています。 水が豊富に湧き出ていた場所だったため、炊事などには困らなかったものの壕内は常に湿っており、学徒隊の足袋は乾くことがなかったという証言が多くあります。しかし敗戦を免れなくなった昭和20(1945)年6月17日に最初の馬乗り攻撃を受け、学徒をはじめとする人々は壕の奥へと移動します。しかし戦況は既にどうしようもないところまで来ており、行動をともにしてきた衛生兵も斬り込み隊に任命され、夜襲をかけたものの戻ってくることはありませんでした。衛生兵が減った分の仕事は学徒隊に回ってきたという証言も残っています。 この時期になって第32軍司令部より他の学徒隊同様?解散命令?が出されます。砲弾が飛び交う戦地での解散命令は=死を意味するものでした。事実他の学徒隊の戦没者のほとんどがこの解散命令発令後に出ているのは周知の事実です。連絡網の状況によるものなのか、解散命令が出されている日にちは6月17?19日と記録されているものが多い中、このふじ学徒隊に出されたのは6月26日のことでした。この約1週間の解散命令の?ずれ?はなにを意味するのか…。それが結果的に学徒隊の犠牲者を最小限に食い止めた部隊長の判断によるものだということはあまり知られていないことです。第24師団第二野戦病院院長小池勇助軍医少佐、長野県佐久市のご出身で地元中込駅前で眼科の開業医をされておられたそうです。3回目の招集で沖縄に来られた小池隊長は他の部隊とほぼ時期を同じくして受け取った解散命令を、この状況で出すことは危険極まりないとの判断で軍命を握り潰し、壕内に残る選択肢を取ったようです。そして6月26日には第32軍の牛島司令官と長参謀長の自決の報を受け取り、日本軍の組織的抵抗の終焉を知った上で解散命令を出します。 学徒隊の前で最後の訓示をした小池隊長は、「日本は敗けました。もし負け戦になるとわかっていれば、あなた達を預かりませんでした。親御さん達に本当に申し訳ない」と深々と頭を下げられたそうです。しかし鬼畜米英の教育を受けた学徒達もそう簡単には引き下がりません。捕虜になるくらいならば自決を選ぶと最後まで隊長をはじめとする野戦病院と行動をともにしたいと食い下がります。そこで小池隊長は静かに語り掛けたそうです。 「捕虜になるのは恥ではありません。本当の恥は死ぬことです。なので決して死んではいけない。必ず生きて家族の元に帰り、この凄惨な戦争の最後を後世の国民に伝えて下さい」と。小池隊長は泣きじゃくる学徒達とひとりひとり握手をして、壕から送り出したそうです。 数人のグループで行動して逃げるように指示は出されていたものの、中には団体行動から外れる恐怖に苛まれ、壕付近に留まるものもいたそうです。まだ米軍による掃討作戦が終了していない中、ビラや拡声器による投降を促していた時期でもあるため、その生徒は米軍を通り過ごしてからばらまかれていた?タバコ?を拾い、小池隊長に渡そうと病院壕へと入ったところ、変わり果てた小池隊長の姿を発見します。青酸カリによる服毒自殺だったとされています。 結果としてふじ学徒25名のうち戦死者は3名(1名は戦後自死)という動員された学徒隊の中で最も少ない犠牲者だったことがわかります。戦死者数の多い少ないで語れる話ではありませんが、適切な判断がなされていれば犠牲者がこれ程多くはならなかったのではという仮説が出てきます。 「命を大切に」と言った小池隊長がなぜ死を選んだのか。本人が亡くなっているため推測の域ではあるものの、やはり小池隊長も軍人だったということだと思います。軍命とはいえ医者の本分である?治療?が出来ず、多くの兵士の命を救えなかった…。そして撤退に纏わる移動に於いて、重症患者を置き去りにしなければいけなかった…。それも僅かな食料と手榴弾という?生?とは全く逆のものを残してやらなければならなかった。沖縄戦において命の尊さを説いた数少ない軍人であった小池勇助隊長だったが故に医者としての仕事と現実の葛藤に悩んでいたことは容易に想像がつきます。非常識な言い方ですがもし学徒を含めた犠牲者が大変多かったなら、自分自身で生き長らえて後世へ伝えなければならないという?義務感?は持っておられたに違いないと思います。しかし近隣で多くの犠牲者を出していた学徒隊に比べると、ふじ学徒の犠牲者は少なかった…。戦争を起こした訳ではないにしろ、隊長として陸軍病院を引率した責任者には違いない…そのため最後に自分自身の進退を決められたのではないかと思います。 ふじ学徒隊の慰霊碑は戦争でなくなってしまった学び舎があった付近那覇市松山の大典寺境内にあります。小池隊長のお墓は地元野沢の本覚寺に建立されており、回忌法要には積徳高等女学校のふじ学徒隊メンバーが訪れ、命の恩人との繋がりを今なお続けておられます。 十把一絡げに軍が悪いという表現が多々見られる中、軍を構成する軍人までをも悪人と決めつけられている風潮があります。軍人とは言え一人の人間、その中には?戦争?という時代の流れに翻弄されながらも、必死に命の尊さを説き続けた方もおられることを忘れてはならないと思います。 もうひとつまた小池院長の部下として行動を共にされた島尾二中尉。やはり医者としての心を忘れなかった軍医の一人です。第24師団第二野戦病院の移動の時、小池院長は自力で動くことのできない重症兵の?始末?を命じられるものの、枕元には青酸カリではなく乾パンと手榴弾を残していったそうです。ならば命令無視か?ということにはなるものの、部下の島尾中尉のしたことに肯定も否定もしなかった小池院長の姿が、生存者の手記に記されています。立場的に命令無視を認めることはできなくても、人の気持ちを忘れない小池院長と部下の島尾中尉。その二人の心の中には通うものがあったのではと思えてなりません。最終的に小池勇助軍医中佐は自決されました。しかし島尾二中尉は生き残られふじ学徒生存者の方々とともに、豊見城城跡公園にある旧陸軍第24師団第二野戦病院患者合祀碑の建立に尽力されたそうです。しかし現在豊見城城跡公園は閉鎖中で、この第二野戦病院跡を訪れることはできません。もう結構な期間閉鎖されているのでなんとか再開して欲しいとは思うのですが…。 最後に小池勇助軍医中佐辞世の詩を紹介します。 南の孤島の果てまで守りきて      御盾となりゆく吾を    沖のかもめの翼にのせて        黒潮の彼方の吾妹に告げん 【平成28(2016)年6月23日木曜日追記】 現在空手道場の建設が進む旧豊見城城址公園ですが、慰霊の碑には特例として参拝を認めているとの情報を得ました。しかし公式な情報という訳ではなく、あくまでもwebに書かれている情報のため、事前に確認することもできませんでした。ならば行って確認するしかないので、旧豊見城城址公園入口付近をよく見ながら車を進めると、どうやらそれらしき記述を発見し、表記通りに進みます。舗装路は拝所で止められていますが、広場からは進むことができ、それらしき場所まで歩いて行くと・・・、ありました。第24師団第二野戦病院患者合祀碑が。昭和57(1982)年に島尾ニ軍医やふじ学徒看護隊の生存者の手によって建立された慰霊碑です。島尾軍医はこの碑の建立を心待ちにされていたそうですが、願い叶わず亡くなられたそうです。 慰霊碑に手を合わせ、確かこの碑の下に野戦病院壕があるという記憶に従い歩いて行くと・・・、見つけました。しかし以前のように標識がある訳でもなく、ただ入口を塞ぐようにしているものが妙に違和感を感じさせるものであり、慰霊碑との位置関係をGPSで確認したところ間違いないという結論に至りました。 10年以上もの間放置されており、一見するだけでも落盤の危険性を感じるものゆえ、入口にて手を合わせ、カメラを壕内に入れてカメラに収めました。元々復元壕だったため、戦中をそのまま残している訳ではありませんが、ふじ学徒看護隊が籠ったひとつの壕として早急な対策の必要性を感じました。 第24師団第二野戦病院はこの豊見城城址の後南部へと撤退し、糸洲の壕へと向かったあとその地で学徒看護隊の解散命令を受けることになります。他の学徒看護隊に対する解散命令が、第32軍司令官自決の直前に出されていることに対し、積徳高等女学校学徒看護隊は部隊長小池勇助軍医中佐の独断で命令を先送りし、6月26日に出したことにより多くの学徒隊員の命が助かっている事実は先述した通りです。 この第24師団第二野戦病院と積徳高等女学校学徒看護隊の足取りを辿るものは、現在私が把握しているものではこれですべてです。?第二十五章あみんちゅ戦争を学ぶ旅?ふじ学徒看護隊(積徳高等女学校)の足跡を訪ねて??はこれにて終わります。 《平成29年6月23日追記》 本年春頃に?糸洲の壕?隣にある?鎮魂之碑?が建て替え工事中だったことを知り、確認のため訪れました。1年前には畑が広がっていたエリアは更地化され、慰霊之碑は既に新しいものに建て替えられていました。しかし壕入口には『立入禁止』と書かれた柵が建てられており、自由には中には入れなくなっています。 追記?:平成28(2016)年3月1日 追記?:平成28(2016)年4月16日 追記?:平成28(2016)年6月23日 追記?:平成29(2016)年6月23日
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